小説家、エッセイスト。2018年度ノーベル文学賞受賞。『逃亡派(Bieguni)』で2018年ブッカー国際賞受賞。1962年1月29日スレフフ(Sulechów)生まれ。
現代ポーランド文学を代表する存在として近年注目を集める。読者からも批評家からも評価が高い。人気、センスの良さ、知識、文章の巧さ、哲学的な深み、語りの技を兼ね備えた稀代の作家である。ワルシャワ大学で心理学を専攻し、ユングに傾倒。哲学と神秘学に造詣が深い。
十代で詩作を行う。その後長い沈黙を経て発表した小説『Podróż ludzi Księgi(書物の人びとの旅)』(1993)は非常に好評を博した。現代のたとえ話と言える作品であり、文字通りの層では、秘密の本を求める不毛の旅とその道中で起こる主人公二人の恋愛を扱っている。17世紀のフランスとスペインが舞台だが、ここで最重要なのは地方色ではなく、「秘密」への憧れである。
二作目の小説『E.E.』(1995)では現代にやや近づき、20世紀初めのヴロツワフを舞台とした。主人公の(Erna Eltzner、E.E.はここから)は裕福なドイツ・ポーランド系一家の娘で、霊媒能力を持つことが明らかになる。ここでもまた神秘的で人知を超えたものへの強い関心が見られる。
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オルガ・トカルチュク,撮影:Sophie Bassouls / Getty Images
三作目の小説『プラヴィエクとそのほかの時代(Prawiek i inne czasy)』(1996)は大成功を収め、注目を集めた。タイトルのプラヴィエクは、ポーランド中心部にあるとされる神話的な村で、あらゆる喜び悲しみが集約した元型的小宇宙である。イェジー・ソスノフスキ(Jerzy Sosnowski)は以下のように評した:
「トカルチュクは実際の歴史の断片から神話を構築する。隅々まで秩序が行き渡った物語だ。あらゆる出来事、悲劇や悪にも、根拠がある。空間の体系化はさながら曼荼羅のようだ。四角の中に描かれた円。完璧で欠けるもののない幾何学的想像力。」
『プラヴィエクとそのほかの時代』は新しいポーランド神話的小説の最高峰である。
次の小説『昼の家、夜の家(Dom dzienny, dom nocny)』(1998)はまた違った趣向、ジャンルの作品となった。「小説」という名前は誤解を招くかもしれない。ハイブリッドなテキストであり、プロットのアウトライン、もう少しまとまった物語、エッセイ風のノート、私的なメモ等、様々な断片を集めた。実際、『昼の家、夜の家』は作家の最も私的で最もローカル性のある本だ。トカルチュクは居住地(ポーランドとチェコの国境にあるズデーテン山脈の村)近隣に取材している。ここから着想を得た作品に、中世の聖女クマーニス(ヴィルゲフォルティス)の驚嘆すべき物語がある。神は、彼女を望まない結婚から救うため男性の顔を与えた。『昼の家、夜の家』は国際IMPACダブリン文学賞最終候補となった。
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1997年には三つの短編小説を収めた『Szafa(ワードローブ)』が出版されたが、作家が短編の名手として注目されたのは『Gra na wielu bębenkach(たくさんの太鼓をたたく)』(2001)によってである。この本には3つのシリーズに分かれた19本の短編が収録されている。
一つ目のシリーズは、自己言及的と名付けることができるだろう。いくつかの短編の中で作家は(文学に限らない)創作の現象について考察している。二つ目のシリーズはアポクリファ(外典)的な作品である。以前クマーニスについての魅力的な短編がドルノ・シロンスク地方で作家によって発見された史実に基づいて書かれたが、同様の取材源を持つ短編が『たくさんの太鼓をたたく』に4本収められている。作家は独自の方法で「続き」を展開し、美しく彩色し、素朴な歴史的事実を物語として蘇らせた。そして最大のグループである三つ目のシリーズでは、現実的、正確には心理的・道徳的なテーマが重要となっている。
さらにオルガ・トカルチュクは独立した書籍の形でエッセイ『Lalka i perła(人形と真珠)』(2000)を上梓。ポーランド小説芸術の傑作と考えられているボレスワフ・プルス(Bolesław Prus)の19世紀末長編小説に新しい解釈を提案した。
『Ostatnie historie(最後の物語)』(2004)は二作目の短編集であり、短い形式は徐々に作家のお気に入りのジャンルになりつつある。トカルチュクは Międzynarodowy Festiwal Opowiadania(国際短編小説フェスティヴァル)の発起人でもある。
2004年以降オルガ・トカルチュクは二冊の本を刊行。『Anna In w grobowcach świata(世界の墓の中のアンナ・イン)』(2006)と『逃亡派(Bieguni)』(2007)である。『逃亡派』は中欧文学賞ANGELUSにノミネートされるとともに、2008年にポーランドで最も権威ある文学賞「ニケ賞」を受賞した。また2018年にはこの英訳本『Flights』(翻訳はJennifer Croft)が名誉あるブッカー賞を受賞した。
作家の他の作品と一線を画す『Anna In w grobowcach świata』は国際的な出版シリーズ「Mity(神話)」の一環として作られた。このプロジェクトの参加作家(マーガレット・アトウッド他)は神話的物語に基づいた本を書く。
