美の場所・記憶の場所――ポーランドのユネスコ世界遺産
ユネスコ世界遺産は、文化的な価値や自然における重要性が著しいと認められた、人類共通の財産。ポーランドでは現在17か所が世界遺産リストに登録され、そのうち最初の二つが1978年、最新のものは2021年に登録された。ポーランドが誇る素晴らしい世界遺産へ、ようこそ!
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クラクフ中央市場広場の眺め。写真:Jacek Ociepa / AG
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1978年、ユネスコ世界遺産(UNESCO World Heritage Sites)リストに真っ先に登録された場所の一つ、クラクフの旧市街(Stare Miasto)に、余計な説明は要らない。市の中心部にあふれる古き良き時代の魅力は、世界中から観光客を引き寄せている。このエリアはヨーロッパ最大の中世の町の広場であるルィネク・グウヴヌィ(Rynek Główny)、つまり中央市場広場の周りに広がっている。
ルィネクは常に活気にあふれ、季節や時間にかかわらず、カフェや馬車が観光客を惹きつけてやまない。旧市街のこの広場には、美しい古い石造りの住宅建築や、聖マリア大聖堂(bazylika Mariacka)、聖ヴォイチェフ教会(kościół św. Wojciecha)、上階が国立美術館となっているルネサンス様式の織物会館(Sukiennice)や市庁舎塔(Wieża Ratuszowa)をはじめ、たくさんの歴史的建造物がある。
クラクフの「王の道(Droga Królewska)」は聖フロリアン教会(kościół św. Floriana)に始まり、中央市場広場をまっすぐ突き抜けてクラクフ城門(Barbakan)を通過し、ポーランド王や女王が眠る、重々しいヴァヴェル城(Zamek Królewski na Wawelu)へと続いている。
2. ヴィエリチカとボフニャ王立岩塩坑
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ヴィエリチカ製塩所博物館の展示。写真:Bartek Papież
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Wystawa Geologia złóż solnych, Muzeum Żup Krakowskich Wieliczka, fot. Bartek Papież
クラクフからそう遠くないところに、700年の歴史を誇る世界遺産、ヴィエリチカ岩塩坑(Kopalnia Soli Wieliczka)がある。13世紀に採掘が開始された、ヨーロッパ最古の岩塩坑だ。15世紀には、最初の観光客がその奥深くまで探検したという。
ヴィエリチカ岩塩坑の特徴は、300キロメートルにわたって延々と続く、稀に見る地下の都。曲がりくねった廊下、きらめく彫像やシャンデリア、礼拝堂、そして舞踏ホールまで――これらすべてが、塩で作られ、彫刻されている!
ここはユネスコ世界自然・文化遺産リストの最初の12の指定場所の一つとして登録された。そして2013年、ヴィエリチカ岩塩坑の延長であるボフニャ王立岩塩坑(Kopalnia Soli Bochnia)が、ユネスコ世界遺産リストに追加された。
3. アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館、ナチスドイツ強制・絶滅収容所
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アウシュヴィッツ強制収容所の門。写真:Getty Images
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アウシュヴィッツ=ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)は、第二次世界大戦中、ポーランドを占領したナチスドイツがこの国に設置した6つの強制収容所・絶滅収容所のうち最大の施設。この場所を構成していた40以上の個々の収容所で、強制労働や110万人を超える人々の拷問・殺害が行われていた。大量殺戮の被害者の大部分はポーランドやヨーロッパ全土のユダヤ人だった。
人道に対する罪の証拠として、第一アウシュヴィッツ収容所と第二アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所は、1979年にユネスコ世界遺産として登録された。ユネスコのウェブサイトは次のように説明している:
これはホロコースト、人種差別政策と蛮行についての、全人類の記憶の重要な場所である。人間の歴史におけるこの暗い章の集合的な記憶、若い世代への伝達、そして極端なイデオロギーや人間の尊厳の否定がもたらす多くの脅威や悲劇的な結果に対する、警告の印の場所である。
4. ビャウォヴィェジャの森
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ビャウォヴィェジャの森。写真:Jarosław Chyra / 広報資料
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Białowieża Forest, Photo by Jarosław Chyra / press release
昔々、ポーランドの大地は鬱蒼とした古代の森に覆われていた。ポーランドのもっとも貴重な自然の驚異の一つであるビャウォヴィェジャ(Białowieża)の森は、今日、ヨーロッパ平野に広がる巨大な原生林の最後、そして最大の一部をなしている。
ベラルーシの奥深くまで広がるビャウォヴィェジャの森のポーランド部分は、105平方キロメートルに及ぶビャウォヴィェジャ国立公園として保護されている。その生物多様性により、この公園はまさにかけがえのない場所。公園のウェブサイトによれば、次のような生き物が生息している:
809種の維管束植物、3000種を超える隠花植物と菌類、約200種のコケ類、283種の地衣類。〔…〕8000種を超える無脊椎動物、およそ120種の繁殖鳥類と52種の哺乳類。
1979年にユネスコ世界遺産に登録されたこの森には、ヨーロッパで最も重量のある陸上動物で、ヨーロッパ・バイソンとして知られるジュブル(żubr)も生息している。
5. ワルシャワ歴史地区
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ワルシャワ旧市街広場。写真:Jan Włodarczyk / Forum
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ポーランドの首都ワルシャワは、世界中からやってくる観光客で賑わう、美しい旧市街を誇る。しかしクラクフの中央市場広場とは異なり、ワルシャワの広場は1944年8月に勃発したワルシャワ蜂起の際、ナチスドイツ軍にほぼ完全に破壊された。では、なぜ今でもここにあるのだろうか?
