詩人、作家、エッセイスト、翻訳家。もっとも偉大なポーランド詩人のひとり。1980年度ノーベル賞をはじめとする各文学賞の受賞者。作品は様々な言語に翻訳されている。アメリカ・ポーランドの多くの大学から名誉博士号を授与され、リトアニアおよびクラクフ市の名誉市民。1911年6月30日、リトアニア東南部のシェテイニェで生まれ、2004年8月14日、クラクフにて永眠。
1911年、ロシア帝国領リトアニアのニェヴィヤジャ(Niewiaża)〔リトアニア語名はニェヴェジス(Nevėžis)〕川のほとり、シェテイニェ(Szetejnie)〔同シェテネイ(Šeteniai)〕村の所領地で生まれる。幼年期は父親の仕事の関係でシベリアに行き、1914-1918年はロシアで過ごした。独立を回復したポーランドに編入されたヴィルノ(Wilno)〔リトアニア語名はヴィリニュス(Vilnius)。ミウォシュは英語・フランス語でも「ヴィルノ」と呼んだ〕のステファン・バトーリ大学〔1579年創設の現ヴィリニュス大学の1919-39年の名称。ヴィルノ大学〕で法学を修める。在学中、ポーランド文学サークル創作部門と放浪学問クラブに所属。1930年、同大学の刊行物『Alma Mater Vilnensis(ヴィルノの母校)』第9号に2編の詩「Kompozycja(構成)」と「Podróż(旅)」が掲載され、デビューを飾る。1931年には文学誌『Żagary(ジャガールィ)』〔当時のポーランド東部の方言で、火を起こすのに用いる柴・そだや乾いた木の棒の意〕の共同創刊者となり、同名の文学グループはヴィルノの若きカタストロフィズム〔戦間期ポーランド詩の思想・芸術潮流。文化システムの根本をなす価値観の崩壊、避けようのない歴史的・道徳的な破局が当時の世界を脅かすとした〕論者たちの拠点となった。1933年、ミウォシュ初の詩集『Poemat o czasie zastygłym(凝固した時の詩)』が出版され、ヴィルノのポーランド文学者労働組合(Związek Zawodowy Literatów Polskich)よりフィロマト賞(Nagroda im. Filomatów)〔フィロマト(Filomat)は「知識を愛する者」の意。1812-1823年、ロシア帝国下のヴィルノ大学に存在した学生・卒業生の秘密組織フィロマト協会(Towarzystwo Filomatów)は、アダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz;1798-1855)が共同創設者〕を受賞。1934-1935年には民族文化財団の奨学生としてパリに滞在し、遠い親戚で詩人・作家のオスカル・ミロシュ(Oscar Milosz / Oskar Miłosz;1877-1939)と交流、彼の作品に影響を受けた。
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チェスワフ・ミウォシュ、写真:SIPA / East News
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1936年、第2詩集『Trzy zimy(3つの冬)』を出版。一貫してカタストロフィズムの詩学で表された本詩集は幅広い反響を呼び、ステファン・ナピェルスキ(Stefan Napierski;1899-1940)、ルドヴィク・フルィデ(Ludwik Fryde;1912-1942)、コンスタンティ・トロチンスキ(Konstanty Troczyński;1906-1942)、イグナツィ・フィク(Ignacy Fik;1904-1942)等、当時のもっとも重要な批評家たちが本書を取り上げた。
1936年、第2詩集『Trzy zimy(3つの冬)』を出版。一貫してカタストロフィズムの詩学で表された本詩集は幅広い反響を呼び、ステファン・ナピェルスキ(Stefan Napierski;1899-1940)、ルドヴィク・フルィデ(Ludwik Fryde;1912-1942)、コンスタンティ・トロチンスキ(Konstanty Troczyński;1906-1942)、イグナツィ・フィク(Ignacy Fik;1904-1942)等、当時のもっとも重要な批評家たちが本書を取り上げた。
1937年、ミウォシュはワルシャワに移り、ポーランド・ラジオ放送に職を得る。第二次世界大戦が勃発すると、まずルーマニアで過ごしたのち、ヴィリニュスに行き、リトアニアが赤軍に掌握されると、ワルシャワになんとか戻る。ドイツ占領下ではワルシャワ大学図書館で働き、一方で地下文化活動に携わった。ワルシャワ蜂起(1944年)が失敗すると、ゴシツェ(Goszyce)のトゥロヴィチ夫妻(Anna Turowicz;1916-2000、Jerzy Turowicz;1912-1999)宅に滞在し、その後はクラクフに住んだ。月刊文芸誌『Twórczość(作品)』の編集部に所属。1945年、戦前・占領期の作品の詩集『Ocalenie(救出)』を出版し、この時期のもっとも重要なポーランド詩集となる。批評家・文学史家のカジミェシュ・ヴィカ(Kazimierz Wyka;1910-1975)はミウォシュについて次のように述べている:
