
Still from the film "Pan Tadeusz" by Andrzej Wajda, photo: Mirek Noworyta / Agencja SE / East News
ポーランド映画はこれまで、世界中の映画ファンから認識されるようなはっきりとした個性、ないしは世界のフィルムメーカーの想像力をすっかり虜にするような独自の主題を持たなかった。この点で、2000年以降、具体的な主題や映画美学をトレードマークにしたルーマニア、ギリシャの映画とは異なる。新しいポーランド映画の強みは多彩さである。
混沌たる新秩序
ポーランドでは1980年代と90年代の境目に体制転換が成し遂げられたが、そのときは映画もまた、明日はもっと良くなるだろうという希望にあふれ、映画人たちも、共産主義崩壊とともに政治的検閲が消滅することを喜んでいたものだった。しかしながら、転換期は映画の環境系に混乱をもたらした。文化省からの潤沢な資金援助に代わって、映画諸団体からの財政援助がなされるようになり、国家予算からの支援に関して、ポーランドはヨーロッパ最下位国の一つとなった。
組織の混乱と資金不足は、映画製作の質に反映した。長年アメリカのB級映画を観つづけてきた若手監督は、ハリウッド製アクション映画のコピーを作り、年長の巨匠監督の多くは、映画製作が置かれた新しい現実のなかで力を発揮できなかった。『尼僧ヨアンナ』『太陽の王子ファラオ』といった傑作映画の作者イェジ・カヴァレロヴィチが、長い空白の後に全生涯に渡る夢であったヘンルィク・シェンキェヴィチ原作『クォ・ヴァディス』の映画化を実現すべく、カメラの向こうに立ったとき、彼は映画界の新しい現実のなかに自らの居場所を見出すことができず、製作者からの拒絶に遭うたびにそれを経済的な必然性ではなく、個人的な攻撃と受け取った。
予算不足のなせる業か、ポーランド映画の巨匠たちの用いた映画言語は、時代遅れで硬直している印象を与えた。1989年以後、以前の調子を取り戻せなかったのは、カヴァレロヴィチ監督だけではない。イェジ・ホフマンの映画によるシェンキェヴィチ原作歴史三部作の最終作『ファイアー・アンド・ソード』やアンジェイ・ワイダの『パン・タデウシュ物語』は観客層に大受けだったが、両監督にとって最高の芸術的達成だったわけではない。同じく、「モラルの不安派」映画を牽引した映画作家クシシュトフ・ザヌッシも、新体制のポーランドで『啓示』(1972)や『結晶の構造』(1969)の水準に近づいたのはたった一度だけ、『性によって伝染する不治の病としての生命』(2000)を撮ったときである。
改革が、ポーランド映画の新しい始まりになった。2002年に、映画製作資金を提供し、新人監督を援助し、国外におけるポーランド映画振興を図るポーランド映画芸術院が設立されたのだった。
ポーランドの映画作家たち
その長い歴史において、ポーランド映画はたびたび時代の声となり、世代の良心を代弁してきた。映画製作ユニットを中軸とした映画界で重んじられたのは集団作業であり、専ら芸術的な個性が重視されたわけではなかった。むろん、カヴァレロヴィチ、ワイダ、スコリモフスキ、クツといったポーランド映画のスター監督も輝きを放ったが、ポーランド映画が個人主義者と結びついて語られることはなかった。この原則の正しさを裏側から証明する例外は、ロマン・ポランスキとクシシュトフ・キェシロフスキで、彼らは、創作の第一歩は映画ユニットで刻んだものの、やがて独自の演出スタイルを作り上げていった。ポーランド映画が主流の外にいる映画作家を正当に評価できたことは稀である(もっとも、ポランスキとキェシロフスキの名声は、それとはまったく逆のことを証明することになりかねないが……)。例えば、グジェゴシュ・クルリキェヴィチ、ピョトル・シュルキン、アンジェイ・バランスキといった映画作家は、一度も幅広い社会的受容の対象になったことはなかった。
これは、ポーランド映画に明確な個性と魅力的なビッグネームがいなかったという意味ではない。新しいポーランド映画で最も頭角を現した作家の一人に、ヴォイチェフ・スマジョフスキがいる。彼は、『婚礼』(2004)で、スタニスワフ・ヴィスピャンスキの同題の民族劇の意趣に富んだ戯画化を行った。ポーランド社会とその主な民族的原罪すべてを戯画に描いた。その後のスマジョフスキの映画は、彼が体制転換後のポーランド社会の最も鋭敏な批判者の一人として、卓越していることを証明した。『ダークハウス』(2009)では、堕落した呑んだくれの性悪な人間たちを描き、同時に新しいポーランドの建国神話の一つとしての〔連帯〕神話への辛辣な注釈を書き加えた。多くの映画祭で受賞した『ルジャ』(2011)では、戦中の困難な過去に立ち向かった。殺人事件に巻き込まれた警察官が主人公の陰謀スリラー映画『交通警備』(2013)もまた、ポーランドの現実を批判的に捉えた作品だった。
それとは正反対の世界観を提起する監督もいる――スマジョフスキとは極端に違う感受性と気質を有するアーティスト、アンジェイ・ヤキモフスキだ。彼は成熟したアウトサイダーである。目立とうとしない、反抗者の仮面を被りもしない代わり、首尾一貫して己れの映画性を構築して、観客を親密な対話に招待する。デビュー作『目を細めてみろ』(2003)を撮ったのは、時間とは何かを愛娘に説明するためだった。最新作『イマジン』(2012)は妻に捧げられているが、それは、妻と自分に、人間同士の接近とは共通世界の発見と創造に他ならないことを思い出させるためだった。その間に、魔術的リアリズムの文学的伝統を援用した『トリック』(2007)を撮った。思い出やささやかな人間的ドラマや直観・感覚から織り上げられているヤキモフスキの映画は時空間の外のどこかに存在している。
