ポーランド文学にまつわる14の興味深い事実
世界でも類を見ない魅力を持つポーランド文学史。本記事でご紹介するポーランド文学に関する事実を知れば、きっと東欧文学への考え方が変わり、この地域の歴史を勉強したくなり、そして何より、ポーランドの本をもっと読みたくなるに違いありません。
1. ポーランド語で記された最古の文章は、結構フェミニスト。
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『ヘンリクフの書(Księga henrykowska)』と最古のポーランド語の文章,写真:Wikimedia
最古のポーランド語の文章は、1270年にラテン語で書かれた本の中に登場する。「Day, ut ia pobrusa, a ti poziwai」という言葉は、夫から妻へ、妻が石臼で穀物を挽いているときに語られたもので、意味は大体次のようになる。
ポーランドのフェミニズム運動の草の根が、このような過去に遡る証拠だと言う人もいるかもしれない。この一文はまだ文学ではないが、ポーランド語書き言葉の伝統の始まりとなった。なお多くの隣国の文学的伝統よりも先行している。
2. ポーランド語の文学言語は、一人の男の頭の中で作られた。
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ヤン・コハノフスキ(Jan Kochanowski)と娘のウルシュルカ(Urszulka)。ヤン・マテイコ(Jan Matejko)の絵画に基づくカジミエシュ・ヴワディスワフ・ヴイチツキ(Kazimierz Władysław Wójcicki)の素描,1876,写真:パブリックドメイン
「ポーランド文学の父」とされているのは、ポーランド語のみで執筆した最初の作家ミコワイ・レイ(Mikołaj Rej)だが、ポーランド文学を、ほぼ一人で、かつてない高みへ押し上げたのはヤン・コハノフスキ(Jan Kochanowski)(1530-1584)である。コハノフスキの筆によって、ポーランド語は成熟した優雅な文学言語を獲得し、450年後の現代読者にも完全に理解できるものになった。
1580年、娘のウルシュラの死後に書かれたコハノフスキの『挽歌(Treny)』は、ヨーロッパ・ルネッサンス文学の最高傑作に数えられている。この作品がポーランド文学に占める基礎的な位置は、英文学におけるシェイクスピアの『ソネット集』によく例えられる。ただし『挽歌』はシェイクスピア作品より30年ほど時期が早い。
3. ホラティウスに並ぶ最高のラテン語詩人はマゾフシェ生まれ。
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左:サルビェフスキ著『Lyricorum Libri』の口絵(ルーベンス画)、右:サルビェフスキの肖像画(作者不詳、チャルトリスキ・コレクション),写真:パブリックドメイン/ 構成:Culture.pl
ポーランドでは、近代に至るまで、ラテン語が文学やハイカルチャーの言語だった。ポーランド人は、古代ローマ人の言語を操る優れた雄弁家であり詩の名手とされていた。コハノフスキやフッソフスキ(Hussowski、Hussowczyk、Hussoviusとも)によるラテン語詩集はヨーロッパで流通し、サルビェフスキ(Sarbiewski;筆名はSarbievius)はホラティウス以来最高のラテン語詩人とされ、この古代ローマの偉人を凌ぐとさえ考える者もいた。
「サルマチアの(sarmacki)」あるいは「キリスト教の」ホラティウスと呼ばれたサルビェフスキ(1595-1640)は、マゾフシェ地方のサルビェヴォ(Sarbiewo)に生まれた。ローマに遊学した後、ヴィリニュス大学で修辞学と神学の教授になった。17世紀末にはヨーロッパ諸国で30以上の詩集が出版されていた。1622年には、比類なき詩の才能を認められ、ローマ教皇から桂冠詩人(Poeta Laureatus)の称号を授けられている。
4. ポーランド語にはマカロニ体があった。
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マカロニック言語として知られるポーランド語とラテン語の混交体は、ポーランド貴族の政治集会で話されていた。J. P. ノルブラン(Norblin)による素描,写真:Wikimedia Commons
17世紀から18世紀にかけて、ポーランド語とその文学は消滅の危機に瀕していた。この時代のポーランド作家たちは、マカロニ体と呼ばれる非常に独特の言語の形を生み出した。
「マカロニ体」とはポーランド語とラテン語の混交体のことで、ラテン語がポーランド語の文構造や語順に強い影響を与えていた。この多言語文体は政治集会や法廷だけでなく、学校や宮廷でも話され、作家の日記や作品の中にも登場した。奇妙な語法は広く浸透し、「ポーランド人の第三の言語」(第二はラテン語)と呼ばれることもあった。
