土、火と水が生む、ボレスワヴィエツ陶器
ボレスワヴィエツ陶器には、古い錬金術との共通点がたくさんある。一つ一つのカップはどれも、変容の物語である。やわらかい泥から石のごとく硬い炻器が、紫の染料から深いコバルトブルーの色が、そして人間の想像力から、何世代にも渡って生き続ける、美しい器が生まれる。
もし山がなかったら、ボレスワヴィエツ陶器は存在していなかった。3億年前、現在のボレスワヴィエツ付近で地表が隆起し、今のスデティ山地(Sudety)〔ドイツ語はズデーテン山地(Sudeten)〕の祖となる山塊が作られた。続く数百万年の間、山は風化を続ける。水、温度や空気の影響を受けて硬質のミネラルが分解され、やわらかい塵へと変わっていった。こうして徐々に、粘土の堆積層が形成された。
そしてまた、海がなければ、ボレスワヴィエツ陶器は生まれなかった。千万年前、この地域は温かく、豊かな生命にあふれる水で覆われていた。数百万年にわたって海泥が沈んで固まり、幾重にも層をなしていく。海の水は引いては戻り、ミネラルの堆積物の層を作り出した。その後、海は完全に消滅する。地殻変動により、以前ほど高くはないにせよ、再び山が隆起する。そしてついに(わずか1万数千年前)、スカンジナビアからこの地へ流れ込んで来ていた氷河が後退した。
残されたのは緩やかな起伏のある土地で、何世紀にもわたり、穏やかな流れの川が木材の運搬に使われた。時の流れとともに、この地には交易路が作られ、塩、織物やその他こまごまとした商品が行き交い始める。陶芸家たちにとっては、これ以上の条件は望めない、絶好の場所だった。
世界最大の壺
1751年、ボレスワヴィエツに弱冠19歳の陶工、ヨハン·ゴットリープ·ヨッぺ(Johann Gottlieb Joppe)がやって来た。大きな町ではなかったが、きわめて上質のカップやジョッキ、壺や水差しで知られていた。それに対し、若きヨッペは陶土を扱う生まれながらの才能に恵まれ、それに見合う野心も持ち合わせていた。陶器の壺や鍋を一人で作るためにはまず、親方(マイスター)の称号を得る必要があった。当時、ヨーロッパでは職人と親方の身分を分けて定めるギルド制度が機能していたのだ。ヨッぺは21歳で親方になり、その年にもう、偉大な作品となる仕事に取り掛かり始めた。それは文字通り、大きな作品だった。若き親方により作られた巨大な壺は、2千リットル近くの容量、2メートルを越える高さ、最大幅4メートル、そして約600キロの重さを誇った。実用には適していなかったが、この壺は、素晴らしい工芸品、そしてそれよりさらに素晴らしい芸術家の街として、ボレスワヴィエツの名声を高めることになる。
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市立博物館所蔵に置かれていた「大壺」(1909年以降)。写真:ボレスワヴィエツ陶器ミュージアム
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この町にやって来る商人たちは、料金を支払う必要があったのにかかわらず、ヨッぺの作品をひと目見ずにはいられなかった。壺の前に立ち、その後、あたかも歴史的な出来事に立ち会ったかのように、来訪者を記録する芳名帳に署名を行った。
壺は2世紀の間、その姿を保った。最初の140年間は制作された場所、つまりヨッぺの家に立っていた。その後は町の中心部の名誉ある場所に移され、ついには町の博物館に収蔵された。元々の壺は第二次世界大戦のさなか、おそらくソ連軍の兵士によって破壊され、現在は忠実に復元された壺が陶器ミュージアム(Muzeum Ceramiki)に収められている。芸術的な陶器とは、情熱とビジョンを要するということを思い起こさせる作品である。
かたつむりと孔雀の目
ボレスワヴィエツ陶器はひと目見れば、それとわかる。ティーカップはオランダの繊細なデルフト陶器やイギリスの磁器よりもかなり厚く、どっしりしているが、それは欠点ではない。より耐久性があり、飲み物の温度を保つのにも適している。また、華奢な磁器とは異なり、より幅広で、その形はでっぷりした樽を思わせる。装飾性においても引けを取らないが、はっきりと民俗的な特徴を持っている。もちろん愛でることもできるが、何より人々の日常生活に近しく寄り添う食器である。
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民俗的な特徴は形だけではなく、装飾にも表れている。最も頻繁に施される模様は「孔雀の目」だ。緑色、茶色、そして1番多い青色の点が、輪や葉の模様で囲まれている。この「目」が調和のとれた列をなし、またはびっしり集まって、ボレスワヴィエツ陶器の古典的なモチーフを作り出している。他にもヒナギク(点の周りに5枚の花びら)、「カタツムリ」と呼ばれる渦巻模様、そして青い雄鶏や、つる草などがある。「孔雀の目」やその他の反復モチーフには、19世紀に広まったスタンプ技法、つまりハンコのように模様を押し付けていく方法が用いられる。
