ノーベル文学賞を受賞した5人のポーランド人作家
ポーランドには、現在までに5人のノーベル文学賞作家がいる。最近では2019年に受賞した。この5人とはどんな人物で、次に受賞するのはだれだろうか?
1901年にノーベル文学賞が創設されて以来、ポーランドでは5人の作家が受賞している。もしポーランド(または旧ポーランド領)生まれの作家を含めるなら、その数は大幅に増える。シュムエル・ヨセフ・アグノン(ブチャチ生まれ、ヘブライ語で執筆)、アイザック・バシェヴィス・シンガー(レオンチン生まれ、イディッシュ語で執筆)、ギュンター・グラス(グダンスク生まれ、ドイツ語で執筆)などが含まれる。しかし今回は、ポーランド語で執筆した作家に限定してご紹介しよう。
1905年:ヘンリク・シェンキェヴィチ(Henryk Sienkiewicz)
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ヘンリク・シェンキェヴィチ、写真:Piotr Mecik / Forum
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シェンキェヴィチは、古代ローマ時代を描いた歴史大作『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』(1896年)でノーベル賞を受賞したと言われることが多いが、実はそうではない。思い違いが起こるほど、この作品が有名だということだろう。実際のシェンキェヴィチの受賞理由は「叙事詩作家としての偉大な功績」とされている。
スウェーデン・アカデミーの事務局長だったカール=ダーヴィッド・アフ・ヴィルセーンは、賞の授与に際し、別の作品『大洪水(Potop)』の重要性を何度も強調した。政治的混乱にあった17世紀のポーランドを舞台にした歴史三部作は、サルマチアの伝統を讃え、愛国的な希望の源となった。有名な言葉にあるように「心を元気づける」ためにこの本は書かれたのだ。
授賞式後の晩餐会のスピーチで、シェンキェヴィチは、ノーベル賞受賞の栄誉は、当時地図上から消えていたポーランドの息子にとって、とりわけ価値のあるものだと強調した。スピーチの内容はこうだった。
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「ポーランドは死んだ、疲弊した、隷属したと言われているが、ここにその命と勝利の証がある。ポーランドの功績と才能に敬意が払われるのを世界が目の当たりにするとき、人はガリレオのように『e pur si muove(それでも動いている)』と考えざるをえない。」
1924年:ヴワディスワフ・レイモント(Władysław Reymont)
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ヤツェク・マルチェフスキ(Jacek Malczewski)によるヴワディスワフ・レイモントの肖像画、1905、キャンバスに油彩、写真:FoKa / Forum;レイモントに贈られたノーベル賞ディプロマ、写真:FoKa / Forum
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興味深いことに、1920年代初めのノーベル賞候補で、ヴワディスワフ・レイモント最大のライバルとなったのは、別のポーランド人作家ステファン・ジェロムスキ(Stefan Żeromski)だった。実際、当初はジェロムスキが有力と考えられていた。しかし、1922年に反ドイツ的な小説『Wiatr od morza(海からの風)』を発表した後、作家に対する激しい批判が起こり、スウェーデン人審査員のドイツびいきと相まって、結果的にレイモントの形勢が有利になった。この年は、他にトーマス・マン(5年後にノーベル賞を受賞)、マクシム・ゴーリキー、トマス・ハーディら本命をおさえての受賞となった。
ウッチ近郊の小さな村に住む農民の暮らしの一年を描いた、4巻からなる「偉大なる国民的叙事詩」である『農民(Chłopi)』が評価されての受賞であった。作品は1901年から1908年にかけて執筆され、スウェーデン語には1921年に翻訳された(レイモントの別の有名な作品『約束の土地(Ziemia obiecana)』はそれより一年早く翻訳されている)。しかし、レイモントはストックホルムでの授賞式に出席していない。健康状態の悪化のため、フランスのニースで療養中だったからだ。翌年、58歳の若さで、ポーランドで息を引き取った。死の直前、友人に宛ててこう書いている。
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「なんという皮肉だろう。ノーベル賞、お金、世界的名声、そして服を脱ぐのもやっとの男。これぞ人生の皮肉の真髄だね。」
ストックホルムでのレイモント作品評の詳細はこちら(英語)
1980年:チェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)
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スウェーデンのカール16世グスタフ国王からノーベル賞を授与されるチェスワフ・ミウォシュ、1980、写真:Bertil Ericson / SCANPIX SWEDEN / Forum
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チェスワフ・ミウォシュに贈られた1980年のノーベル文学賞は、つねに政治的文脈で捉えられてきた。ミウォシュは1951年に西側へ亡命し、1960年以降アメリカで暮らした。ポーランドで労働組合「連帯」が結成されたのと同じ年に、ポーランド人亡命作家への授賞が決定したことは、ソ連圏で起こりつつある政治的転換に対する西側の支援のしるしだと解釈されたのである。