マカロニ体の伝統は、19世紀、そして20世紀に入ってからも活発で生産的な文学的実践であり続け、ヘンリク・シェンキェヴィチ(Henryk Sienkiewicz)やヴィトルト・ゴンブロヴィチ(Witold Gombrowicz)の作品に文体表現上の目的で用いられた。
5. ポーランド文学は、ポーランド語の文学とは限らない。
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何世紀もの間、数多くの文化や民族のるつぼであったポーランド・リトアニア共和国では、ラテン語、ヘブライ語、イディッシュ語、ウクライナ語、ベラルーシ語、リトアニア語、タタール語、ロマ語といった様々な言語で書かれた文学が開花した。
ポーランドで発展した新しい言語の一つにエスペラント語があり、その文学もポーランドで盛んになった。おそらく最も重要なイディッシュ語は、16世紀からポーランド領内で発展し、イツホク・レイブシュ・ペレツ(I.L. Peretz)やアイザック・バシェヴィス・シンガー(I.B. Singer)など、イディッシュ語の重要な作家の多くはポーランド出身である。
さらにややこしいことに、この「非ポーランド語文学」の最も有名な本は、おそらく、19世紀初頭にフランス語で書かれたヤン・ポトツキ(Jan Potocki)の『サラゴサ手稿(Manuscrit trouvé à Saragosse / Rękopis znaleziony w Saragossie)』なのである。
6. ポーランド文学は、様々な背景を持つ作家たちによって書かれた。
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逆の視点から見れば、何世紀にもわたってポーランド文学は様々な国籍や民族の作家によって書かれてきた。イツホク・レイブシュ・ペレツ、ヤンカ・クパーラ(Yanka Kupala)、ヨーゼフ・ロート(Joseph Roth)のような作家は、他の言語で代表的な作家となる前に、初期の作品をポーランド語で書いていた。
7. 近代ポーランド文学は現在のベラルーシとウクライナで生まれた。
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《きのこ狩り(Grzybobranie)》,フランチシェク・コスチェフスキ(Franciszek Kostrzewski),1860,写真:パブリックドメイン
ポーランドでロマン主義運動のきっかけとなったアダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz)の初期のロマン派バラードは、ベラルーシの民話に着想を得ている。ミツキェヴィチの初期作品にはベラルーシ語からの借用が多いことから、その言葉を「野蛮」だとみなした同時代人も少なくなかった。また、初期のポーランド語の脱線詩(poemat dygresyjny)(詩的小説)であるアントニ・マルチェフスキ(Antoni Malczewski)の『Maria(マリア)』は、作家がウクライナの風景に魅せられたことから生まれ、この地域の歴史は、ユリウシュ・スウォヴァツキ(Juliusz Słowacki)の多くの戯曲に影響を与えている。
伝統的にクレスィ(Kresy)(辺境)と呼ばれた、共和国の「エキゾチックな」東部国境地帯は、シェンキェヴィチの三部作(Trylogia)をはじめ、何世代にもわたる作家たちのインスピレーションの源となった。そして、この複雑な文学地図をさらにややこしくしているのが、アダム・ミツキェヴィチの叙事詩『パン・タデウシュ(Pan Tadeusz)』の冒頭「リトアニアよ!わが祖国!汝は健康に似ている」という言葉だ。この言葉は今でもポーランドの小学生は必ず暗記していて、ポーランド文学の中で最も有名な一節となっている。
8. ポーランド文学は政治亡命者によって書かれた。
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19世紀ポーランドの亡命詩人ツィプリアン・カミル・ノルヴィットによる素描《Ipse ipsum》の一部
のちにポーランド文学のカノンを形成する代表的な作品の多くは、ポーランド国外で書かれた。国の分割(18世紀末)とそれに続く国民蜂起(19世紀)の悲惨な影響により、何度も大規模な移民(および流刑など)の波が引き起こされた。このため、アダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz)、ユリウシュ・スウォヴァツキ(Juliusz Słowacki)、ツィプリアン・カミル・ノルヴィット(Cyprian Kamil Norwid)といった作家たちは、生涯の大半を亡命者として過ごし、ついにポーランドに戻らなかったのである。19世紀のポーランド移民の中には、他の言語で古典作家となった者もいる…ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)のように。
