ヤロスワフ·イヴァシュキェヴィチ(Jarosław Iwaszkiewicz, 1894-1980)の短編小説『Tatarak(菖蒲)』(1961)では、死の臭いが物語の筋をつなぐ構成要素となっている。菖蒲の葉は二つの香りが合わさってできている。詩聖スウォヴァツキ(Juliusz Słowacki, 1809-1849)が「柳の陰になった水」と表現した穏やかな匂い、そして、「泥深い壌土、腐りつつある魚の鱗、全くのぬかるみ」が放つ、きつい臭いだ。後者は明らかに、突然の死を表している。この双方の香りを認識するにあたっては嗅覚のみでなく、触覚、視覚、はては味覚を含む、その他の感覚も用いられる。菖蒲の香りはこの小説では数回にわたって言及され、『Młynie nad Utratą(ウトラタ川の水車小屋)』、『Młynie nad Kamionną(カミョンナの水車小屋)』、『Stracona noc(失われた夜)』といった他の作品にも登場し、それぞれ負の連想を呼び起こす。ポーランド文学において、イヴァシュキェヴィチもトゥヴィムと同様、香りに最も敏感な作家の一人である。
死を描写するには、否定的な意味が込められた言葉を用いるのが常である。悪臭、死体臭、焦げ臭さ――せいぜい、よくも悪くもない、中間の意味として「香煙」が使われるぐらいだ。したがって、ツィプリアン·カミル·ノルヴィット(Cyprian Kamil Norwid, 1821-1883)の詩「Amen(アーメン)」(1847)における、殉教者の遺体から漂う芳しい匂いは、きわめて異例と言える。具体的な香りではないが、喜びの源、新しい生命の象徴となっている。感覚的な体験が、形而上学的な体験へとつながるのである。
儚い記憶
アンジェイ・ワイダ監督『パン・タデウシュ物語』撮影現場、1998年。写真:Wojciech Olkusnik / Forum
嗅覚には記憶がある。マルセル·プルーストが『失われた時を求めて』において、紅茶に浸したマドレーヌの味と香りが、子ども時代の記憶を鮮やかに呼び起こす様子を描いた通りだ。この「プルースト効果」は、身近なところにも見つかる。たとえばアンジェイ·ボブコフスキ(Andrzej Bobkowski, 1913-1961)は、日記にこう書いている:「なぜか分からないが、乾いた葉と湿った土のこの香りは、私には霧と同じような作用を及ぼす。子どもの頃を思い出させる――リダとノヴォグルデクの近くの森と、ゲディミナスの城の輪郭の記憶だ」(『Szkice piórkiem(羽ペンのスケッチ)』1957)。このような儚い記憶が亡命文学の内容を満たしている。時空の境界を超える瑞々しい香りは強烈なゆえ、現在の呼吸を覆ってしまう。例えばユゼフ·ヴィトリン(Józef Wittlin, 1896-1976)のように:「はっきり言って、老いのせいで、花と樹木の香りに対する嗅覚を失ったのか、それとも本当にここでは何も香りがしないのか、分からない。ルヴフの公園の木々や花壇は、私と一緒にここにやってきた。ルヴフの薬局、ハム、果物屋は海を渡り、この長い年月を経てなお、私のうちに鮮やかに、至福のものとして生き続けている」(『わがルヴフ』1946)。
アダム·ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz, 1798-1855)は祖国の香りの表現には苦労しなかったが、彼の作品はほぼ無臭のものに数えられるべきだろう。もっとも『パン·タデウシュ(Pan Tadeusz)』(1834)では、熊狩りの直後にはや感じられる、大釜から立ち昇る素晴らしいビゴスの香りが支配的で、「モカの香りと蜂蜜さながらにとろりとした」コーヒーの香りもそれに負けていない。ミツキェヴィチが響かせる香りの言葉は、世界で最も美しいとされる国、ポーランドのイメージを補完している。この牧歌的·ロマン主義的な神話には、アダム·ザガイェフスキ(Adam Zagajewski, 1945-2021)が詩「Gorączka(熱病)」で対抗している。戒厳令〔1981年12月13日~1983年7月22日。1980年に結成された独立自主管理労働組合「連帯」に対抗して共産主義政府が軍事政権を発足させ、戦車を出動。外出禁止令により市民の生活を制限し、多くの反体制活動家を投獄〕の最中に書かれた作品で、ザガイェフスキは囚われの身のポーランドを冷静に見つめる。官能的に描写される日常(湿ったリンデンの香り、初物のイチゴの味)が繊細で知的な皮肉へと変わり、「春の厳しい香り」に対する警告へと至る。「Nowa Fala(新詩派)」を代表するザガイェフスキは、殉教者を気取り、行動を起こさない同胞の姿勢を痛烈に批判し、反逆と独立、そして芸術における独立をも呼びかけている。
