雪が生むデザイン――ポーランドの冬製品の伝統
冬の象徴を取り入れたデザイン様式は、ポーランドの国民意識をどのように形作ったか?ポーランド人が履き心地のよくないブーツを買っていたのはなぜ?ポーランド製の手編みレースの特徴とは?答えはここに!
ポーランドのデザイナーやメーカーは冬をテーマに、あたたかい素材や自然のモチーフを活かして、寒冷な気候に適した実用的な製品を数多く作ってきた。おもちゃ、インテリア用品からファッションに至るまで、ポーランド文化にはあふれんばかりに冬アイテムがある。
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スタニスワフ・ヴィトキェヴィチがデザインしたセーヴル食器、1898-1901年。写真:クラクフ国立博物館
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「ザコパネ様式」は1890年代に画家・批評家であるスタニスワフ・ヴィトキェヴィチ(Stanisław Witkiewicz, 1851-1915)が創始した、ポーランド初の民族様式である。18世紀、ロシア・プロイセン・オーストリアによって国土を分割されたポーランド人の民族アイデンティティを表現する思想であるとともに、そこから実際に形のある物を作り出すに至った様式だ。着想の源はポーランド南部、タトリ山脈(Tatry)の麓に広がる丘陵地、ポトハレ(Podhale)地方の農民文化。この地方では地理的に冬が長いため、この様式に基づいてデザインされる製品の多くは、冬にまつわるものだった。
木材から作られるザコパネ様式の製品は、この地方の民芸品・工芸品と視覚的なつながりをはっきり保っている。伝統的なアイテムを新たな視点でとらえ直し、文化遺産を実用性とブレンドすることで、元来の機能や主な特徴に異なる意味が与えられ、まったく新しい物が生まれた。たとえば台所のスプーン掛けがカーテンレールに、橇は肘掛け椅子へとデザインされ直されている。民俗的な特徴が付与され、新たな機能を得た製品は、当時の人々にとってより親しみやすく、使いやすくなると同時に、重要な文化的・政治的なメッセージを携えていた。美術史家・ポーランドのデザイン史研究の第一人者、イレナ・フムル(Irena Huml, 1928-2015)は、ザコパネ様式について1978年にこう述べている:「正式には定められていなかったが、明確な特徴を備えたこの様式は、原則として『ポーランド的なるもの』の同義語となった」。
家具から衣服に至るまで、ザコパネ様式はありとあらゆるものに適用された。この様式を最も印象的な見事な形で表しているのが、スタニスワフ・ヴィトキェヴィチがデザインし、20世紀初頭、世界的に有名なフランス王立セーヴル磁器製作所によって作られた、磁器の食器セットだ。作品のモチーフにはザコパネ建築における木彫りの要素も認められる。製作されたのは2セットのみで、そのうち一つはヴィトキェヴィチ自身によって1902年にクラクフ国立美術館に寄贈された。
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ヴワディスワフ・スコチラス(Władysław Skoczylas, 1883-1934)の素描《Zbójnicy(山賊)》に基づいたザコパネのキリム、1920年頃。写真:ワルシャワ国立美術館
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「ツェペリア(Cepelia)」として知られる「Centrala Przemysłu Ludowego i Artystycznego(民俗・芸術産業本部)」は、伝統的なポーランド民芸の振興・保存を目的とし、1949年に設立されたポーランドの国有機関である。民芸アーティストの作品を管理し、ツェペリアの店舗を通じて都市部の人々に作品を伝えるのが使命だった。これらの店舗はポーランド国内外で展開され、「キリム(kilim)」を始め、様々な手製の装飾品や実用品を提供した。