オルガ・トカルチュクはイナンナInanna(アンナ・イン)についてのシュメール神話を題材に取った。この豊穣と戦争の女神は、姉である冥界と死の女神の元に向かい、予想に反して生者の地上へと戻って来る。この生還はイナンナの従者であるニンシュブル(ニナ・シュブル)のおかげで可能となった。しかし生還の条件は非常に厳しく、アンナは身代わりとして誰かを冥界に置かなければならない。アンナのかつての恋人が犠牲になるはずだったが、この悲しい役の半分は彼の姉が引き受けることになった。
しかしこの小説で一番驚かされるのは神話への言及ではなく、サイバーパンクの美学を連想させる未来派的な環境で、神話の世界が生き生きと描かれていることだ。主人公たちはホログラフィックマップを使い、冥界の王国は未来派的都市の地下として表現される。ニナ・シュブルが助けを求める父なる神々は悪徳企業のテクノクラートのようである。
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オルガ・トカルチュク,撮影:クシシュトフ・ドゥビェル(Krzysztof Dubiel) / Instytut Książki
『逃亡派』は旅行書ではなく、旅の現象についての本である。記述された場所と感情的に結びついた神話的小説の後で、作家は独自の旅行心理学の研究となったこの小説で読者を驚かせた。本のタイトルは「一つのところに留まることで人は悪の攻撃にさらされる、移動し続けることで魂が救われる」と考えるロシア正教旧教派の一つのセクトの名前でもある。同様の、とはいえむしろ自由への希求に結びついた、より世俗的な動機が小説の中の個々の物語の主人公たちを導いている。
本の中に登場するのは、障害のある子どもの世話をしているが、教会で受けた啓示の影響で家に帰らない女性。死の床にある元恋人をたずねて数十年ぶりにポーランドへ帰るオーストラリアの研究者。クロアチアでの休暇中に夫の元から子どもを連れて消える母親。ポーランドに輸送されるショパンの心臓についての物語もある。17世紀の解剖学教授ルイシュとその娘、彼の標本コレクション(最終的にロシア皇帝に売却された)の物語も重要である。
『逃亡派』の後、トカルチュクは一見軽めの読み物のように思われる本を出版した。『死者の骨に鋤を通せ(Prowadź swój pług przez kości umarłych)』(タイトルはウィリアム・ブレイクの引用)は推理小説(倫理スリラー、エコロジースリラーとも呼ばれた)で、人を惹きつける形式の中に重要な教訓を伝えている:「権力連鎖の中で最も弱く、最も酷い扱いを受けている環である動物たちとの連帯は、家父長制への反対のシンボルなのです」と作家は言う。
小説の主人公ヤニナ・ドゥシェイコはかつて橋梁技術者であり、現在は田舎で英語と地理の教師や別荘の管理人をしている。占星術に興味があり、動物愛護に熱心だ。そして独自の理論を持っている。しかし簡単に予想できるように、世界は星に記されていることの反映だと考え、暇があればウィリアム・ブレイクを読んでいる女性の言うことなど、誰も気に留めない。
『死者の骨に鋤を通せ』の中でトカルチュクは、伝統的な世界が基にしている家父長制的・人間中心主義的な前提(カトリック教会はこれらのかなり保守的な考えの担い手となっている)に対する広範な批判を行い、苦しむ兄弟である動物たちの側に立っている。
2017年アグニェシュカ・ホランド(Agnieszka Holland)はこの小説を映画化。『Pokot(邦題:ポコット 動物たちの復讐)』と名付けられたこの映画はベルリン国際映画祭で初上映され、銀熊賞を受賞した。
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オルガ・トカルチュク,撮影:グラジナ・マカラ(Grażyna Makara)
この小説の後にトカルチュクはエッセイ集『Moment niedźwiedzia(熊の瞬間)』を出版。身体、性、死、ジェンダー・トラブル、ダークルームの誘惑について語っている。ミッシェル・フェイバー(Michel Faber)とマトリックスについての文章も登場する。さらに自分の旅や、恐れと陸地の地図、アムステルダムの街路、シレンジャ山(Masyw Ślęży)の地平線についても書いている。
『熊の瞬間』には現在トカルチュクの作品にとって重要だと思われるヘテロトピアのモチーフが現れている。殺害と食事の問題がなく、人間が他の存在を有用な物体として扱わず、仕事や競争、攻撃性への奴隷的執着がない世界である。
2014年には『Księgi Jakubowe(ヤクプの書物)』を出版。17世紀のポーランド・リトアニア共和国東部国境地帯を生きたユダヤ人宗教指導者のヤクプ・フランク(Jakub Frank)についての歴史小説である。トカルチュクはこの人物について2006年に既に「Twórczość(トゥフルチョシチ/創造性)」誌のコラムに書いている。『Księgi Jakubowe(ヤクプの書物)』で2015年にニケ文学賞を受賞した(2008年『逃亡派』での受賞に続く二度目)。
作家ならびにスウェーデン語に翻訳した(Jan Henrik Swahn)は2016年10月にストックホルムで国際文学賞 Kulturhuset Stadsteatern(文化センターと市立劇場)を受賞した。
執筆:パヴェウ・コジョウ(Paweł Kozioł),2008.12.更新:2012.01(mg),2018.05 GS,2019.10 JRK
日本語訳:YA、2020年3月4日