それより新しい食器シリーズには、より自由な絵付けの手法で装飾される。陶器には何でも描くことが可能だと証明するのが、2025年の大皿アートシリーズだろう。同年に生誕100周年を迎えたヴォイチェフ·イェジー·ハス(Wojciech Jerzy Has, 1925-2000)監督の名画『サラゴサの写本(Rękopis znaleziony w Saragossie)』(1965)の60周年を記念し、この映画に言及した前衛的なグラフィックが、絵筆によって手で描かれている。このシリーズを制作したのは、ポスター作家·脚本家、ヴロツワフ美術大学教授でアート陶器コレクターのトマシュ·ブロダ(Tomasz Broda)である。
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トマシュ·ブロダと、映画『サラゴサの写本』公開60周年を記念して制作されたシリーズ。写真:ceramika-artystyczna.pl
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ボレスワヴィエツ陶器のもう一つの特徴は、色にある。その深いコバルト色はたいてい、ポルトガルのアズレージョ(装飾タイル)やオランダのデルフト·ブルーのカップの色よりも濃い。邪悪な山の精霊、「コボルト(ドイツ語の「Kobold」、精霊·悪魔を意味する。コバルトの語源)」の存在なしに、ボレスワヴィエツの陶器は生まれなかった。この精霊が銀と錫を強奪し、これらの貴重な鉱石を、価値のない石にすり替えたという。中世、スデティ山脈で貨幣や宝飾品の原料を探していた鉱夫たちは、大変な手間と費用をかけて鉱石を精製した後にようやく、コボルトの悪事について知った。銀ではなく、コバルト色の物質が沈澱したからだ。ヨーロッパでは時を経て、この物質を活用する方法が学ばれた。酸化処理を施した後、砕いて粉にし、水か無色の釉薬に混ぜると、陶器に塗ることができる、液体の塗料になることがわかったのだ。器に描く模様の色は、塗料の飽和度によって決まる。コバルト分が多ければ藍色に、少なければ青になる。ボレスワヴィエツの陶工たちは自ら青色の鉱石をすり潰すか、出来上がった粉末を商人から購入することもあった。後者は多くの場合、完成した陶器を販売する相手でもあった。
陶器は半貴石
ボレスワヴィエツ市がある下シロンスク(Dolny Śląsk)地方は、ポーランドの地図上でも特別な場所で、その波乱に満ちた歴史は、数カ国にまたがっていた。この地方が所属する国家は、何世紀かの間に幾度も変わった。ある時はポーランドの王·大公の支配下に、その後はオーストリア皇帝に、続いてドイツの支配者たちに治められ、第二次世界大戦後、最終的にポーランドの一部になる。
歴史的な混乱の終焉は、ボレスワヴィエツ陶器が育んできた、長年の伝統の終わりを意味するものと思われた。第二次世界大戦中、前述の大きな壺が破壊されただけでなく、多くの工房や工場が破壊された。かつての所有者は戦死するか、ドイツに強制送還された。戦後には、移住政策の一環で、陶器について何も知識がないポーランド人入植者たちが、彼らの代わりにやって来た。しかし、クラクフ美術大学やヴロツワフ美術大学の教授たちの強い意志と尽力により、かつての伝統は生き延びるだけでなく、発展することになった。民俗的な模様、そしてボレスワヴィエツの特徴であるスタンプ技法が復活したのは、戦後すぐのことである。
ボレスワヴィエツ陶器の現代様式の創始者とみなされているのが、ブロニスワフ·ヴォラーニン(Bronisław Wolanin, 1937-2013)だ。ボレスワヴィエツ市で芸術家としての生涯を送り、「ツェラミカ·アルティスティチュナ(Ceramika Artystyczna, 芸術陶器)」協同組合に勤めた。幾何学的な形をした独創的な食器のほか、陶器でできた彫刻や絵を制作し、その作品はポーランド国家による最高勲章の一つ、「文化功労者グロリア·アルティス(Zasłużony Kulturze Gloria Artis)」のブロンズメダルを授与された。
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ボレスワフ·ヴォラニン設計の食器セット、「芸術陶器」ボレスワヴィエツ芸術手工芸協同組合所蔵。写真:P. Jarczyński / muzeum.boleslawiec.pl
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一方、銀メダルを授与されたのが、デザイナー·陶芸家のヤニナ·バヌィ=コズウォフスカ(Janina Bany-Kozłowska)である。45年近くの間、食器や装飾品の外観·特徴を形作ってきた。彼女がデザインを手掛けたおよそ1,600点の製品は、大量生産されている。伝統的な形、機能的なデザインと芸術性を融合させた人物だ。自身の仕事を宝飾品のデザインのように捉え、次のように述べたことがある:「陶器は半貴石のようなもので、銀や金で飾られるべきではありません。それより、自らの光で輝くよう、よく磨かなければなりません」。最も有名なシリーズに、三角形のカップやデザート皿を揃えたコーヒーセット「Trójkąty(三角形)」、器の胴体に水平な線が刻まれ、暗く抑えた緑色の重厚なディナーセット「Myśliwski(狩猟風)」がある。人気コレクション「Ptaki(鳥)」は、蓋の持ち手の代わりに小さな鳥がついた、薄手で上品なコーヒーセット、ディナーセットだ。