第二次世界大戦中から戦後にかけて、歴史は繰り返された。共産主義体制が敷かれたことで、再び多くの作家が亡命したのだ。ゴンブロヴィチ、アンジェイ・ボプコフスキ(Andrzej Bobkowski)、グスタフ・ヘルリンク=グルジンスキ(Gustaw Herling-Grudziński)、少し後にはチェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)がそうである。そしてすべてが収まったと思われたとき、ポーランド文学はまたもや国外で書かれるようになった。ポーランドのEU加盟に伴う人々の自由な移動や経済的移民により、ポーランド文学は再び、イギリス、アイルランド、アイスランド、ドイツ、マン島などで書かれている。
9. ポーランド文学は秘密の暗号で書かれている。
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「ヴェロニカのヴェール」はポーランド文学を読み解く鍵となるか?目を細めてよく見てみると…,画:ガブリエル・フォン・マックス(Gabriel von Max),出典:Wikimedia
19世紀のポーランドでは、分割後の政治状況の中、まったく新しい文学的戦略が生まれた。検閲を回避する文学的装置の中でも特に重要なものに、いわゆる「イソップ言語(Aesopian language)」がある。19世紀を通じて検閲をかいくぐるために、引喩、シンボル、アレゴリー、暗示、意図的な省略などの精巧なシステムを用いて、情報を暗号化する方法が用いられたのである。外部の者には見えず、知識のある者(つまりポーランド人)と行間を読む能力を持った者だけに、幅広い意味のすべてが開かれていた。ポーランド小説の最高峰と考えられているボレスワフ・プルス(Bolesław Prus)の19世紀の傑作『人形(Lalka)』もこの言語で書かれている。
第二次世界大戦後、ソ連の傀儡である共産主義政権が検閲を課したとき、この戦略が復活したのは意外なことではなかった。ポーランドの作家は再びイソップ言語を使い、歴史小説等の体裁を取りながら、暗示やアレゴリーを駆使した。これはルポルタージュにもあてはまる。エチオピアを描いた有名なルポルタージュ、リシャルト・カプシチンスキ(Ryszard Kapuściński)の『皇帝(Cesarz)』は、ポーランドでは常に、共産党第一書記エドヴァルト・ギェレク(Edward Gierek)の権威的な支配の風刺として読まれてきた。
10. ポーランドにはフェミニスト文学の強力な伝統があるが、まだ十分に見出されていない。
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ズザンナ・ギンチャンカ(Zuzanna Ginczanka),1938,写真:Muzeum Literatury(文学博物館) / East News
ポーランドの男性が国民蜂起で戦い、秘密の陰謀に関与して亡命を余儀なくされる(あるいは流刑等になる)一方で、ポーランドの女性は、多くの場合、一人取り残され、占領下の過酷な日々の現実と直面することになった。夫や息子がいなくなった後、女性の多くは家族の責任を負うことになった。そして自分たちの独特の立場を体現した文学を作り出した。
ナルツィザ・ジュミホフスカ(Narcyza Żmichowska)の作品をはじめ、19世紀ポーランドの女性の文章はフェミニスト文学の逸品となっている。20世紀初頭には、ピョトル・オドミエニェツ・ヴワスト(Piotr Odmieniec Włast)(ある時期まで出生名のマリア・コモルニツカ(Maria Komornicka)で執筆)の作品やトランスジェンダーのユニークな伝記的体験の中に、ジェンダー視点が取り入れられた。ゾフィア・ナウコフスカ(Zofia Nałkowska)の20世紀の小説は、ポーランド戦間期の女性の社会的体験を取り上げ、ズザンナ・ギンチャンカ(Zuzanna Ginczanka)はホロコーストの犠牲となる前に、詩の中で画期的で急進的なフェミニストの視点を開拓した。そしてアンナ・シフィルシチンスカ(Anna Świrszczyńska)は、20世紀後半の忘れられたフェミニスト古典作家と言える。その官能的な詩は、文学の殿堂にいまだに正当な位置を占めていない。
11. ポーランド文学は第二次世界大戦とホロコーストによって再定義された。