キリムは平織り〔パイル(毛足)のない織り方〕・手仕事による両面タペストリーまたはラグで、壁掛けや、床を覆う敷物として使われる。主に羊毛で作られ、見た目の美しさに加え、寒い冬の間、屋内の断熱効果を担うなど、実用性の高い製品でもある。伝統的な織物技法が、ポーランドの誇る民芸の遺産に着想を得たデザインと融合している点が特徴だ。主要な色は茶やオレンジなどのアースカラーだが、より大胆な色彩を取り入れた例も存在する。色合いにかかわらず、これらのタペストリーの多くはポーランドの各地域特有の伝統を称えていた。ポーランドの職人芸の美しさを世界へと伝えるツェペリアの店舗に置かれたことで、キリムは国外の人々にも広く紹介された。
1972年のツェペリアの商品カタログには「ツェペリアの多様な生産活動において、織物産業は最も重要な役割を担っている」と書かれ、キリムを始めとする製品の人気が強調されている。もっとも、キリムだけがツェペリアの看板商品だったわけではない。ベッドカバーや枕カバー、テーブルセンターなども販売され、伝統的なポーランド織物の芸術性を披露していた。
別のパンフレットでは、ツェペリア製品が冬のインテリアに明るさをもたらす理想的なアイテムとして称賛され、次のように書かれている:「わが国では冬が長く続き、周囲が暗い灰色で覆われ、日照時間が不足しているのを実感します。ツェペリアが選んだ色鮮やかな製品が、皆さんの家の、穏やかで機能的なインテリアを彩るのに役立ちますように」。この文句では、長く続く寒い冬、キリムを始めとする製品が、ポーランドの各家庭にあたたかさと魅力を届けることが強調されている。ただ、ツェペリアは国営機関であり、社会主義政権の思想を宣伝する政治的な役割を果たしていたことも忘れてはならない。カタログ・パンフレットやその他の広報資料では製品の良い側面しか紹介されておらず、実物より魅力的な品のように描かれていた。
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ゾフィア・ストリイェンスカのデザインによる、山岳民の姿をかたどった木製玩具「Góral Sabała(グラル・サバワ)」2体。1919年、イェジー・ヴァルハウォフスキの工房で子どもたちが飾り付けを担当。写真:クラクフ民族学博物館
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クラクフ工房協会(Stowarzyszenie Warsztaty Krakowskie)は、手彫りの木製玩具の歴史において特別な位置を占めている。クラクフ工房は1913年に設立された芸術家・職人の協同組合で、民芸品にインスピレーションを得て活動を行った。ポーランド独自の国民性を守り反映させ、機能的かつ装飾にも適した工芸品の製作を目指し、木製のおもちゃもその一つだった。
第一次世界大戦によるポーランド国内の芸術レベルの低下については多くの評論家や芸術家が懸念し、この問題への取り組みが促された。クラクフ工房の玩具製作プロジェクトは、子どもと大人双方の創造性や知的発達を目指し、教育的な目的を掲げて実行された。これらの活動は職人の技術を向上させたのみでなく、創意あふれる思考を備えた新たな世代のアーティストを育て、豊かなポーランド芸術の伝統を継承することが可能となった。
戦間期ポーランドの最も優れたアーティストの一人、ゾフィア・ストリイェンスカ(Zofia Stryjeńska, 1891-1976)は、木製玩具の作家としても知られる。ポーランド民芸に着想を得た鮮やかな色とアール・デコの形式を用いたストリイェンスカ独自の様式の精神は、子ども向け玩具の意匠にも吹き込まれている。これらの作品には、ライコニク(Lajkonik)〔東洋風の髭と衣装をつけ、腰に馬の模型を装着した男性。13世紀、タタール人のクラクフ侵攻を防いだとされるヴィスワ川の筏師の伝説に基づき、聖体祝日後の木曜日に市内を練り歩く他、クラクフ旧市街広場で観光客向けのアトラクションがよく見られる〕やヴァヴェル城の竜〔ヴァヴェル城の丘の麓に住み、クラクフの住民を苦しめたとされる。靴職人の機転により退治〕など、ポーランドの有名キャラクターが描かれた。この他、民俗的な特徴の玩具も作成されている。例えば、タトリ山地に住む「グラル(góral)」〔複数形は「グラーレ(górale)」〕つまり「山岳民」をかたどった人形は、羊皮のコート・帽子、硬底の革製モカシン「キェルプツェ(kierpce)」など、伝統的な冬の衣装に身を包んでいる。