彼は同世代の詩人やライバルたちから、頭ひとつ抜きん出ていた。彼が立ち向かった課題は、自らの世代だけのものではなかった〔…〕。時代を経ても色あせることのない、詩というもの、それ自体の課題だった。
1948年、『Twórczość』に詩「Traktat moralny(倫理的論考)」を掲載。
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チェスワフ・ミウォシュ、写真:AKG Images / East News
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1945年の終わりからミウォシュは外交官として働き始め、当初はニューヨークのポーランド領事館に勤務、続いてワシントンD.C.でポーランド大使館の文化担当官の職を得たのち、パリのポーランド大使館で第一書記官を務める。1950年のクリスマスにワルシャワを訪れた折、当局に旅券を没収される。大変な苦労の末に旅券を取り戻したのち、パリに戻り、フランス政府に政治亡命を申請。パリ郊外、「文学研究所(Instytut Literacki)」の本拠地であるメゾン・ラフィット(Maisons-Laffitte)に住み〔「文学研究所」は亡命ポーランド人の出版社。1946年、イェジ・ギェドロイツ(Jerzy Giedroyc;1906-2000)、ゾフィア・ヘルツ(Zofia Hertz;1910-2003)、ズィグムント・ヘルツ(Zygmunt Hertz;1908-1979)、グスタフ・ヘルリンク=グルジンスキ(Gustaw Herling-Grudziński;1919-2000)、ユゼフ・チャプスキ(Józef Czapski;1896-1993)によりローマに設立され、翌年、メゾン・ラフィットに移設〕、同出版社と協力関係を結んだ。1951年、月刊誌『クルトゥーラ(Kultura)』〔文学研究所により1947年に創刊。政治・文化の自由な論争の場を提供、第二次世界大戦後の亡命・在外ポーランド人の拠り所となり、ポーランド国内の知識人にも大きな影響を与えた〕に文学作品、論説、そして翻訳を掲載する。『クルトゥーラ』シリーズから彼の著作が出版され、1953年、名高いエッセイ集『囚われの魂(Zniewolony umysł)』、詩集『Światło dzienne(日の光)』および小説『Zdobycie władzy(権力の奪取)』〔英語版からの邦訳:『ギル教授の孤独』〕刊行。続いて1955年に小説『Dolina Issy(イッサの谷間)』、1957年に『Traktat poetycki(詩的論考)』が出版される。1957年、雪融け期〔1953年のヨシフ・スターリンの死、1956年のフルシチョフによるスターリン批判を経て、ソ連や東欧諸国で言論統制・検閲が緩和された時期〕にはポーランドでも新聞・雑誌等にミウォシュの詩が掲載され、好評を博した。その後は長年にわたり、彼の著作物は非公式ルートでのみ入手が可能だった。
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左から、グスタフ・ヘルリンク=グルジンスキ、ヴウォジミェシュ・ボレツキ(Włodzimierz Bolecki;1952-)、チェスワフ・ミウォシュ。クラクフ、1994年。写真:Elżbieta Lempp
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1958年に自伝的エッセイ集『Rodzinna Europa(故郷ヨーロッパ)』を刊行。1960年、カリフォルニア大学およびインディアナ大学の招聘に応じて渡米。バークレーに定住し、カリフォルニア大学バークレー校スラヴ語・スラヴ文学科で教授のポジションに就く。大学の仕事を得たおかげで、米国でポーランド文学を広めることが可能となった。その後、『Król Popiel i inne wiersze(ポピェル王ほか)』(1962年)、『Człowiek wśród skorpionów. Studium o Stanisławie Brzozowski(サソリたちの間の人間――スタニスワフ・ブジョゾフスキ論)』(1962年)、『Gucio zaczarowany(魅了されたグチョ)』(1965年)等、自身の詩集・著作を次々と出版するほか、1965年には戦後のポーランド詩人の作品を英訳したアンソロジー『Postwar Polish Poetry(戦後ポーランド詩)』を刊行。ズビグニェフ・ヘルベルト(Zbigniew Herbert;1924-1988)の作品を始めとするポーランド詩の翻訳者・普及者としてのミウォシュの役割は大きかった。