それは戦後、ワルシャワ市民の組織した復興運動により、石造りの住宅建築、教会や市場広場をはじめとする旧市街が、細部に至るまで修復されたため。13世紀から20世紀にわたるこの街の建築史をほぼ完全に再現した、素晴らしい例となっている。
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ワルシャワ歴史地区は、意図的に完全に破壊された街を包括的に復元した、稀に見る例である。物質的な再建事業の土台となったのは、ポーランド国民の内なる強さと決意であり、これによって世界史上、類を見ない規模での遺産の再建が可能となった(ユネスコのウェブサイト)。
ワルシャワ旧市街は1980年、ユネスコ世界遺産リストに登録された。
6. ザモシチ旧市街
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ザモシチの旧市街は、実に古い!中央ヨーロッパのルネサンス様式の街、ポーランド南東部に位置し、人口10万人未満のこの都市は、16世紀、西ヨーロッパと北ヨーロッパを黒海と結ぶ貿易ルートとして設立された。様式的に均質なこの街の構造は、創建者ヤン・ザモイスキ(Jan Zamoyski;1542-1605)とイタリア人建築家ベルナルド・モランド(Bernardo Morando;ca. 1540-1600)により、イタリアの「理想の街」の理論に従って計画された。
ザモシチは1582年から1591年にかけて建設され、主にバロック期に形成された。人口を増やすため、ザモイスキはルテニア人(正教徒のスラヴ人)、トルコ人、アルメニア人やユダヤ人をはじめとする、さまざまな国籍や宗教の商人を呼び寄せた。また、街に独自のアカデミーも設立した。
幸運にも、ザモシチは第二次世界大戦の破壊を免れた。旧市街には元来の配置や要塞が見られ、イタリアと中央ヨーロッパの建築伝統を組み合わせた数多くの建物も残っている。1992年にユネスコ世界遺産リストに登録。
7. マルボルクのドイツ騎士団の城
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マルボルクのドイツ騎士団の城。写真:B. & L. Okońscy
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Castle of the Teutonic Order in Malbork, Photo by: B. and L. Okońscy
中世のレンガ造りの城、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)総長の本拠地だったマルボルク城(Zamek w Malborku)は、ドイツ騎士団の経済・軍事・統治の中心をなした。世界最大の城(面積を図った場合)であるとともに、ヨーロッパ最大のレンガ建築だ。
ドイツ騎士団によって1270年頃に建てられたこの城は、ポーランド北部、ノガト(Nogat)川沿いに位置する。ユネスコはこの城が「神聖さと暴力という、両極端の間で引き裂かれた、中世後期キリスト教のドラマを表している」と述べ、1997年に世界遺産リストに追加した。マルボルク城は、ドイツ騎士団によるバルト人への洗礼の強制と、バルト諸部族の領地の植民地化という、ヨーロッパ史における重要な出来事を象徴している。
第二次世界大戦の末期に多大な損害を被ったこの城は、見事な再建を果たし、社会的な側面、また科学的・芸術的な分野の双方で、保存活動の記念碑的な存在となっている。
8. 中世都市トルン
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トルン旧市街の市庁舎をのぞむパノラマ風景。写真:Tytus Żmijewski / PAP
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ミコワイ・コペルニク(Mikołaj Kopernik/ニコラウス・コペルニクスNicholaus Copernicus;1473-1543)と美味しいピェルニキ(pierniki)つまりジンジャーブレッドの故郷として知られるトルンは、観光客にはあまり知られていないが、注目されるべき街。トルンの最初の集落は8世紀に遡り、ポーランドでもっとも古い都市の一つだ。13世紀にドイツ騎士団によって拡張され、17世紀までに、さまざまな背景を持つ人々が近隣・遠方から集まる、重要な交易拠点となった。街の建築様式はこの多様性を反映し、レンガ造りのゴシックからマニエリスム〔マニエリズモ。尺度や遠近法を誇張してゆがめる、ルネサンス後期の美術・建築様式〕、バロックまで多岐にわたる。近世にはポーランドでもっとも大きな4都市の一つで、王領に位置していた。
トルンは第二次大戦で被害を全く受けなかった数少ないポーランド都市の一つ。旧市街は完全に保存されており、これはポーランドではかなり珍しい。1997年、この街の中世に作られた部分がユネスコ世界遺産に登録された。
9. カルヴァリア・ゼブジドフスカ――マニエリスム建築と公園が織りなす景観および巡礼公園