ストリイェンスカの木製玩具は、簡素な作りに、バネや針金等の材料を巧みに用い、動きのある効果を加えたことで高く評価されている。彼女の作品は1925年、パリ万国博覧会(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)でディプロム・ドヌール(名誉賞状)を授与され、世界的な名声を獲得した。ストリイェンスカは玩具に自ら彩色することもあり、クラクフ工房の傑出したメンバーであるアントニ・ブシェク(Antoni Buszek, 1883-1954)とイェジー・ヴァルハウォフスキ(Jerzy Warchałowski, 1874-1939)の指導の下、工房が雇った子どもたちがこの作業に頻繁に参加した。双方の協力により、芸術的な洗練と、専門的な美術教育に染まっていない、子どもらしい創造性のバランスが実現された。
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ボレスワヴィエツ陶器のコーヒーセット。写真:Zakłady Ceramiczne „BOLESŁAWIEC” / Producent Naczyń Ceramicznych / Dobra Cena
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ボレスワヴィエツ陶器はポーランドの最も有名な伝統工芸品の一つで、700年以上前にさかのぼる歴史を誇り、名前が示す通り、下シロンスク(Dolny Śląsk)地方のボレスワヴィエツ(Bolesławiec)の名産品である。ボレスワヴィエツの町は天然の粘土層に恵まれ、陶器の製造に理想的な条件を備えていた。その陶器は藍色と白色の手描きデザイン、高品質の炻器(磁器・陶器の中間の焼き物)と耐久性で知られる。
陶器はすべて「スポンジ技法」を用いて手で絵付けされる。職人がスポンジを用いて複雑な模様を表面に押していく技法で、何世代にもわたって受け継がれてきたこの方法は、ボレスワヴィエツ陶器の代名詞になっている。
冬のシンボルや行事は陶器デザインにも大きな影響を与えてきた。各メーカーは白い釉薬、藍色で雪の結晶やその他の冬のモチーフを描いた、様々な食器の「冬コレクション」を揃えており、中にはクリスマスツリーの形をした大皿やスノーマンの形の燭台、クリスマス・ツリーのオーナメントなどの製品もある。
ボレスワヴィエツの工房や工場で製造される陶器は、ポツダム会談を受けて第二次世界大戦後に国境が西に移動し、この町がポーランドの一部になってから人気を得るようになった。陶器製品はツェペリアを始めとする国営機関によって販売され、国外にも輸出された。一時は町の生産の約90%を輸出が占め、CIAを始めとする重要な顧客のために製作が行われていたという。近年では2017年、アガタ・コルンハウゼル=ドゥダ大統領夫人から英国のウィリアム王子・キャサリン妃への贈り物にも選ばれている。今では伝統的なデザインと現代風のデザインが共に生産され、ボレスワヴィエツならではの藍・白の模様がモダンな解釈と溶け合っているものも多い。
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左:クリスマス向けのテーブルクロスとクリスマス・ツリーのオーナメント。右:コニャクフ・レースで作られた婦人用ランジェリー。写真:Marek Skorupski & Andrzej Sidor / Forum
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ポーランド南部、チェコ・スロヴァキアとの国境近くのコニャクフ(Koniaków)村は、140年以上もの間、手仕事による繊細なクロシェ(かぎ針編み)レースで名を馳せてきた。最高級のコルドネ糸で作られたこれらの精巧な作品はそれぞれ、世界でただ一つのもので、他に類がない。見事なレース編みの技術は世代から世代へと、型紙やパターンなしに地元の女性職人によって受け継がれ、伝統が大切に守られてきた。