1973年、ミウォシュ本人の詩集『Selected Poems(詩選)』が出版され、アメリカ人の間でも、エッセイストや翻訳家とともに、詩人として知られるようになる。翌年『Gdzie wschodzi słońce i kędy zapada(陽の昇る処、沈む方)』を刊行。1977年にはミウォシュのエッセイ集『Ziemia Ulro(ウルロの土地)』、また詩人・作家アレクサンデル・ヴァット(Aleksander Wat;1900-1967)との対談集『Mój wiek(私の世紀)』が出版される。
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ポーランドのチェスワフ・ミウォシュ。1981年。写真:Aleksander Jałosiński / Forum
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1974年、翻訳分野での素晴らしい功績によりポーランド・ペンクラブ賞を受賞。1976年にグッゲンハイム・フェローシップ、1977年にはミシガン大学から名誉博士号を授与される。1978年、国際ノイシュタット文学賞とともに、カリフォルニア大学バークレー校より名誉博士号と同等の賞を受賞。チェスワフ・ミウォシュがノーベル文学賞を受賞したのは1980年。世界的な名声を得て、ポーランド国内でも彼の著作の出版が可能となった。
ミウォシュは1981年にポーランドを訪れ、ルブリン・カトリック大学の名誉博士号を授与される。1981/1982年度にはハーバード大学で現代詩に関する一連の講義も行った。
1989年、再びポーランドにやってきて以来、母国を次第に頻繁に訪れるようになり、バークレーに加えてクラクフが彼の第2の家となった。週刊誌『Tygodnik Powszechny(週刊普遍)』、日刊紙『Gazeta Wyborcza(選挙新聞)』、文学雑誌『Zeszyte Literackie(文学ノート)』、また日刊紙『Rzeczpospolita(共和国)』付録の『Plus Minus(プラス・マイナス)』に寄稿。亡くなるまで精力的に創作活動を続け、晩年、新たに詩集『To(これ)』(2000)、『Druga przestrzeń(もう一つの場所)』(2002)、『Orfeusz i Eurydyka(オルペウスとエウリュディケー)』(2002)を出版した。
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ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska;1923-2012)とチェスワフ・ミウォシュ。1998年。写真:Krzysztof Wojciewski / Forum
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2004年8月14日、クラクフにて死去。スカウカ(Skałka)教会〔クラクフのヴィスワ川沿い、ヴァヴェル城の南のカジミェシュ地区に位置する、大天使ミカエルおよび司教・殉教者聖スタニスワフ大聖堂(Bazylika św. Michała Archanioła i św. Stanisława Biskupa i Męczennika)。愛称の「スカウカ」は「小さな岩」の意。地下室にポーランドの偉人が祀られている〕のポーランド文化功労者の墓所に埋葬された。
70年にわたって生み出されたミウォシュの作品について、わずか数行で述べることはもちろんできない。感覚と知性、人々の毎日の習慣と歴史的な出来事とを統合する詩であり、形而上学的でありながら、自身が歩んできた人生とも強く結びついている。ミウォシュが関心を持っていた領域は、「倫理的論考」、「詩的論考」、「神学的論考(Traktat teologiczny)」という、彼の3つの重要な詩のタイトルによく表れている。そのスタイルの多様さは、「より豊かな形式」を目指し、頑固に「現実を追求した」ことによるものだ。ミウォシュの作品を熟知する文学史家・批評家ヤン・ブウォンスキ(Jan Błoński;1931-2009)は、1980年、次のように述べている:
ノーベル賞は、チェスワフ・ミウォシュの才能のみに与えられたのではない。歴史の罠や個人的な経験を乗り越えることを可能にした、彼の忍耐と内なる声への忠実さに対する賞でもある。ミウォシュの文章は明快だが、詩には闇があり、豊かな内容が絡み合っている。彼の作品をなにか楽器にたとえるなら、それはオルガンだろう。オルガンはさまざまな音を模倣しようとするが、オルガンであることに変わりない。オルガンがひとつの音楽を作り上げるように、ミウォシュの作品には、皮肉や調和、ロマン主義のインスピレーションや知的な厳格さ、数十もの慣用句を操る能力、そして、すぐにそれとわかる文体と、余計なものを削ぎ落とし、何本かのクレヨンで全世界を塗りあげる、感動的なまでに純粋なスタイルが不思議な方法で共存し、それらすべてが詩的世界を作り上げている。
ミウォシュはT.S. エリオットの長編詩『荒地(The Waste Land)』、シモーヌ・ヴェイユの散文、そして聖書の何巻か(「Księga psalmów(詩篇)」(1979)、「Księga Hioba(ヨブ記)」(1980)、「Księga pięciu megilot(メギッラー五書)」(1982)、「Ewangelia według Marka(マルコによる福音書)」(1984年)、「Apokalipsa św. Jana(ヨハネ黙示録)」(1984年)、「Księga mądrości(知恵の書)」(1989年))をポーランド語に翻訳している〔ミウォシュはヘブライ語・ギリシャ語も学んだが、聖書の翻訳には主に英訳を参照したという〕。
2000年から、「ズナク(Znak)」出版と文学出版社(Wydawnictwo Literackie)の共同イニシアティヴにより、『Dzieła zebrane(作品集)』各巻の出版を開始。2011年、『Wiersze wszystkie(全詩集)』刊行。
執筆:クリスティナ・ドンブロフスカ(Krystyna Dąbrowska)、『Antologia polskiej poezji od Średniowiecza do wieku XXI(中世―21世紀のポーランド詩アンソロジー)』に向け、ピォトル・マティヴィエツキ(Piotr Matywiecki)案に従って編集、2008年9月
翻訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2024年6月
作品リスト
- Poemat o czasie zastygłym(凝固した時の詩), Wilno: Koło Polonistów Słuchaczy USB, 1933
- Trzy zimy (三つの冬), Warszawa: Wyd. Władysława Mortkowicza, 1936
- Ocalenie(救出), Warszawa: Czytelnik, 1945
- Zniewolony umysł(囚われの魂), Paryż: Instytut Literacki, 1953 〔翻訳:フランス語、英語、イタリア語、ブルガリア語、チェコ語、ギリシャ語、スペイン語、セルビア・クロアチア語、マセドニア語、ドイツ語、スウェーデン語、ウクライナ語、ハンガリー語、日本語〕
- Światło dzienne(日の光), Paryż: Instytut Literacki, 1954
- Zdobycie władzy(権力の奪取), Paryż: Instytut Literacki, 1955 〔翻訳:フランス語、英語、スペイン語、グジャラート語、インドネシア語、日本語、韓国語、マレー語、ドイツ語、セルビア・クロアチア語、スウェーデン語、ハンガリー語〕
- Dolina Issy(イッサの谷間), Paryż: Instytut Literacki, 1955〔翻訳:フランス語、英語、ドイツ語、ブルガリア語、デンマーク後、フィンランド後、フラマン語、ノルウェー語、セルビア・クロアチア語、スウェーデン語、ハンガリー語〕
- Traktat poetycki(詩的論考), Paryż: Instytut Literacki, 1957〔翻訳:ロシア語〕
- Rodzinna Europa(故郷ヨーロッパ), Paryż: Instytut Literacki, 1959〔翻訳:フランス語、英語、デンマーク語、フィンランド語、フラマン語、スペイン語、ドイツ語、セルビア・クロアチア語、スウェーデン語、ハンガリー語、イタリア語〕
- Król Popiel i inne wiersze(ポピェル王ほか), Paryż: Instytut Literacki, 1962
- Gucio zaczarowany(魅了されたグチョ), Paryż: Instytut Literacki, 1965
