愛国心、受難とメシアニズム

ヤツェク・マルチェフスキ《エッレナイの死》、1883年、キャンバスに油彩。写真:国立クラクフ美術館
マルチェフスキの絵画作品は、繰り返し現れ、形を変えて展開され、互いに絡み合い続けるいくつかの主題に集中している。彼の想像力はこれらの主題を中心に繰り広げられ、それらを異なる方法で幾度も組み直していった。象徴的であるためきちんと捉えがたい、同じ内容の様々な側面に、絶えず鋭く切り込んだのである。あるモチーフの変種やニュアンスは、そのテーマに捧げられた一連の絵画やシリーズの中で増殖されていった。マルチェフスキの絵画作品を特徴づけるいくつかの主題ごとのシリーズは、同一の形を取って共存し、物語の筋を交差させて絡み合わせることで、互いの内容を深めた。
既に1870年代、パリ滞在の時から、ロマン主義詩人ユリウシュ・スウォヴァツキ(Juliusz Słowacki; 1809-1849)の詩「アンヘッリ(Anhelli)」に着想を得た愛国・殉教的な一連の絵画の構想が生まれ、1890年代初めに様式を変えて発展した。初期の作品では、ロシア帝国支配者によってシベリア流刑に処せられた、独立を望む武装蜂起参加者たちの生活が、写実主義の精密さと鋭い客観性によって表されている。そこでは、シベリアに向かう疲労困憊した受刑者が行進の途中で休む場面、祈り、回想や物思いの時間、命を落とした仲間の死を弔う瞬間などが描かれている。《炭鉱の日曜日(Niedziela w kopalni)》(1882)、《移送の途(Na etapie)》(1883)、《移送の途――シベリア流刑囚(Na etapie. Sybiracy)》(1890)、《シベリア流刑囚(Sybiracy)》(1891)、《移送の途での死(Śmierć na etapie)》(1891)がその例だ。茶、灰色、緑を主とした抑制された色使いが、断片的で混み合った構図と光による劇的な効果とともに、これらの場面に郷愁を呼ぶ雰囲気を作り出している。いくつかの作品では、写実主義者マルチェフスキの鋭い視点が、キリスト教絵画の宗教図像学的な要素と融合し、流刑者の運命の過酷な現実が、終末論的な次元を獲得している。これには例えば《足を洗う(Umywanie nóg)》(1887)や《シベリアのクリスマスイヴ(Wigilia na Syberii)》(1892)が挙げられる。
スウォヴァツキの作品を透徹する神秘主義と、苦難の経験によって民族の復活が未来に達成されるというメシアニズム信仰〔ポーランドによる国家主権の喪失と度重なる武装蜂起の失敗をキリストの受難になぞらえ、ポーランド民族がその苦難により神の啓示を得て、民族の復活を導くメシアが現れるとする、救世主待望の信仰〕は、スウォヴァツキの詩「アンヘッリ」の内容に直接言及した作品、《エッレナイの死(Śmierć Ellenai)》(1883)に反映されている。エッレナイ〔シベリアに流刑となった女罪人・悔悟者〕のモチーフはマルチェフスキの後の作品にも構図や様式を変えて出現する。1906年から1908年にかけて制作され、同様に《エッレナイの死(Śmierć Ellenai)》と題された4枚の絵の中心となる要素である。この連作には、日露戦争(1904-1905)勃発で掻き立てられた祖国復活への希望を失った、マルチェフスキの悲痛な思いが響いている。
民族独立の問題は、大胆な遠近法と強い幻想的な形式のもとに描かれた、壮大で豊かな色彩の作品、《エロエとエッレナイ(Eloe z Ellenai)》(1908-1909)、《エロエ(Eloe)》(1910)、そして《エッレナイを運ぶエロエ(Eloe unosząca Ellenai)》(1910)において新たな楽観的なトーンを帯びる。スウォヴァツキに魅了されたマルチェフスキの絵画に幾度も現れる流刑女性、エッレナイの遺体は、ここでは虹色の羽を持ち、死の天使エロエによって永遠の世界へと運ばれていく〔スウォヴァツキによれば、エロエはゴルゴタの丘で磔にされたイエス・キリストが流した涙から生まれ、苦難と人間の罪を理解する。ポーランド民族を象徴する主人公、アンヘッリの遺体を守る〕。