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カルヴァリア・ゼブジドフスカ、キリスト受難の秘蹟。写真:Adam Golec / AG
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「カルヴァリア(Calvaria)」はイエス・キリストが磔刑を受けた丘、「ゴルゴタ(Golgota)」のラテン語表記。そこから、キリスト受難の地を象徴する丘の上に建てられた教会や礼拝堂の複合施設を指すようになった。カルヴァリア・ゼブジドフスカ(Kalwaria Zebrzydowska)は、ポーランド最古のカルヴァリアで、訪問者数も最も多い。面積は6平方キロメートルで、長さ5キロの巡礼ルートがある。
このカルヴァリアはクラクフ領主、ミコワイ・ゼブジドフスキ(Mikołaj Zebrzydowski;1553-1620)の発案によって、エルサレムにある元来の丘にできるだけ近づけるように建設された。
ここでは毎年、聖週間〔復活祭(イースター)前の1週間〕にキリストの受難にまつわる行事を舞台にした「受難劇」が上演される。カルヴァリア・ゼブジドフスカの劇は世界中で知られ、例年、10万人にも上る巡礼者が訪れている。
1999年、カルヴァリア・ゼブジドフスカはその景観と文化的、芸術的、そして宗教的な価値により、ユネスコ世界遺産に登録された。
10. ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群
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ヤヴォルの平和教会。写真:Wojciech Wojcik / Forum
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シロンスク地方のヤヴォル(Jawor)とシフィドニツァ(Świdnica)の「平和教会(Kościół Pokoju)」の名は、1648年のウェストファリア条約締結後につけられた。宗教的な寛容を象徴的に表し、三十年戦争(1618-1648)の終結を飾る役目を果たした。ハプスブルク家のフェルディナント3世(Ferdinand III;1608-1657)が公布した規定により、形状をローマ・カトリック教会に似せてはいけない等、諸条件下の建築だった。
ヴロツワフを拠点としていた建築家、アルブレヒト・フォン・ゼービッシュ(Albrecht von Säbisch;1610-1688)によって設計されたこれらの教会は、外観は質素だが、何層にもなったマトロネウム〔中二階に作られた空間〕を備えたバロック様式の内装が、劇場を思わせる。ヤヴォルの教会には、旧約聖書と新約聖書のさまざまな場面を描いた180点の絵画が飾られている。一方、シフィドニツァの教会にある絵画には、終末論的な光景や、周囲の街の全景が描かれている。
350年以上の時を経て、これら二つの美しい木造建築物は、今も変わることなく立っている(残念ながら、グウォグフ(Głogów)に建てられた3つ目の平和教会は1758年に焼け落ちてしまった)。2001年にユネスコ世界遺産リストに登録。
11. マウォポルスカ南部の木造聖堂群
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センコヴァ(Sękowa)の聖ピリポと聖ヤコブ教会(Kościół św. Filipa i św. Jakuba)。写真:Roman Pach / Forum
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Kościół św. Filipa i św. Jakuba w Sękowej, fot. Roman Pach / Forum
「それらの教会は、われわれの風景からあっという間に消えてしまう。毎年のように燃えてしまうからだ」。ポーランドの木造教会について、劇作家・画家のスタニスワフ・ヴィスピャンスキ(Stanisław Wyspiański;1869-1907)が友人への手紙の中でこう書いている。残念なことに、ポーランドは教会、シナゴーグやツェルキェフ(東方教会)、モスク等、繊細な作りの多くの木造建築の聖堂を喪失している。
マウォポルスカ地方の南部にある木造聖堂群は、ビナロヴァ(Binarowa)、ブリズネ(Blizne)、デンブノ(Dębno)、ハチュフ(Hachów)、リプニツァ・ムラノヴァ(Lipnica Muranowa)とセンコヴァ(Sękowa)の各町にある。この地方の木造教会様式は16世紀末に由来し、ゴシック様式の装飾と細部の多色彩飾(ポリクローム)に始まる。その後の建築は、ロココ様式やバロック様式の影響を示している。
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マウォポルスカ南部の木造聖堂群は、ローマ・カトリック教会の中世の教会建築の伝統の様々な側面を見せてくれる、優れた例である。中世以来、東欧・北欧で広く用いられてきた、水平に丸太を積み上げる手法で建てられている(ユネスコ)。