多様な香りは、ヴィオレッタ·グジェゴジェフスカ(Wioletta Grzegorzewska, 1974-)とヴェロニカ·ゴゴラ(Weronika Gogola, 1988-)による少女世界の環境を作り出し、農村の懐かしい、しかし理想化されてはいない過去の一部を構成する。グジェゴジェフスカの『Guguły(青い実)』(2014)には芳醇なココアの香り、菖蒲の葉、泥に浸かり、カルダモンを思わせる土の香りがする地面、8月の腐った藁と澱粉質の匂い、そしてジャスミンとキャラメルのような5月の香りが漂う。ゴゴラの『Po trochu(少しずつ)』(2017)を読むと、嗅覚より味覚をはるかに多く感じるが、そのうちひときわ明瞭なのが、香りがとらえる人物像だ:「クリムチャおばあちゃんは毎週チーズを持ってきた。この手のチーズがたいていそうであるように、ほのかにおばあちゃんの家、そしてほのかにおばあちゃんの香りがした」。マリア·ドンブロフスカ(Maria Dąbrowska, 1889-1965)の自伝的な作品『Uśmiech dzieciństwa(子ども時代の笑顔)』(1923)のスパイスが効いた焼き菓子の香りや、トゥヴィムの「Zapach szczęścia(幸せの香り)」(1929)が描く、ヴァニラの匂いがする新鮮な牛乳や焙ったコーヒー豆も、「小さな祖国」の香りの部類に入る。
私は都会っ子……
ヤン・ヤクブ・コルスキ監督『Jasminum』の1コマ、2006年。ヴィクトリア・ゴンシェフスカ(Wiktoria Gąsiewska)とヤヌシュ・ガヨス(Janusz Gajos)。写真:Best Film
アンジェイ·スタシュク(Andrzej Stasiuk, 1960-)は短編集『Dukla(ドゥクラ)』(1997)で「さまざまな場所や街は動物のように匂いを発しているが、それを根気強く探す必要がある」と主張している。人間は数千から1万種類を超える香りを識別する(比較すると、犬は50万種類以上の香りを嗅ぎ分ける)が、他の生物とは異なり、香りを合成して作り出すことができる。街の匂いは調香師にとり、最高のインスピレーションの一つだ。バーバリーの「ロンドン」やブルジョワの「ソワール·ド·パリ」はフローラル系、オスカー·デ·ラ·レンタの「サント·ドミンゴ」はウッディ·スパイス系で、ラウラ·ビアジョッティの「ローマ」はオリエンタル系。建築、ショパンの音楽と、優雅で力強い女性を感じさせる「Warszawa(ワルシャワ)」は、ピュアディスタントの創業者、ヤン·エワウト·フォス(Jan Ewoud Wos)がアントワーヌ·リー(Antoine Lie)と作り出した香水だ。街や場所の香りを描くポーランドの作家たちは、香水の世界で成功するだろうか。
ヴィトルト·ゴンブロヴィチ(Witold Gombrowicz, 1904-1969)の生地、ポーランド中南部のマウォシツェ(Małoszyce)は、ハーブ、水、石と樹皮を束ねた香りがする(『日記(Dziennik)』)。リシャルト·カプシチンスキ(Ryszard Kapuściński, 1932-2007)は故郷ピンスク(Pińsk, 現ベラルーシ南部の街)の香り――冬のコンフィチュール、プラム、あんずとりんごの木――を、熱帯の香りと対比させている:「火照った身体、魚を干す匂い、腐りかかった肉と焼いたキャッサバ、新鮮な花と、海藻が発酵する香り」(『黒檀(Heban)』1998)。一方、東京で迷子になったヨアンナ·バトル(Joanna Bator, 1968-)は、周りに漂うカレーの匂いを追って道を見つける(『Japoński wachlarz(日本の扇)』2004)。ブルーノ·シュルツ(Bruno Schulz, 1892-1942)の『肉桂色の店(Sklep cynamonowy)』(1933)でも、絵の具、封蝋、お香と混ざり合った、遠い異国の香りが感じられる。香りは、場所と人々のアイデンティティの一部なのだ。
では、ユリアン·プシボシ(Julian Przyboś, 1901-1970)やアドルフ·ノヴァチンスキ(Adolf Nowaczyński, 1876-1944)が「フェトリスタ(fetorysta; 悪臭主義者)」と愛情を込めて呼ぶ未来派詩人の作品では、街はどのような匂いを放っているだろうか。ブルーノ·ヤシェンスキ(Bruno Jasieński, 1901-1938)は、声明文『Do narodu polskiego(ポーランド国民へ)』(1921)において「吐き気を催す臭いのせいでくしゃみをし」、現代の人間には「鋭い、総合的な刺激」が必要だと主張する。このような刺激を提供するのが、アダム·ヴァジク(Adam Ważyk, 1905-1982)による、パイプの煙に包まれたメロディアスな街だ(「Hiacynt(ヒヤシンス)」)。未来派の嗅覚は新たな感性の到来を告げ、迫りつつある脅威に警鐘を鳴らす。理性による認識から離れ、直感に近づいていく。アレクサンデル·ヴァット(Aleksander Wat, 1900-1967)はホームレスの匂いを収集し、鉄の街の不吉な臭いに気が付く(「Ja z jednej strony i ja z drugiej strony mego mopsożelaznego piecyka(ずんぐり鉄ストーブの片側の私と反対側の私)」1919)。