マルチェフスキ作品の愛国的・歴史的な潮流には、独立への希望を抱き日露戦争の出来事を比喩的な方法で表した絵画《サクラソウ(Pierwiosnek)》(1905年)や、トリプティク〔三連祭壇画。中央パネルの両側に翼パネルがあり、たたむことが可能〕《早すぎる(Za wcześnie)》(1905)、また第一次世界大戦の時期に描かれた、誇り高く、勇敢で記念碑的な、新たな生命へと立ち上がるポロニヤの寓意像〔ポーランドを擬人化した女性像〕、《ポロニヤ――オルぺウスとエウリュディケ(Polonia. Orfeusz i Eurydyka)》(1914)、《義勇軍のニケ(Nike legionów)》(1916)、《ポロニヤ(Polonia)》(1918)が含まれる。受難のテーマは風景画にも繰り返し描かれる。
絵画《雲の中で(W tumanie)》(1893-1894)では枷をはめられた幻想的なポロニヤと鎖でつながれた彼女の息子たちが砂利道の埃の中から現れ、郷土を表現するとともに、ポーランドの隷属状態を象徴的に示す。複数のテーマを同時に扱うマルチェフスキの作品では、純粋な風景画は特別な地位を占めている。《サルヴァトルの中庭(Podwórze na Salwatorze)》(ca. 1902)など、街角、中庭や庭園の一場面を切り取ったいくつかの作品のほか、マルチェフスキの風景画で最もよく扱われるモチーフはヴィスワ川の蛇行である。1904-1905年、高い地点から観察され、川床の曲がりくねった流れにが特徴の、幻想的な一連の風景画(《クラクフのヴィスワ川(Wisła pod Krakowem)》、《春の雪解け――ザヴィホストのヴィスワ川(Wiosenne roztopy – Wisła pod Zawichostem)》)として形にされている。1909年から1910年にかけて制作されたトリプティク《小川に行きなさい(Idź nad strumienie)》の両翼パネルをなす作品は、直線の強調、明るい色彩と幽玄な趣を特徴とし、全体が統一され、様式化された風景が描かれる。
宗教的なテーマを扱った後期の二枚の絵、《復活(Zmartwychwstanie)》(1920)と《聖アグニェシュカ(Św. Agnieszka)》(1920-1921)では、耕された畑の奥に吸い込まれるような風景が、ピンクと黄の濃い色調でドラマチックに表現されている。
マルチェフスキの作品では、終末論的なテーマが歴史的・愛国的な筋と密接に結びついている。トリプティク《エゼキエルの予言(Przepowiednia Ezechiela)》(1918)や《エゼキエルの預言(Proroctwo Ezechiela)》(1919)では、骸骨が散乱する平野を歩き回るキリストと預言者エゼキエルの姿に、マルチェフスキは自分自身の顔や身体を与えた。ここでは1914-1918年、第一次世界大戦時のドラマ、信仰や疑念を表現し、自由に至るまでの苦悩を象徴している。キリストの姿となった自画像は《貢の銭(Grosz czynszowy)》(1908)、《ピラトの前のキリスト(Chrystus przed Piłatem)》(1910)、《キリストとサマリアの女(Chrystus i Samarytanka)》(1911)など、聖書の場面を描いた作品にも現れ、普遍的、宗教的、倫理的、歴史的、そして現代的な次元を同時に獲得している。
死への執着

ヤツェク・マルチェフスキ《タナトス》、1898-1899年、キャンバスに油彩。写真:Ewa Gawryszewska / ワルシャワ国立美術館