これらのユニークな建造物は、2003年にユネスコ世界遺産リストに登録された。
12. ムジャクフ公園(ムスカウ公園)
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ムジャクフ公園(ムスカウ公園)。写真:Albin Marciniak / Forum
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ポーランドでムジャクフ公園(Park Mużakowski)、ドイツではムスカウ公園(Muskauer Park)として知られるこの公園は、両国でそれぞれ最大、またもっとも有名なイギリス式庭園の一つだ。ポーランドとドイツの国境に位置し、ポーランド側の面積が3.5平方キロメートル、ドイツ側は2.1平方キロメートル。両国共同のユネスコ遺産だ。
1815年、イギリスで学んだヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ(Hermann von Pückler-Muskau;1785-1871)侯爵の命によって造園が開始された。侯爵はのちにバート・ムスカウ(Bad Muskau)に国際景観管理学校を設立し、「これまでになかったような大きな規模で」この町を包み込む、広大な景観公園の建設を構想した。
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〔ムジャコフスキ公園(ムスカウ公園)は〕ポーランドとドイツによる、国境を超えた文化協力の好例である。〔…〕理想的な人工景観の開発においてヨーロッパの景観公園に新境地をもたらした、優れた例である(ユネスコ)。
2004年7月、ムジャクフ公園(ムスカウ公園)はユネスコ世界遺産リストに登録された。
13. 百周年記念ホール
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百周年記念ホール。写真:Marek Sorupski / Forum
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革新的な建築家、マックス・ベルク(Max Berg;1870-1947)によって設計された百周年記念ホール(Hala Stulecia)〔ドイツ語名はJahrhunderthalle。ナポレオン戦争の最大の戦闘の一つであった1813年のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)百周年を記念して建設〕は、1911年から1913年にかけて、現在ヴロツワフ市内にある島〔オドラ川(ドイツ語名はオーデル川)にある〕に建てられた。当時、この街はドイツ帝国の一部で、ブレスラウ(Breslau)と呼ばれていた。このような珍しい、余暇用の多目的な建物が造られたことからもわかるように、ブレスラウはドイツにとって戦略的な位置にある、肝要な地方の中心都市として重要視されていた。
ベルクが計画を公表した時、このような構造の建物を建設することが可能とは誰も考えなかった。ドームが完成し、足場や板が取り除かれた時も、多くの人々は、建物がいずれ崩壊すると信じて疑わなかった。鉄筋コンクリートの構造が、直径67メートル、高さ42メートルの巨大なドームを支えることは到底できないと考えたのだ。
ブレスラウの街は1945年、3か月間続いたソ連軍による包囲で多大な損害を被ったが、百周年記念ホールは大部分が無事だった。1997年と2010年に大規模な改修工事が行われ、建物は現在、カンファレンスや展示会、コンサート、演劇の公演を始めとする各行事の会場となっている。2006年にユネスコ世界遺産リストに登録。
14. ポーランドとウクライナのカルパチア地方の木造教会群
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クフャトン(Kwiatoń)の聖パラスケヴァ教会(Cerkiew św. Paraskewy)。写真:ポーランド国家遺産インスティテュート
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Tserkva of St. Paraskevia in Kwiatoń, photo: National Heritage Institute
2013年、ポーランドとウクライナのカルパチア地方にある、木造のギリシャ・カトリック教会〔東方典礼カトリック教会(合同教会、帰一教会とも言われる)。ローマ教皇の権威を認めつつ、ローマ・カトリック教会が執り行うラテンの典礼儀式ではなく、東方諸教会の典礼様式(ビザンティウム様式)と伝統を維持する〕の聖堂がユネスコの世界遺産リストに登録された。
カルパチア山脈がウクライナとの国境にそびえるポーランド南東部には、東方正教会とギリシャ・カトリック教会の遺産を体現する16の教会があり、4つの民族グループの文化を表している。