コニャクフ・レースはただ有名なだけではない。驚くほど万能で、ハンドバッグからランプシェードに至るまで、ありとあらゆる物に用いられ、ひときわ優れた手芸の技の柔軟性と時代を超える優雅さを伝えている。コニャクフ・レース製品のデザインは自然から着想を得ており、ナプキンやテーブルクロスには雪の結晶や花に似た精巧な模様が施されている。近年はコニャクフ・レースを用いたクリスマス・オーナメントが作られている。伝統的なハート型や丸型に加え、冬コレクションでは様々な形の星や天使など、伝統的なクリスマスのモチーフも取り揃えられている。
コニャクフ・レースは世界的な認知度を得ており、ディオール、エリー・サーブやルイ・ヴィトン等、名だたるファッション・デザイナーがデザインに組み込んでいるほどだ。その魅力はファッションを超え、ローマ教皇やエリザベス2世を始めとする著名人のためにもレースが作られてきた。
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ポルスポルトのスキー、1978年。写真:Stanisław Momot / PAP
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「ポルスポルト(Zakłady Sprzętu Sportowego „Polsport”)」は共産主義時代のポーランドで最も有名なスポーツ用品メーカーの一つ。国有企業だったポルスポルトは、アマチュア・プロを問わず多様なスポーツ用品を幅広く生産し、スキー、橇やアイススケート等、冬季スポーツ製品もその一部だった。ポルスポルトの製品は社会主義国家の健康増進・余暇推進政策の下、ポーランドはもちろん、冷戦下の東側諸国で広く使われた。ポーランド人は自国メーカーの製品を着用してエヴェレスト山に登り、重要なサッカーの試合に出場し、オリンピックのメダルを獲得していたのだ。
ポルスポルトの製品は全国22ヶ所の工場で生産され、広く普及していたが、質は良くないことが多かった。ソ連邦とポーランドを含む衛星国で実施された中央計画経済においては、国家が商業・産業企業を管理し、私営企業との競争が欠如していたため、消費者は他に選択肢がなかった。たとえば、ポルスポルトのスキーは低い気温と湿気の中で頻繁に壊れた。スキー靴も履き心地が悪いことで知られ、寒さによって硬くなり、足の血行を妨げるほどだった。これらの欠点にもかかわらず、選択肢が少ない(または全くない)ため、多くの人々が自ら苦労して稼いだお金を進んで費やし、これらの製品を買い求めた。
この構造は1980年代末に変わり始める。ポーランドの他の多くの企業のように、ポルスポルトも1989年、共産主義の崩壊に続いて出現した自由市場経済に適応しようと苦戦した。高品質の輸入品と競争することは叶わず、1990年代後半に同社は操業を停止。ポルスポルトは過ぎ去った時代の象徴として、その製品とともに育った人々にとって懐かしい、よき思い出となっている。
冬はポーランドのデザインと深く関わり合い、今も影響を与え続けている。この季節に特有の天候や空気はアーティスト、メーカーや製造者を触発し、ポルスポルト製品やツェペリアのキリムを始めとするユニークな製品が考案され、世に送り出されてきた。雪の結晶、クリスマス・ツリーやスノーマン等、お馴染みの冬のイメージは、ボレスワヴィエツやコニャクフ・レースのデザインに組み込まれ、一方でストリイェンスカの玩具のように、冬の存在をさりげなく感じるものもある。冬はポーランドの民族様式全体にインスピレーションを与え、1世紀以上経った今でも、その重要性は衰えることがない。単なる季節の一つに過ぎないと考える人も多いが、創造する力に秀でたポーランドの人々にとり、冬は霊感の源であり、文化的・政治的な意味のある作品が生み出されてきた。
執筆:ヴィクトリア・キヨフスカ(Wiktoria Kijowska)、2024年12月31日
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2025年12月