マルチェフスキは、古代ヨーロッパに着想の源泉を辿り、死への執着に取り憑かれたような象徴的な図像からタナトスの物語を紡ぎだすようになった。タナトスのテーマは1898から1899年にかけての作品で生まれ、寓意的な方法で死のモチーフを描く一連の絵画が制作された(《タナトス(Tanatos)》、《タナトスI(Tanatos I)》、《タナトス(Tanatos II)》)。マルチェフスキは、神話的な死神に――通念に逆らい――鎌を手にした若い女性の姿を与えた。広い弧を描く装飾的な輪郭の羽が、彼女の超自然的な性格を示している。同時に、その成熟した身体は物質と精神、官能の領域と精神的な要素の解き難いもつれ、象徴主義者たちによって幾度も強調されてきた、エロスとタナトスのつながりを連想させる。断片的に描かれたマルチェフスキの家族の土地、ガルヂェニツェ(Gardzienice)が冷たい銀緑色の月明かりに包まれ、この世における生と超越的な存在を分つ、境目の時間に対する不安を呼び起こす。晩年の作品において、マルチェフスキは子ども時代を過ごしたヴィェルギェの屋敷の風景を記憶から引き出し、そこに死のモチーフを据えることである意味、人生の道の始まりと終わりを結びつけている。
マルチェフスキが来し方を振り返り、まとめようとする自伝的な流れは、《私の人生(Moje życie)》(1914-1920)と題された連作において最高潮に達する。そこでは、幸せな子ども時代のモチーフが人生の終わりの意識と、その道程を満たしたものについての回想と結びついている。視覚的な記憶と感情が絡み合い、9枚の絵で断片的に描き出されたヴィェルギェの地の風景は、ポーランドの風景の真髄を示している。マルチェフスキの創造的なビジョンによって、実存的な次元で失われ、超越的な現実において取り戻された「天国」の象徴へと変容されている。様式的な線の延長、形の統合、恣意的に用いられた明るい色の非現実性が、シュールな詩情を生み出す。内部の緊張により活気づけられた一貫性のない絵画空間が、風景から神秘的な要素を引き出している。
この連作の思想的な層には、マルチェフスキの全作品の中心をなす、ポーランド・芸術・死という3つのテーマが繰り返し現れる。トリプティク《法――生と死の間――祖国――芸術(Prawo. Między życiem a śmiercią - Ojczyzna - Sztuka)》(1903)やトリプティク《私の人生(Moje życie)》(1911-1912)を参照してほしい。《子ども時代――ヴィェルギェの池のヤツェク(Dzieciństwo. Jacek nad stawem w Wielgim)》(1919)に見られるように、マルチェフスキの芸術的ビジョンでは、牧神、メドューサ、ミューズ、エロエやペガサスといった幻想的な生き物たちが、両親や姉妹を始めとする彼に近しい人々と共存し、想像上の物語の場面が過去と未来の間に広がっている。ここで、芸術を人生の使命として肯定的に捉える画家の姿勢は、芸術の絶対的な要求に個人の生活を従属させ、絵画作品を通して愛国的な使命を果たそうとする彼の意志と密接に結びつく。死は人間の旅路にとって必要な、慰めを与える終着点として現れる。芸術を通して、そして芸術のおかげで、地上の存在の秩序の中で失われた天国を、形而上の次元において取り戻し、永遠のために時間の経過を克服することが可能となる。《私の魂(Moja dusza)》では音楽的な要素が取り入れられ、芸術を全宇宙の調和を反映するミクロコスモスとみなす、象徴主義的な世界観が連想される。マルチェフスキ自身の創造的な可能性の神格化は、宇宙の理想的な秩序に刻まれた、人間と自然の精神的な一体感と結びついている。
象徴主義と《メランコリー》

ヤツェク・マルチェフスキ《メランコリー》、1894-1895年、キャンバスに油彩、139×240cm。写真:ポズナン国立美術館
マルチェフスキの芸術において、自伝的な要素は、普遍的な次元を持つ実存主義的な問題と、芸術家の使命、創造の本質と芸術の意味にまつわる問題の双方を補完するものだった。《新たな始まり(Introdukcja)》は芸術と自然、内的な体験、夢と研ぎ澄まされた繊細な感覚の関係を写実的な方法で描いた作品で、1890年、マルチェフスキの創作活動における象徴主義的な段階を開いた。ここでは少年が自然の大きさに圧倒され、思いを巡らす様子が描かれるが、画家が物思いに沈む様子は、創造的なビジョンの自発性を表現する作品、《悪循環(Błędne koło)》(1895-1897)で再び現れる。渦を巻くような迫力で踊る人々の輪の片側は光の筋に浸り、もう一方は闇に沈む。マルチェフスキの絵画ではこれらの人物がキャンバスから解き放たれ、立体的な形の錯覚のため驚くほどリアルだが、絵画で作り上げられた空間が抽象的なため、同時に非現実的でもある。これらの人物は人間の持つ本能の活力とともに、直感的な認識と知的な省察の双方に等しく基づいた歴史ドラマという、マルチェフスキ作品の内的二面性を示している。芸術を生み出し、芸術の秩序の中で調和される、喜びと痛みという相反する二つの感覚を組み合わせ、私たちに認識させてくれる。