やや年長の世代の二人の映画作家に言及することなしにポーランドの新しい作家主義映画について語ることはできない――ヤン・ヤクプ・コルスキとマレク・コテルスキだ。コルスキは自作のなかに、現実から隔絶した魔法的世界を作り、すべての作品にはっきりとした指紋の跡を残す。ゴンブロヴィチの長篇小説の映画化であろうと(『ポルノグラフィア 本当に美しい少女』〔2003〕)、半ば寓話的な物語であろうと(『水瓶座のヤンチョ』〔1993〕、『ポピエラヴィの映画館の歴史』〔1998〕)、戦争中の心理劇であろうと(『窓から遠く』〔2000〕)、彼は独自の音色の声と演出の息遣いを保持しつづける。
芸術作品としての輪郭の鮮やかさは、マレク・コテルスキのトレードマークでもある。彼の自伝的映画は、一種の心理治療である。『滑稽なことは何もない』(1995)『狂人たちの家』(1984)『気のふれた男の一日』(2992)『私たちは皆キリストだ』(2006)によって、コテルスキは最も高い評価を受けるポーランド映画監督の一人になった。次の世代の観客たちも、コテルスキの残酷さにあふれた自画像を覗き込むのかもしれない。コテルスキは己れのコンプレックス、弱点、女性嫌い、ロマン主義、信じやすさ、傲慢さ、小心さについてあまりにも率直に語るので、私たち一人一人の最も痛い傷に触れることになるからである。
最近10数年間のポーランド映画の風景を、クシシュトフ・クラウゼ抜きに、思い描くことはできない。1999年に製作された『借金』は90年代最高の映画の1本だった。罠にかかった人間たちに迫るドラマチックな選択をめぐる恐ろしい物語だ。5年後の『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』では、前作とは違う感情的な旋律を奏でた。最も有名なポーランドの素朴派画家についての私的な物語であり、芸術家であることの意味をめぐる考察だった。クラウゼは、2000年代のポーランド映画のうちでも、最も真実に迫った最も力強い映画『救世主広場』の作者でもある。家族の心理劇がやがて体制によって失望感を味わわされた人間たちに関する物語に変わっていく。クラウゼの映画は、一義的な分類の網の目から零れ落ちる。主導的なテーマはそこになく、美学はシナリオと取り上げられる問題によって、変化していく。にもかかわらずクラウゼは明確な個性の持ち主であり、ポーランドの映画ファンが新作映画を待望している作家の一人である。2013年には次の作品、ロマの女性詩人ブロニスワヴァ・ヴァイスについての伝記映画『パプシャ』が公開される予定だ。
ポーランドの女性映画
ポーランド映画を支配しているのは男性だが、21世紀になって女性監督の発言が次第にはっきりと聞き届けられるようになってきた。ポーランド映画の最も重要な女性作家は、アグニェシュカ・ホラント、ドロタ・ケンジェジャフスカ、マウゴジャタ・シュモフスカである。
特にホラントは、全世界の映画ファンから高く評価されている。チェコの映画大学 FAMU で映画教育を受けた彼女は、すでに数十年前に世界の映画地図に己れの存在を刻み込んだ。1981年の『熱病』はベルリン国際映画祭金熊賞にノミネートされ、10年後の『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ・ヨーロッパ』はオスカーにノミネートされた。ホラントは長年米国でも映画製作を行い、長編劇映画(『奇蹟の詩』)や TV シリーズ(傑作『The Wire/ザ・ワイヤー』など)を撮ってきた。しかし近年彼女が収めた最大の成功は、第二次世界大戦中ユダヤ人を救ったルヴフの下水修理工についての物語『ソハの地下水道』で、それによって彼女は2012年のオスカーにノミネートされた。
ヨーロッパ映画の比類なき才能、ドロタ・ケンジェジャフスカにも言及しないわけにいかない。彼女の質素で地味な映画が物語るのは、感情と親密さを探し求める孤独な人々である。ケンジェジャフスカは彼らをオブジェに、感動的な心理的肖像画を描く。特に、子どもたちの肖像だ――なぜなら、彼女は若い主人公たちに最も強い関心を持っているからだ。『カラス』(1994)、『何もない』(1998)、『明日の空の向こうに』(2010)において、子ども時代のテーマに立ち戻っている。最新作に対して、2011年ベルリン映画祭で、平和賞とドイツ児童救済協会グランプリが授与された。
最近、最も興味深いポーランド女性監督の列に加わったのが、マウゴジャタ・シュモフスカだ。地味なデビュー作品『幸せな人間』(2000)に続き、2004年には実母であるドロタ・テラコフスカの長篇小説『それ』を映画化した。これは、母性、出産を前にした恐れ、社会的モデルによって押しつけられた役割について語る映画だ。彼女のキャリアの転換点になったのは、2000年代のポーランド映画の最高作の1本である『人生の33の場面』(2008)である。両親の死に決着をつけようとする若い女性芸術家についての自伝的物語は、厳しく正直な――麻酔なしで行われる手術のように――シュモフスカ自身の私的肖像画である。極めて明確な映画的挑発を行った最初の女性監督でもある――『ジュリエット・ビノシュinラヴァーズ・ダイヤリー』(2011)と『~に代わって』(2013)は、女子大学生の売春や聖職者の性生活といった、社会の急所と呼んでもいい問題を取り上げた。