ヴァイダ映画の魅力的な外国語版ポスター7選
アンジェイ・ヴァイダ(Andrzej Wajda、アンジェイ・ワイダとも表記)監督の映画は、世界中で上映され、名誉ある国際映画祭で賞を獲得している。この記事では、ヴァイダ作品の外国語版ポスターの中から7点を紹介する。
『夜の終りに(Niewinni czarodzieje)』(1996年)
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『夜の終りに(Niewinni czarodzieje)』(原題は「無邪気な魔術師たち」の意味)は、ヴァイダ作品の中では特に政治色が少なく、監督と二人の脚本家、イェジ・アンジェイェフスキ(Jerzy Andrzejewski)とイェジ・スコリモフスキ(Jerzy Skolimowski)という三世代の映画制作者の出会いによって生まれた作品である。
若い医師が、夜にはクシシュトフ・コメダ(Krzysztof Komeda)のジャズバンドでドラムを叩き、享楽的な生活を送るという物語は、当時の権力者にとって、控えめながらも非常に挑発的に描かれた新しい世代の肖像だった。
「鑑賞者、特に若者の中には、この映画が含む批判の試みに気づかない者もいるだろう。彼らがそれよりもっと魅力的に感じるのは、制作者たちが欲望をかき立てるように描いた安楽な生活のモデルである。これはすでに社会的に有害なものと分類できる。」
1960年に共産党の『Trybuna Ludu(人民トリビューン)』紙の評論家ヤヌシュ・ヴィルヘルミ(Janusz Wilhelmi)はこのように書いている。
『夜の終りに』は世界各地で上映された。1961年のエディンバラ国際映画祭では特別賞を受賞し、ヴァイダ監督の評価が特に高い日本でも公開された。日本ではその後、1987年に日本のノーベル賞に相当する非常に名誉ある「京都賞」を受賞している。その賞金34万ドルは、クラクフの日本美術・技術博物館Manggha(マンガ)の建設に充てられた。
『すべて売り物(Wszystko na sprzedaż)』(1968年)
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『すべて売り物』(アンジェイ・ヴァイダ監督)スペイン語版ポスター、写真:ウッチ映画博物館
主役の俳優が、映画の撮影現場に現れない。彼の妻と、元恋人で現在は監督のパートナーである女性が、彼を見つけ出そうとする。その最中に、俳優が疾走する列車から飛び降りて死んだという知らせが入る。
『すべて売り物』は、1967年に悲劇的な死を遂げたズビグニェフ・ツィブルスキ(Zbigniew Cybulski)との映画による別れであり、アンジェイ・ヴァイダが良心の考察を芸術的に表現したものだ。控えめで、やや過小評価されている作品だが、現在はヴァイダ作品の中でも特に個人的な映画だと考えられている。
「『すべて売り物』は他に類を見ない優れた映画であり、先駆的と言ってもよいと思う。(中略)しかし一般に考えられているのとは違って、この作品は、ズビグニェフ・ツィブルスキや、親しい人々の意識に彼が残した痕跡についての映画ではなく、単にアンジェイ・ヴァイダについての映画なのだ。芸術映画としては、『8 1/2』以来、最も個人的な映画である。(中略)あえて言うならば、ヴァイダは当初、実際にツィブルスキについての映画を作るつもりだったが、制作の段階で、図らずも自分自身についての映画を撮っていることに、この聡明な監督は気づいたのではないか。」
初公開後、ポーランドの伝説的な批評家クシシュトフ・メントラク(Krzysztof Mętrak)は、『映画(Film)』誌にこのように書いている。
『ヴィルコの娘たち(Panny z Wilka)』(1979年)
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ロマン・チェシレヴィチ(Roman Cieślewicz)作映画ポスター『ヴィルコの娘たち』(アンジェイ・ヴァイダ監督)、写真:ウッチ映画博物館
「『ヴィルコの娘たち』という物語の内容を考えると、あれでもあり、これでもあり、また別の何かだとも思う。そしてまさにそれが正確な答えなのだ。何か細い糸が私たちとこの物語を結びつけていて、まるで自分の中にある古いもの、子供時代のもの、より良きもの、より美しいものが掘り起こされるようだ。『ヴィルコの娘たち』にあるのは明確な価値観の世界だ。女性たちは、自分たちが越えてはならないものをよく心得ている。しかしこれを映像で表すのは容易ではなかった。」とアンジェイ・ヴァイダは数年後に振り返っている。
ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチ(Jarosław Iwaszkiewicz)の短編小説を映画化したこの作品は、ヴァイダ作品の中でも、とりわけ親密なものだ。15年ぶりにヴィルコの荘園に戻ってきた主人公のヴィクトルが、自分の記憶に永遠に刻まれた人々と再会する物語は、時の流れ、失われた愛、人の記憶についての思索である。
過去へのノスタルジックな旅を描いた物語には、普遍的な力があった。チェーホフ、プルースト、ベルイマンの『野いちご』の間に位置するこの作品は、1980年にアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
「鳥のさえずり(ここでは、ポーランドでよく見られるようにコウライウグイス)さえあればよく、それが希望の扉を開けるのか、閉めるのかはわからない。(中略)それは悲しく、美しく、詩的だ。そう、詩的なのだ。今日では疑問視され、しかし他に代わるもののない、あの美しい言葉「詩」に由来する意味において。」
Claude Mauriac(クロード・モーリアック)はフランスの『V.S.D.』誌(1979年5月31日、パリ)にこのように書いている。
『ザ・コンダクター(Dyrygent)』(1979年)
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エドヴァルト・ルトチン(Edward Lutczyn)作映画ポスター『ザ・コンダクター』(アンジェイ・ヴァイダ監督)、写真:ウッチ映画博物館
スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンはかつて、最も感銘を受けた11本の映画のリストを作るよう求められたとき、アンジェイ・ヴァイダの『ザ・コンダクター』を第2位に挙げたという。この映画は、ポーランド国内よりも、国外ではるかに高い評価を受けた。クリスティナ・ヤンダ(Krystyna Janda)とジョン・ギールグッド(John Gielgud)が組んだ豪華な『ザ・コンダクター』は、サン・セバスティアンとサンタンデールの国際映画祭で受賞し、またアンジェイ・セヴェリン(Andrzej Seweryn)が助演として1980年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞している。
『ザ・コンダクター』は、奨学金を得てアメリカに渡ったバイオリニストのマルタが、かつて母の大恋愛の相手であった世界的指揮者ジョン・ラソツキと出会う物語である。マルタとの出会いで強く心を動かされた老年の名指揮者は、過去に戻りたいと願う。ラソツキは契約を破棄し、期限や以前の約束を反故にする。そして自分の生まれ故郷であるポーランドの田舎町を70数年ぶりに訪れる。この場所で、地元のオーケストラを指揮して、ベートーヴェンの交響曲第5番を演奏したいのだ。
しかし、オーケストラの責任者はマルタの夫、野心家でありながらどこか迷いのあるアダムだった。三人の主人公たちの間で、満たされない思い、憧れ、野望のドラマが展開される。
「当時、ポーランドでは誰もが、何らかの奇跡を待ち望んでいました。日々の困難に疲れ、迷い、ある種の権威、もちろん外国からの、つまり西側からのそれを夢見ていたのです。例えば、我々同胞の誰かが世界的指揮者となり、長い年月の後でふと、懐かしさから故郷の小さな町に戻ってきて、記念コンサートを開催する。そういうわけで『ザ・コンダクター』は小さな町を舞台に展開され、そこにいる野心満々の地方高官たちは、あらゆる利用可能な手段を使ってそれを実現する術を知っているのです。」
後にアンジェイ・ヴァイダはこう語っている。
『大理石の男(Człowiek z marmuru)』(1976年)
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ヴァルデマル・シフィエジ(Waldemar Świerzy)作映画ポスター『大理石の男』(アンジェイ・ヴァイダ監督)、写真:ウッチ映画博物館
「これはアンジェイにとって特別重要な映画だという感じがありました。僕がこれに気づいたのは撮影に入ってからです。正直言って、最初から大事なものを作っているとわかっていたわけではありません。僕から見ると、この映画は主人公の物語、つまり人間的な側面から見た物語であり、そこに惹かれていました。様々な状況に置かれたマテウシュが取る行動に引き付けられていたのです。映画のメッセージよりも、自分が演じる人物に興味がありました。共産主義時代の優れて重要な映画を作るため、強い使命感を持って尽力した、というわけではないのです。そんなことはありませんでした。」