- The History of Polish Literature, London & New York: MacMillan, 1969〔翻訳:ポーランド語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語〕
- Widzenia na zatoką San Francisco(サンフランシスコ湾をのぞんで), Paryż: Instytut Literacki, 1969〔翻訳:英語、フランス語、セルビア・クロアチア語〕
- Miasto bez imienia(名のない町), Paryż: Instytut Literacki, 1969
- Gdzie słońce wchodzi i kędy zapada(陽の昇る処、沈む方), Paryż: Instytut Literacki, 1974〔翻訳:セルビア・クロアチア語〕
- Prywatne obowiązki(私的な債務), Paryż: Instytut Literacki, 1974
- Emperor of the Earth, Berkeley: University of California Press, 1976
- Ziemia Ulro(ウルロの地), Paryż: Instytut Literacki, 1977〔翻訳:英語、フランス語、ドイツ語、セルビア・クロアチア語〕
- Ogród nauk(学問の園), Paryż: Instytut Literacki, 1979〔翻訳:フランス語〕
- Nobel Lecture, New York: Farrar, Straus, Giroux, 1981
- Hymn o perle(真珠の讃歌), Paryż: Instytut Literacki, 1982〔翻訳:チェコ語、セルビア・クロアチア語〕
- The Witness of Poetry, Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983〔翻訳:ポーランド語、フランス語、ドイツ語、セルビア・クロアチア語〕
- Nieobjęta ziemia(到達されざる地), Paryż: Instytut Literacki, 1985〔翻訳:英語、フランス語、ドイツ語〕
- Zaczynając od moich ulic(私の通りから), Paryż: Instytut Literacki, 1985〔翻訳:英語、フランス語〕
- Kroniki(年代記), Paryż: Instytut Literacki, 1987〔翻訳:フランス語、セルビア・クロアチア語〕
- Dalsze okolice(さらに遠い辺り), Kraków: Znak, 1991〔翻訳:英語〕
- Szukanie ojczyzny(祖国を探す), Kraków: Znak, 1992〔翻訳:リトアニア語〕
- Na brzegu rzeki(河岸で), Kraków: Znak, 1994〔翻訳:英語〕
- Metafizyczna pauza(形而上学的な間), Kraków: Znak, 1995
- Legendy nowoczesności (Eseje wojenne)(近代の伝説(戦争エッセイ)), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 1996
- Piesek przydrożny(路傍の犬), Kraków: Znak, 1997
- Życie na wyspach(島での生活), Kraków: Znak, 1997
- Abecadło Miłosza(ミウォシュのABC), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 1997
- Inne abecadło(その他のABC), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 1998
- Wyprawa w Dwudziestolecie(戦間期への旅), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 1999
- To(これ), Kraków: Znak, 2000
- Druga przestrzeń(もう一つの場所), Kraków: Znak, 2002
- Orfeusz i Eurydyka(オルペウスとエウリュディケー), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 2003
- Spiżarnia literacka(文学の倉庫), Kraków: Wydawnictwo Literackie, 2004