アナトル·ステルン(Anatol Stern, 1899-1968)は空の下、オレンジリキュールが放つ陶酔の香りを感じ(「Pissuary(小便所)」)、ティトゥス·チジェフスキ(Tytus Czyżewski, 1880-1945)は揚げたカツレツの匂いと、心地よく蝕まれる静けさとで、カフェの空間を満たす(「Drzemka w kawiarni(カフェのうたた寝)」)。そう、ヤン·ヤクブ·コルスキ(Jan Jakub Kolski, 1956-)の映画『Jasminum』(2006)のように、すべての街からジャスミンの香りがしたり、そこに住む人々がサクランボ、バードチェリー(ラテン語名:prunus padus, 和名はエゾノウワミズザクラ)やプラムの香りを発することはないのだ。
官能的な幻想
フィリップ・バヨン(Filip Bajon)監督『早春』撮影現場、2001年。写真:Jacek Szymczak / Forum
ジェロムスキの『早春(Przedwiośnie)』(1925)では、石造りの住宅建築や中庭のカビ臭さが悪しきものとされ、主人公の父、セヴェリン·バリカ(Seweryn Baryka)は新しい文明の訪れを告げる、さわやかに香るガラス張りの家の清潔さを夢見ていた。ライラックの花の強い香りが、自動車事故や喧嘩を引き起こすこともある(前述のトゥヴィムの『ポーランドの花』)。スワヴォミル·ムロジェク(Sławomir Mrożek, 1930-2013)は「Opowieść zbiega(逃亡者の物語)」(1990)において、外国の香水を貯水槽いっぱい使ったとしても、死んだ竜の悪臭を消し去ることはできないと警告している。
スタニスワフ·レム(Stanisław Lem, 1921-2006)が比類なきファンタジーの巨匠であることに異論はないだろう。短編「宇宙を救おう!(Ratujmy kosmos)」(1964)でレムは人類に対する懸念を表している。主人公は地球を離れたのち、銀河系のお気に入りの場所を訪れようと決める。たとえば「ベルリアのサバンナは様々な色の花で虹色に輝き、中でも素晴らしい美しさと香りが際立っているのが、鮮やかな赤いバラ」だが、これは実はヴェンドウォヴィエツ(wędłowiec)という、長い牙を持つ捕食動物の尾の上に生えた植物だ。何も知らない旅行者が花の香りを嗅ごうとすれば、襲われる危険がある。一方、悪臭を放つフェトルフカ·オブジドルニツァ(fetorówka obrzydlnica)という植物は「特に活発な個体の場合、1秒あたり最大5,000臭(悪臭単位)を発することができ」、これがカメラを向けられた際の防御手段となっている。「フェトルフカは近年、生息域を大幅に拡大し、1ヘクタール8メガ臭を発生させるという観察結果については、望遠レンズの大々的な使用が引き起こした現象だと説明されねばならない。」
香りはしたがって、物理的な境界だけでなく、想像力をも超える。文学作品の主人公にとっては必ずしも良い結末をもたらさないが、読者にとってはまさに、その逆のことが言えるのである。
出典:
Marian Bugajski, „Jak pachnie rezeda? Lingwistyczne studium zapachów〔ミニョネットはどんな香りか――香りの言語学的研究〕”, Wrocław 2004.
Beata Cieszyńska, „Okna duszy. Pięć zmysłów w literaturze barokowej〔魂の窓――バロック文学の五感〕”, Bydgoszcz 2006.
Magdalena Kokoszka, „Przestrzeń n-wymiarowa i węch. Uwagi o futuryzmie〔n次元空間と嗅覚――未来派についての考察〕” [w:] „Białostockie Studia Literaturoznawcze”, nr 5/2014
Elżbieta Rybicka, „Sensoryczna geografia literacka〔文学の感覚地理〕” [w:] „Przestrzenie geo(bio)graficzne w literaturze〔文学における地理(伝記)空間〕”, pod red. E. Korończuk, E. Sidoruk, Białystok 2015.
Marek S. Szczepański, Weronika Ślęzak-Tazbir, „Miejskie pachnidło〔都市の香水〕” [w:] „Studia Regionalne i Lokalne”, nr 2/2008.
執筆:アグニェシュカ·ヴァルンケ(Agnieszka Warnke)、2018年4月30日、改訂:2019年10月10日
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2026年3月