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「三角形」セット。写真:Grzegorz Matoryn / muzeum.boleslawiec.pl
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壺の底面はビスケット色
カップや大皿はどれも、工場の地下室で生まれる。大きなローターでボレスワヴィエツの白い土が水と混ぜ合わされ、滑らかな塊が作られる。その後、陶器を手で造形する場合は人間の手へと移され、そうでない場合は多孔質の石膏型に流し込まれる。続く数分の間、石膏が水を吸収し、陶土の塊が徐々に密度を増していく。適度な厚みになったら、残りの土を流し込む。こうして、やわらかい器が作り出される。カップの取っ手など、小さな部分は手作業で成形され、でこぼこしたところや、継ぎ目の跡も手で直される。
成形が済んだ食器は乾燥室で1日休ませ、余計な水分を蒸発させる。水分が多すぎる状態で窯に入れると、形が崩れたり割れたりする可能性がある。すべてはゆっくり、細心の注意を払って行われ、まるで「ビシュコプト(biszkopt, ポーランド語でスポンジケーキやビスケットの意)」を焼くかのようだ。実は、ラテン語で「2度焼かれた(bis coctus)」が語源のビシュコプト·ビスケットは、素焼きされた器を指す名称にもなっている。窯の中で、粘土は磁器より厚く壊れにくい、炻器(せっき)へと変容する。
素焼きのビシュコプト器(短く「biskwit(ビスクフィト)」とも呼ばれる)は淡いピンク色、クリーム色または白をしている。カップや水差しの底面を見ると、その色を確認できる。陶器の1番下にはたいてい、釉薬がついていない、粗い生地のままの接地面がある。本焼きの際に器が窯に貼り付かないよう、釉薬が拭き落とされるためだ。
陶器への絵付けは芸術であると同時に、職人技であり、忍耐力と安定した手作業が求められる。スタンプの位置がずれてしまったり、絵筆をいい加減に動かしたりすると、取り返しのつかない失敗になる。絵の具は即、素焼きの生地に染み込み、洗い流すことができないからだ。失敗したカップは市場には出せないが、工場の売店で二級品として売られている。このような欠陥の多くは、素人が見てもわからない。わずかににじんだ模様、釉薬のピンホール、またはあるべき決まった場所にない花、などだ。
スタンプでカップに模様をつける作業には十数分を要する。複雑な模様で、絵筆(時には多色)で描く必要がある場合、彩色にはその数倍の時間がかかることもある。かつて、女性の絵付け師(この作業は主に女性が行うので)は紙から模様を写しとっていたが、現在はタブレット端末を用いる。もっとも、絵付けの技術は今も変わらない。作業には回転台を用いるため、器にはほぼ触れることがない。絵付けは非常に集中して行われるため、何かの儀式のような印象さえ受ける。
器を釉薬の入った桶に浸すと、描かれた模様は……消えてしまう。熱処理を施す前の釉薬の色は乳白色で、1200度の高温で本焼きをすることで初めて、つやが現れ、深い藍色が引き出される。十数人、または数十人もの人々の手を経て、土と水から作られた器は、2度の火の試練を受けてから、装飾を施され、ついに完成する。世界にただ一つだけの器である。
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孔雀の目模様の皿、博物館用装飾品。写真:「芸術陶器」ボレスワヴィエツ芸術手工芸協同組合所蔵(Spółdzielni Rękodzieła Artystycznego w Bolesławcu)より、ceramika-artystyczna.pl
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ボレスワヴィエツを訪れよう
ボレスワヴィエツ市を訪れる絶好の時期は、陶器フェスティバルがある8月半ばだ。地元のアーティストたちの素晴らしい作品を見るだけでなく、泥を塗りたくって仮装する人々のパレードや、身体にスタンプするイベントに参加し、ボレスワヴィエツのカップになったような気分をしばし、味わうことができる。
一方、陶器ミュージアムは一年中開館されており、ボレスワヴィエツ陶器の歴史を知り、古今のスタンプを見るほか、何より数時間かけて、じっくり陶芸作品を鑑賞することができる。ミュージアム訪問の後は、近くにあるカフェの一つに入り、ボレスワヴィエツのティーカップやマグカップでお茶を飲みつつ、ゆっくりするのがおすすめだ。
執筆:シルヴィア·ニェムチク(Sylwia Niemczyk)、2026年2月24日
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2026年2月