マルチェフスキの芸術において重要なマニフェスト絵画、《メランコリー――プロローグ――ビジョン――ポーランド最後の世紀(Melancholia. Prolog. Widzenie. Wiek ostatni w Polsce)》(1890-1894)では、想像力によって生み出された人物たちが行進し、彼のアトリエ空間を占拠する。ここでは芸術的な想像力が、100年にわたるポーランド民族の隷属状態と武装蜂起を総括する、政治哲学的な力に従い、ポーランド人のヒロイズムと苦難とともに、ポーランド民族が最終的に陥った無気力な惰眠と無関心が語られる。息が詰まるようなアトリエ内部と窓の外に広がる明るい風景との対比により、作品の象徴的な多次元性が豊かに表されている。この二つの領域は窓枠という、乗り越えることが不可能な障害によって分けられ、その不思議な力が、キャンバスから出てこようとする群衆を追い返している。そこには異なる社会階層や職業を代表する人々、農民、若者や老人が描かれ、歴史の悲劇と人生の周期的な性質、歴史の真髄とこの世の存在の本質をともに表している。未来、自由と幸福の寓話としての生命力に満ちた自然へ通ずる道は、死、預言者、はたまた未来予見者を思わせる、黒い服を着た謎の人物によって守られている。マルチェフスキはここで、愛国・歴史的な意味と実存主義的な内容を完璧な方法で組み合わせ、芸術の意味とポーランド人芸術家の使命を明らかにする、この作品の自己目的的な次元を同時に強調している。
芸術家の苦しみと感覚
マルチェフスキは、創造のドラマという筋をいくつかの連作テーマの中で発展させている。1897-1899年の連作には、しばしば枷をつけてアトリエに閉じこめられ、自分のビジョンに苛まれる芸術家のイメージが描かれ、この芸術家が得た霊感は、嘆くポロニヤの寓意像として具体化されている(《画家の霊感(Natchnienie malarza)》1897年)。創造のインスピレーションは、キメラとハルピュイアという、誘惑的な姿をとることもある(《ヴィジョン(Wizja)》1912)。
古代神話に登場するキャラクターの借用はマルチェフスキの造形上の言語から切り離せない要素である。エロティックな本能の生命力や魅惑的な官能の力と、芸術の持つ昔ながらの秩序や芸術上のフィクションの伝統、この双方に結びついた両義的な意味を持っている。キメラ、メデューサ、牧神、海神といった古代の要素は、マルチェフスキの想像力が生み出す世界と、ドイツ象徴主義者、アルノルト・ベックリン(Arnold Böcklin; 1827-1901)とマックス・クリンガー(Max Klinger; 1857-1920)の図像を結びつけた。マルチェフスキの絵画におけるキメラは芸術の物質的な次元を具現化し、官能的な美によって芸術家を惹きつける(《創造のひと時――夢の中のハルピュイア(Chwila tworzenia – Harpia we śnie)》1907)。そのアンチテーゼとなるのは、音楽を奏でる場面を通じて想像力のはかなさを象徴する、音楽的、抽象的、象徴的な要素だ(《知らない音(Nieznana nuta)》1902)。ヒバリの歌に聴き入り、コオロギやバッタが奏でるメロディに沈思するモチーフは、芸術創造の本質や、自然と宇宙のリズムを捉え、世界を直感的に理解する芸術家の非凡な能力を指しているようにも思われる(《ヒバリ(Skowronek)》1902、トリプティク《バッタ(Konik polny)》1903-1907、《私の歌(Moja pieśń)》1904、《秋の歌――ヴウォジミェシュ・リポンスキの肖像(Piosnka jesienna – Portret Włodzimierza Lipońskiego)》1906、トリプティク《音楽(Muyzka)》1906)。
