FL:福岡さんは作曲家として、どのような道を歩まれてきましたか。
福岡:ほんの数年前まで、自分がどの方向に進んでいくかわからなくて。現代音楽と西洋の伝統から得た経験を活かそうと試みていました。でも、旅をすることや、数カ国語を理解して、インターネットを使って異なる文化を行き来できることなど、これまで得てきたあらゆる経験こそ、より重要だと気付きました。さまざまな刺激や方向性を、いわば寄せ集めてみることに価値があると考えるようになった。現代音楽で自分を表現するためには、そこから一歩出て、自分をわくわくさせるもの全てを活かす必要があります。
FL:作曲家の音楽的な情熱にいつも惹かれます。福岡さんの音楽的な好みはどう形成されてきましたか。
福岡:小学校の頃はガールズバンド、まずスパイス・ガールズ、次にブリットニー・スピアーズが好きでした。その後、Paktofonika〔ポーランドのヒップホップグループ〕やモービーなど、電子音楽のヒット作を色々聴いて。当時のポップスは多様で面白くて。今はそこまで多様ではない気がします。それからロックとグランジの時期があって、ニルヴァーナや、アリス・イン・チェインズを聴くようになりました。カート・コバーンの作品には、すごく実験的なものも。クリッピングで歪んだ響きに満たされつつ、どこか構造を感じるトランス状態に入っていきます。
私が作曲したハープのための『The Final Girl』は、女性らしさについてのイメージがテーマです。より正確には、19世紀にヒステリーが女性特有の病気とされていたことと、ハープが天上の楽器、繊細で少女趣味の楽器だと見なされていたことについて。精神病院に収容された有名な米国女優、フランシス・ファーマーも登場します。ニルヴァーナはファーマーについて歌を書いていて、私も実はその一部に着想を得ていますが、そうとは感じない程度で、誰からも訟えられないよう願っています。
15歳の時、何歳か年上の高校生の友人たちにすごく憧れていて。長髪で、ウッチのピョトロフスカ通りのクラブ「Jazzga」でジャズを演奏していました。水曜の朝は授業をサボりました。火曜の夜、ジャム・セッションに行かなければならなかったので……どうして母が許してくれたか、今もわかりません。当時はジャズをたくさん聴き、自分でもヴァイオリンで即興しました。ある時、叔父がジャン=リュック・ポンティのCDを持って来てくれて、それをずっと聴いていました。
大学に入る前にジャングルやドラムンベースを聴き始めて、オランダのBlack Sun EmpireやオーストラリアのPendulumやConcord Dawnなど、特にダークなものを聴いていました。私が作って形になって残っている最初の電子音楽作品は『Moje pierwsze dnb(はじめてのDnB)』です(公に自慢するようなものではないですが)。ウッチで1番有名で、もう何年も前に閉業したクラブ「Cube」に通うのがすごく好きで。ベースの音量がめちゃくちゃ大きいので、耐えきれず、外に出なければならないこともありました。
大学では現代音楽を聴き始めました。最初に衝撃を受けてよく覚えているのが、イゴール・ストラヴィンスキーの『春の祭典』。最初、振付はちょっと可笑しく思えて、クラスでも皆が笑っていましたが、ふとした瞬間に作品の世界に引き込まれ、それがすごい体験でした。このことが、崇高なクラシック音楽と「野蛮な」ポップスの間に自分で作っていた、頭の中の壁をとり崩してくれました。