- Przygody młodego umysłu(若き精神の冒険), Kraków: Znak, 2004
- Wiersze(詩)(チェスワフ・ミウォシュ『Dzieła zebrane(作品集)』第1巻―4巻), Kraków: Społeczny Instytut Wydawniczy Znak i Wydawnictwo Literackie, 2000-2004
- Wiersze ostatnie(最後の詩), Kraków: Znak, 2006
- Zaraz po wojnie. Korespondencja z pisarzami 1945-1950(戦後まもなく――作家たちとの往復書簡1945-1950年), Kraków: Znak, 2007
- Wiersze i ćwiczenia(詩と習作), Warszawa: Świat Książki, 2008
- Wiersze wszystkie(全詩集), Kraków: Znak, 2011(初版), 2024 (第5版)
翻訳(選)
日本語:
-
『囚われの知性(Zniewolony umysł)』(英語版から)麻生隆義訳、国際文化協会(1954年)
-
『ギル教授の孤独(Zdobycie władzy)』(英語版から)保坂和子訳、鏡浦書房(1958年)
-
『囚われの魂(Zniewolony umysł)』(英語版から)工藤幸雄訳、共同通信社(1996年)
-
『ポーランド文学史(The History of Polish Literature)』関口時正、西成彦、沼野充義、長谷見一雄、森安達也訳、未知谷(2006年)
-
『チェスワフ・ミウォシュ詩集』関口時正・沼野充義編、成文社(2011年)
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『世界 ポエマ ナイヴネ(Świat. Poema naiwne)』つかだみちこ・石原耒訳、港の人(2015年)
-
インタビュー:「戦後ポーランドの文化を語る――懐古と展望 コワコフスキ、ミウォシュ両氏に聞く(聞き手 工藤幸雄)」『ポーランド月報』第20号〔国際シンポジウム「二十一世紀への英知――ノーベル賞受賞者は提唱する」(大阪青年会議所、毎日新聞社ほか主催、1983年9月13日―14日)登壇者として来日〕、2-7頁
英語:
- Selected Poems. Czesław Miłosz, Peter Dale Scott, Laurence Davies, Richard Lourie, Jan Darowski, & John Carpenter, Trans. Introduction by Kenneth Rexroth. New York: Seabury Press, 1973
- The Collected Poems. Czesław Miłosz, Peter Dale Scott, Laurence Davies, Robert Hass, Richard Lourie, Leonard Nathan, Robert Pinsky, & Lillian Valee, Trans. New York: The Ecco Press, 1988
- Facing the River: New Poems. Czesław Miłosz, Robert Hass, Trans. Manchester: Carcanet, 1995
フランス語:
- Enfant d’Europe et autres poèmes. 訳:Monique Tschui, Jil Silberstein. Lausanne: L’Age d’Homme, 1980
ドイツ語:
- Verführtes Denken. 訳:Alfred Loepfe, 序文:Karl Jaspers
- Kiepenuhr i witsch, Köln-Berlin 1953. Gedichte: 1931-1981. 訳:Karl Dedecius, Jeannine Łuczak-Wild. Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982
雑誌のミウォシュ特集(選)
- World Literature Today, 1978, No. 3
- "Twórczość", 1981, nr 6
- "Zeszyty Literackie", 2001, nr 75 (付録「O dziele Czesława Miłosza(チェスワフ・ミウォシュの作品について)」「Głosy z lat 1937-2000(1937-2000年からの声)」)、2005, nr 5、2006, nr 94