キメラは残酷な顔も表している。このなまめかしい存在は芸術家を惑わせ、完全に自分勝手な理由で彼を虜にし、破壊する。「芸術」も同様に、横暴で無慈悲に振る舞い、アーティストの全人生をその要求に従属させる(トリプティク《芸術(Sztuka)》1906)。キメラは幼い少年たちも誘惑し、野原で愛の秘密をささやき、エロティックな欲望を掻き立てる(《フォルトゥナの誘惑(Pokusa Fortuny)》1904、《羊飼の少年とキメラ(Pastuszek i Chimera)》1904、《羊飼の少年とハルピュイア(Pastuszek i Harpia)》1904-1906)。
実存主義

ヤツェク・マルチェフスキ《聖アグニェシュカ(Święta Agnieszka)》、1920-1921年、キャンバスに油彩、80×120 cm。写真:ワルシャワ国立美術館
マルチェフスキの作品では、エロティックな意味に満ちた実存主義の流れは1880年代の連作《ルサウカ(Rusałka)》(1887-1888)に始まり、彼が根ざしているポーランド土着の伝統や、民俗の伝説やおとぎ話への関心を表すことが可能となった。民俗的な要素はマルチェフスキに《おとぎ話I(Bajki I)》(1902)と《おとぎ話II(Bajki II》(1902-1903)という、それぞれ3枚の絵から成る二つの連作を制作するためのモデルとなり、比喩的な方法で人生の旅、障害の克服と最終的な失敗、理想と一般的な経験の不一致を描いた。
ここでマルチェフスキの図像にとって重要な、凍っているか毒が入っているために使えない「生きた」水源のモチーフが現れる。これは連作《毒入りの井戸(Zatruta studnia)》(1905-1906)の重要なモチーフだ。井戸はここで、ポーランド民族の独立と実存主義、両方の次元における人間の願望の対象を象徴し、普遍的、原型的、そして個人的な価値を得て、悪への屈服と克服を示すとともに、自由、真実と幸福の獲得への願いを比喩的に表している(《毒入りの井戸――キメラ(Zatruta studnia - Chimera)》1905、《バラ色をした毒入りの井戸(Zatruta studnia - różowa)1906》)。
願望の象徴は聖書のトビト・トビアス親子の物語にまつわる連作絵画にも登場する。ここでは、未来の旅の案内役である守護天使に出会う、羊飼のモチーフが展開される(《天使よ、あなたに従います(Aniele pójdę za tobą)》1901、トリプティク《信仰、希望、愛(Wiara, nadzieja, miłość)》1901、トリプティク《天使に従う(Za aniołem)》1901、《名声に向かって(Do sławy)》1903、《天使と羊飼(Anioł i pastuszek)》1903)。マルチェフスキは旅そのもののテーマを多くのバリエーションで展開している(《道を行くトビアス(Tobiasz w drodze)》1904、《天使たちとトビアス(Anioły z Tobiaszem)》1906)。超現実的な詩学が現れる《春――トビアスのいる風景(Wiosna – Krajobraz z Tobiaszem)》(1904)においては、春の朝、バラ色の野原の面が巧みに組み合わせられた中、バラ色の羽の天使と、癒しの効果を持った魚を運ぶ小さなトビアスが繊細な線で描かれ、静かに歩を進めている。この連作の最後では、マルチェフスキの芸術言語に典型的な方法でトビトの運命とタナトスのモチーフが重なり合う(《トビトとパルカたち(Tobiasz i Parki)》1912)〔パルカはローマ神話に登場する運命の女神〕。マルチェフスキの作品において、人間存在の限界は二つの方法で思い描かれる。自分の家に帰り、敷居で死の女神の手から末期の安らぎを得る老人の姿(《帰還(Z powrotem)》1898、《安らぎ(Ukojenie)》1911、《タナトス(Tanatos)》ca. 1911)、または死後に故郷へと戻る場面だ(《故郷への帰還(Powrót w rodzinne strony)》ca. 1911)。