プロパガンダの手による手工芸
ツェペリアの外国市場での存在はプロパガンダの役割に尽きていたということは、隠されたことはなかった。それは国内でも同じだった。そのために、使えるものならあらゆる手段が利用された。マスメディア(ラジオやテレビに出演する他にも、独自の新聞が発行されたり、映画が製作されたりした)から、著名な民俗学者や美術史家が参加するシンポジウムまで、様々だった。色鮮やかなカタログ、ポスター、カレンダーも印刷された。また1971年、ワルシャワのデフィラト広場(Plac Defilad)で初めての「ツェペリアーダ(cepeliada)」が開催されたことも特筆すべきことだ。それは、刺繍や木彫り、祝賀用ケーキ製作のデモンストレーション、手工芸品の販売、そして地方団体の公演などを行う民俗フェスティバルだった。首都ワルシャワに倣って、他の大都市でもこのような祭りが開催された。
ツェペリアにはそのいくつかの功績を称えなければならない。民俗芸術家向けのコンテストを開催して、奨学金を与えたこと、おもちゃ産業研究·設計局(Biuro Studiów i Projektów Przemysłu Zabawkarskiego)という機関を設立し、子どもの発達におけるおもちゃの役割を分析したこと(これは世界的にも早かった)、ユネスコ傘下の世界手工芸評議会(World Crafts Council)へ積極的に参加したことなどである。
ツェペリアという名の列車は、当初は時刻表に沿って運行されていたが、すぐに速度を上げていった。1954年、再編の際少々減速したが、経済的に弱体化しても、より団結した組織によって補われた。1970年代(この時、名称の中の「産業」という言葉が「手工芸」に置き換えられた)と1980年代初頭に、急激に速度を上げた。その後、芸術と生産の利害の衝突は、もはや避けられないものとなった。製品の品質が低下し、マンネリ化し、重要な機関のいくつかが閉鎖された。その上、ポーランドは西側諸国へと方向転換する道を選んだのである。
第39回国際民俗芸術フェア、クラクフ中央市場広場。写真:Michał Lepecki/AG
1990年に店舗を閉店し始めた時、ツェペリアは40歳を少し過ぎたところだった。しかし、子孫を残さずに去っていったわけではない。ツェペリアの代わりに別の組織が設立された。それは現在財団および株式会社として運営されている。とはいえ、かつての姿はもはや夢見ることしかできないのだが。
ダサいと言う人もいれば、それに対して素晴らしいと反発する人もいる。今日では、どちらかというと懐かしい思い出として語られる。まぎれもなくツェペリアは類まれなスタイルを確立させ、今もなお人々にインスピレーションを与え続けている。
過去を模範にして
カタジナ·クミタ(Katarzyna Kmita, 1972年生まれ)は個人主義者だ。マグダレナ·ルビンスカ(Magdalena Lubińska)は二人組で作業するのを好む。WWAA工房を設立したこの二人は、ヴォイチェフ·カコフスキ(Wojciech Kakowski)と共に、息の合ったトリオを構成した。クミタはナイフを、ルビンスカとカコフスキはレーザーを使用する。洗練された切り出し方で、伝統と現代性を融合させている。切り絵でポーランドを作っているのは彼らなのだ。
その色彩、オリジナリティ、手作業はクミタを虜にした。ヴロツワフ美術大学を卒業したが、切り絵は独学で学んだ。模様はコピーするのではなく、ポップカルチャーのモチーフのように作り変える。マンガのキャラクター、コカ·コーラのボトル、有名な自動車ブランドのロゴ、携帯電話、その他現代的な雑貨を、黒い背景に重ねたウォヴィチ(Łowicz)の切り絵の装飾に組み込む。このようにして、1989年以降のポーランドが美的にどのように変わったのかを解釈しているのだ。クミタの切り絵は、その鮮やかな色彩と大きさ(直径1.5メートルに達するものもある)で群を抜いている。
ティーセット、ボレスワヴィエツ陶器工房。写真:Piotr Haftarczyk
少なくとも、モホ·デザイン(Moho Design)スタジオで作られた、ポーランドで最も有名なカーペットは、それほど大きいサイズの物だ。このカーペット「Mohohej! DIA(モホヘイ!)」は、2005年に雑誌『Wallpaper』の賞を受賞し、その3年後にはデザイン界のアカデミー賞と言われる、レッド·ドット·デザイン賞(Red Dot: Design Award)を受賞した。それは思いがけず始まった。ルビンスカが自分の子どものためにカーペットを探していたところ、山岳地方のズボンに出くわしたのである。 ―― 伝統的な方法で厚手のウール生地を生産している工場へとたどり着いたというわけだ。その素材の可能性を利用し、ミハウ·コパニシン(Michał Kopaniszyn)に協力を依頼した。このデザイナーたちは、この生地を何層にも重ねて補強し、民芸の切り絵を連想させる模様をカーペットに切り出したのだった。
過去との関連付けという点では、2010年上海万博で準備されたポーランド館にも見られる。その構造は、切り絵の装飾模様で覆われ、何度も折られた紙を思わせる。民芸的なモチーフは、光と影の遊びによって強調されている。伝統的な美的規範が、現代的な建築言語へと翻訳されたのだった。
21世紀においても、民俗芸術はポーランドの顔となり得る。現在では、昔よりさらに美しいものとなっているのかもしれない。
参考文献:
Aleksander Jackowski, Cepelia. Tradycja i nowoczesność(アレクサンデル·ヤツコフスキ『ツェペリアーー伝統と現代性』)Warszawa 1999, Piotr Korduba, Ludowość na sprzedaż(ピョトル·コルドゥバ『売り物としての民俗性』)Warszawa 2013, Janina Orynżyna, O sztukę ludową. Pamiętnik pracy(ヤニナ·オリンジナ『民俗芸術についてーー仕事日誌』)Warszawa 1965, Tadeusz Więckowski, Ginące piękno(タデウシュ·ヴィエンツコフスキ『消えゆく美しさ』)Warszawa 1987, 週刊誌『Tygodnik Powszechny』, 日刊紙『Rzeczpospolita』
執筆:アグニェシュカ·ヴァルンケ(Agnieszka Warnke)、2017年8月8日
最終更新:2025年12月18日
日本語訳:スプリスガルト友美(Tomomi Splisgart)、2026年2月