主に針葉樹の材木を用いて、丸田を水平に積み上げる技法によって建てられたこれらの教会は、石造りの土台、板葺の屋根、またドームに覆われた三部構成の内部を備えている。ユネスコ世界遺産に選ばれたこれらの建物は、何世紀にもわたって宗教的な役割を果たしてきた。
そのうちもっとも古いものは16世紀に建てられ、このような構造を持つ建物は、世界の他の地域には存在しない。
15. タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山と地下水管理システム
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「黒い鱒」横坑ルートのフリデリク水平坑道。写真:タルノフスキェ・グルィ歴史的銀鉱山提供
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Fryderyk gallery - Black Trout Adit tourist route; photo: courtesy of the Historic Silver Mine in Tarnowskie Góry
2017年、上シロンスク地方タルノフスキェ・グルィ(Tarnowskie Góry)の歴史的な鉱石採掘場、採掘室、通路や坑道が複雑にめぐらされた地下迷宮が、ユネスコ世界遺産リストに正式に登録された。
伝説によれば、タルノフスキェ・グルィで最初に鉱石の塊が掘り起こされたのは1490年で、「銀への熱狂」を引き起こしたという。この地域では何世紀もの間、鉱石の採掘が活発に行われていた。2万本以上の坑道があり、主な坑道は合わせて数十キロメートル。地下迷宮は通路、水路や排水トンネルを含めると、全体で150キロメートルだ。
鉛・銀・亜鉛鉱山の地下複合体に加えて、ユネスコはその他、鉱山に関連する28の事物もリストに加えている。その中には立坑〔垂直に掘り下げた坑道〕や有名な「黒い鱒」横坑(Sztornia Czarnego Pstrąga;英語名はBlack Trout Adit)を始めとする横坑〔ほぼ水平に掘られた坑道〕、スタシッツ給水場、19世紀の採掘跡の景観やミェイスキ公園(Park Miejski)などがある。
16. クシェミョンキの先史時代の縞状燧石採掘地域
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クシェミョンキ・オパトフスキェ。写真:Dominika Zarzycka / Alamy Stock / PAP
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2019年7月6日、ユネスコ世界遺産の名誉あるリストに、新しくポーランドの遺跡が追加された。クシェミョンキ(Krzemionki)〔クシェミョンキ・オパトフスキェ(Krzemionki Opatowskie)〕の燧石(火打石、フリント)鉱山だ。
クシェミョンキは、ポーランド南東部にある新石器時代と青銅時代の燧石鉱山群。イギリスのグリムズ・グレイヴズ(Grimes Graves)やベルギーのスピエンヌ(Spiennes)とともに、ヨーロッパで現存する先史時代の最大の鉱山群の一つだ。採掘地の面積は78.5ヘクタールにもなる。鉱山には4,000本以上の立坑があり、多くは横坑で結ばれている。中には、新石器時代の絵が壁面に刻まれているものもある。
燧石鉱山は主に紀元前3900年から紀元前1600年の間に採掘され、縞状燧石は斧やノミを作るために用いられた。クシェミョンキの燧石鉱山採掘は紀元前1800年から紀元前1600年の間に衰廃し始め、その後、クシェミョンキの採掘地域はほぼ忘れ去られていた。鉱山が再発見されたのはなんと1913年になってからのこと。
17. カルパチア山脈とヨーロッパ各地の原生ブナ林
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サン川沿いのビェシュチャディ原生林、トフォリルチク渓谷のブナ林。ビェシュチャディ国立公園の一部。写真:Jacek Łagowski / Forum
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2021年7月末、世界遺産委員会は、ユネスコ世界遺産リストに4つの場所を追加し、ヨーロッパ各地にまたがる既存の自然遺産について拡張を行った。
カルパチア山脈とヨーロッパ各地の原生ブナ林がヨーロッパ10カ国分、拡張されたことで、この素晴らしい遺産の普遍的な価値と全体性が高められた。現在はポーランドを含む18カ国と94の要素によって構成されている。
ブナ林はほぼ手つかずのまま。広範囲にわたる包括的な生態学的パターンを示している。
執筆:ニツァン・ライスナー(Nitsan Reisner)、編集:LD、2019年4月、改訂:2022年1月
出典:Culture.pl、ユネスコ、その他資料
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2024年7月