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《Rozstrzelania(射殺)VIII(シュルレアリスム)》,アンジェイ・ヴルブレフスキ(Andrzej Wróblewski)作,1949,キャンバスに油彩,ワルシャワ国立美術館蔵,写真:同美術館
ポーランド文学は、世界でもいち早く、第二次世界大戦とホロコーストの現実を表現する可能性を探った文学である。ゾフィア・ナウコフスカ(Zofia Nałkowska)の『メダリオン(Medaliony)』(1946)やタデウシュ・ボロフスキ(Tadeusz Borowski)の『皆さま、ガス室へどうぞ(Proszę państwa do gazu)』は最も早い時期の、そして最も恐ろしいホロコーストの証言である。
第二次世界大戦の残虐行為を書いた作家には、タデウシュ・ルジェヴィチ(Tadeusz Różewicz)、ミロン・ビャウォシェフスキ(Miron Białoszewski)(『Pamiętnik z powstania warszawskiego(ワルシャワ蜂起の回想)』)、レオポルト・ブチュコフスキ(Leopold Buczkowski)(『Czarny potok(黒い奔流)』)がいる。グスタフ・ヘルリンク=グルジンスキ(Gustaw Herling-Grudziński)はソビエト・グラグ(強制労働収容所)での生活の個人的な記録(『Inny świat(別世界)』)を最初期に書いた作家の一人である。このテーマは他の多くのポーランド作家によっても、先駆的かつ芸術的に挑戦的な方法で探求された。
第二次世界大戦、全体主義体制、ホロコーストの負の遺産は、ハンナ・クラル(Hanna Krall)やヘンリク・グリンベルク(Henryk Grynberg)をはじめ、現代作家の作品でも取り上げられ続けている。
12. 「ポーランド派ルポルタージュ」は独自のブランドである。
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リシャルト・カプシチンスキ,ワルシャワ,1981年5月,写真:Krzysztof Wójcik / Forum
第二次世界大戦後、50年近く鉄のカーテンに閉ざされていたにもかかわらず、ポーランドの作家は外の世界と複雑な関係を築いていた。リシャルト・カプシチンスキやハンナ・クラルといった作家たちが、「ポーランド派ルポルタージュ」と呼ばれるノンフィクション文学の伝統を確立し、これは今日でもマリウシュ・シチギェウ(Mariusz Szczygieł)やヴィトルト・シャブウォフスキ(Witold Szabłowski)といった作家/記者に受け継がれている。
13. ポーランド文学はポーランドについてのものではない。
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スタニスワフ・レムの小説を基にしたアンドレイ・タルコフスキー監督SF映画『惑星ソラリス』(1972)のポスター,写真:Getty Images
ポーランド文学の主な関心事はポーランドだというのは、ポーランド文学に対するよくある非難である。確かに一理あるが(その理由は分割統治時代に求められるかもしれない。項目9を参照)、このステレオタイプを覆す作家もいる。
例えば、ブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz)である。第二次世界大戦の直前に、ユダヤ人のシュテットル(小さな町)の世界を、マジックリアリズムを思わせる手法で描いた。SFの巨匠スタニスワフ・レム(Stanisław Lem)は私たちが生きる未来を予言した。「ポーランドのポー」「ポーランドのラヴクラフト」の異名を持つステファン・グラビンスキ(Stefan Grabiński)は20世紀初頭の怪奇作家で、鉄道や電気といったテクノロジーの発現に不気味さを求めた。
リヴィアのゲラルト、つまりアンジェイ・サプコフスキ(Andrzej Sapkowski)の『ウィッチャー(Wiedźmin)』を生んだファンタジー文学も忘れてはならない。ビデオゲーム化の成功によって、今や最も有名なポーランド文学の登場人物となった。これもストリガ以外は、ポーランドとあまり関係がない。
14. ポーランドは文学大国である。
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ノーベル賞授賞式でのヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska),写真:Forum
執筆:ミコワイ・グリンスキ(Mikołaj Gliński),2018年
日本語訳:パヴェウ・パフチャレク(Paweł Pachciarek)、YA、2021年9月
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