主役を演じたイェジ・ラジヴィウォヴィチ(Jerzy Radziwiłowicz)は、インタビュー本『Wszystko jest lekko dziwne(すべてちょっと変)』の中で、ウカシュ・マチェイェフスキ(Łukasz Maciejewski)にこのように語っている。
『大理石の男』でイェジ・ラジヴィウォヴィチは、1950年代に模範労働者とされたマテウシュ・ビルクートを演じている。彼が辿った運命を、現代のテレビドキュメンタリー作家のアグニェシュカが追う。体制への失望と心の奴隷化を描いたこの作品は、アンジェイ・ヴァイダにカンヌ映画祭批評家賞をもたらし、俳優のイェジ・ラジヴィウォヴィチとクリスティナ・ヤンダにとっては出世作となった。
この映画は、共産主義の政治家によって上映を禁止されていたが、それにもかかわらずカンヌで公開され、公式コンペティションに参加していない作品として唯一受賞が可能であった批評家賞を獲得したのである。
『鉄の男(Człowiek z żelaza)』(1981年)
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アンジェイ・ポンゴフスキ(Andrzej Pągowski)作映画ポスター『鉄の男』(アンジェイ・ヴァイダ監督)、写真:ウッチ映画博物館
「確か、12月に撮影を始めました。ストライキが終わったのは8月31日。脚本を書き、制作の準備をして、映画全体を組織し、時間内に映画を完成させ、翌年5月のカンヌに出品。異例の超特急です。」
イェジ・ラジヴィウォヴィチはインタビュー本の中で、この映画の制作についてこう語っている。
『鉄の男』は、歴史の転換点で、ポーランド人が直面しなければならなかったストライキ、「連帯」運動、道徳的な選択を描いた物語であり、世界中で反響を呼んだ。1981年、アンジェイ・ヴァイダはこの作品でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞し、翌年にはオスカーとフランスのセザール賞にノミネートされた。
「アンジェイ・ヴァイダの例は、時に歴史が我々の勇気を予想外の重大な試練にさらすこと、観客が我々に精神的な高揚を期待すること、社会の尊厳を守るために、我々のキャリアを危険にさらす必要があり得ることを、映画制作者に思い出させてくれる。」
後に、スティーヴン・スピルバーグが、ヴァイダのアカデミー名誉賞へのノミネートを支持した際、このように書いている。
『ダントン(Danton)』(1982年)
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映画ポスター『ダントン』(アンジェイ・ヴァイダ監督)、写真:ウッチ映画博物館
ヴァイダはキャリア当初からフランスで非常に高い評価を得ていた。その作品はフランス映画アカデミーのセザール賞やカンヌ国際映画祭の賞を獲得している。1982年にはフランスのレジオンドヌール勲章シュヴァリエを、その19年後にはレジオンドヌール勲章コマンドゥールを授与されている。
そのロワール河畔で、ヴァイダ最高傑作の一つが作られた。『ダントン』はフランスの伝説的な映画制作会社Gaumont(ゴーモン)の依頼で作られ、初めはポーランドで撮影される予定だった。しかし、1981年12月に戒厳令が敷かれると、プロジェクトはパリに移された。
街に恐怖が蔓延する革命期のフランスを舞台にした物語は、実際には転換期のポーランドを描き、政治の本質を考察していた。ダントンとロベスピエールの対立は、ジェラール・ドパルデューとヴォイチェフ・プショニャク(Wojciech Pszoniak)の迫真の演技によって銀幕に蘇った。
ドパルデューは、役作りのため、革命がどのようなものかを見にポーランドを訪れている。
「ドパルデューに、革命の顔を見てほしかったのです。ひどく疲れ切り、目は見開かれたまま、突然、実現することのない夢の中に落ちていくその顔を。クリスティナ・ザフファトヴィチ(Krystyna Zachwatowicz)に案内されたドパルデューは、大勢の人が行き交い、その時歴史が作られた、連帯のマゾフシェ県本部の廊下に長い間佇んでいました。私の新作映画の主題を俳優に説明するのに、これ以上の言葉や監督はなかったのです。」
後にアンジェイ・ヴァイダはこう語っている。
出典:Filmweb、Filmpolski、"Film"、アンジェイ・ヴァイダ公式サイト(ポーランド語・英語)、Łukasz Maciejewski、Jerzy Radziwiłowicz、Wielka Litera
執筆:ワルシャワ、2012年 編集:BS、2013年5月28日
日本語訳:パヴェウ・パフチャレク(Paweł Pachciarek)、YA、2022年10月
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