この政治的な含みは、「厳しい対立の世界にさらされた人間の状態を妥協のない明晰な視線で表現した」詩人と評した受賞理由にも見てとれる。ミウォシュは当時、西側諸国では主に『囚われの魂(Zniewolony umysł)』の作者として知られていた。
しかしこのような見方は、ミウォシュが、おそらくそれまでのどのポーランド人ノーベル賞作家よりも、純粋に文学的功績に基づいた受賞に値するだけに、有害な見方であり、フェアではないだろう。ミウォシュは受賞スピーチで政治的話題を避けた。その代わりに、子供時代の愛読書であるセルマ・ラーゲルレーヴ著『ニルスのふしぎな旅』の主人公ニルス・ホルガションを中心に話をした。ミウォシュによると、ガチョウの背中に乗って旅をする少年は、世界を遠くから眺めると同時に、物事を詳細に見ており、詩人の役割を最もよく象徴する存在だという。この比喩を発展させ、シモーヌ・ヴェイユやウィリアム・ブレイクといった愛好する作家を引用しながら、ミウォシュは自身の詩の信条というべきものを表現した。
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「このように、上空から見た『永遠の今』にある地球も、回復した時間を耐えている地球も、どちらも詩の素材になりうる。」
1996年:ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska)
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ノーベル文学賞受賞の一報を受けたヴィスワヴァ・シンボルスカ、ザコパネ、1996、写真:Adam Golec / AG
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ミウォシュからわずか16年後には、別のポーランド人詩人が受賞した。ヴィスワヴァ・シンボルスカの受賞理由は「人間の現実の断片のなかに、歴史的、生物学的背景を、皮肉な正確さで浮かび上がらせた詩」であった。ミウォシュと比べると、シンボルスカは学識の範囲や野心が小さい詩人に思われるかもしれない。しかし、彼女の詩は日常の領域であり、日々の暮らしがもたらす小さな喜びと絶望が、その詩の特徴である温かなアイロニーとともに提供される。
シャイで、人前に出るのを嫌う詩人として知られたシンボルスカは、ノーベル賞受賞に沸き立つメディアに圧倒されて、その知らせを受けた最初の反応は「ああ、なんてこと、どうして私が......」だったと伝えられている。それでもシンボルスカは、ノーベル賞騒ぎ(あるいは彼女の言葉で言えば「ノーベル賞悲劇」)をトレードマークの魅力と知性で乗り切った。受賞スピーチをこんな言葉で始めている。
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「スピーチは最初の一文が最も難しいと言われています。まあ、とにかくもう終わりましたね。」
その後、2012年に亡くなるまでの15年間、シンボルスカは世間のイメージから見事に距離をとり、詩へのオマージュや世間の評価を避けた。プライバシーと孤独を大切にしたのである。
2018(2019)年:オルガ・トカルチュク(Olga Tokarczuk)
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オルガ・トカルチュク、写真:Krzysztof Dubiel for the Polish Book Institute
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ポーランドが5つ目のノーベル文学賞を手にしたのは2019年だ。しかし受賞は2018年である(前年に起こったノーベル賞委員会のスキャンダルのため、決定が翌年に延期されていた)。したがって、2019年には二人にノーベル文学賞が贈られた。一人はオーストリア人作家ペーター・ハントケ(2019年受賞)、そしてもう一人がポーランド人作家オルガ・トカルチュク(2018年受賞)である。
トカルチュク(1962年生まれ)は「越境を生き方の一形態として、博学的な情熱をもって表現する物語的想像力」を評価され受賞している。ノーベル委員会のアンデルス・オルソンは、トカルチュクの作品を「移住と文化的変遷が中心」にあり「ウィットと狡知に満ちている」と述べた。
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作品には『昼の家、夜の家(Dom dzienny, dom nocny)』『プラヴィエクとそのほかの時代(Prawiek i inne czasy)』『Prowadź swój pług przez kości umarłych(未邦訳:死者の骨に鋤を通せ)』『逃亡派(Bieguni)』『Księgi Jakubowe(未邦訳:ヤクプの書物)』などの小説がある。
2018年にトカルチュクは『逃亡派』の英訳『Flights』(Jennifer Croft訳)でマン・ブッカー国際賞を受賞。2019年には『死者の骨に鋤を通せ』の英訳『Drive Your Plow Over the Bones of the Dead』(Antonia Lloyd-Jones訳)でマン・ブッカー国際賞のショートリストおよび全米図書賞翻訳文学部門のロングリストに選ばれた。
執筆:ミコワイ・グリンスキ(Mikołaj Gliński)、2015年4月、更新2019年10月9日
日本語訳:パヴェウ・パフチャレク(Paweł Pachciarek)、YA、2022年5月