ポーランド王の浴場から文化の王国へ ワルシャワ・ワジェンキ公園の魅惑の歴史
17世紀に遡る歴史を持つ王立ワジェンキ公園は、ワルシャワでもっとも文化的に豊かな緑地の一つだ。ポーランド最後の王、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキによって造営されたこの公園には、素晴らしい景観と絵のように美しい「水上宮殿」を始め、数多くの建築遺産が集められている。自然が織りなす深みのある光景、さまざまなミュージアムや芸術行事のおかげで、「ワジェンキ」(親しみを込めてこう呼ばれることが多い)はポーランドの首都が誇る、もっとも人気のある観光名所の一つになっている。
Picture display
standardowy (864px desktop)
マルチェロ・バチャレッリ《即位装束のスタニスワフ・アウグスト王の肖像》、1792年。写真:国立ポズナン美術館
Picture image
august_poniatowski_wikipedia.jpg
王立ワジェンキ公園はワルシャワ中心部に位置する、巨大な歴史的庭園群である。76ヘクタールの広さを誇るこの公園は、たくさんの大使館やかつて宮殿だった建物が立ち並ぶ、堂々たるウヤズドゥフ大通り(Aleje Ujazdowskie)と、それに沿って続く、緑豊かな断崖のそばに造られている。ワジェンキでは自然の美しさに加え、ポーランド最後の王でこの公園を設立したスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(Stanisław August Poniatowski;1732-1798)の離宮、「水上宮殿(Pałac na Wyspie)」を始めとする、数々の見事な建築を楽しむことができる。スタニスワフ・アウグスト王の統治とワジェンキの宮殿での彼の生活は、1795年の第3回ポーランド分割によって終わりを迎えた。
マレク・クフィャトコフスキ教授(Marek Kwiatkowski;1930-2016)〔美術史家、ワルシャワ史研究者。1960年-2008年、ワジェンキ公園ミュージアム館長〕の1991年の著書『Łazienki Królewskie(王立ワジェンキ公園)』では、この公園は次のように描かれている :
Text
ワルシャワのワジェンキ公園(王立ワジェンキ公園)は、建築や彫像等、貴重な記念碑がそこかしこにある、歴史的な庭園の呼称である。かつてポーランド最後の王、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの夏の離宮としてワルシャワの南方に建てられたこの庭園は、今日、ワルシャワ市の中心部を占め、市民の散歩や憩いの場、またポーランド国内外からの訪問者に人気の名所となっている。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ウヤズドゥフ城、ワルシャワ現代美術センター。写真:Adam Ławnik / East News
Picture image
csw_zamek_ujazdowski_en.jpg
ワジェンキ公園はスタニスワフ・アウグスト王によって造営されたが、その歴史は王の統治期間(1764-1795年)より前に遡る。1624年、現在のワジェンキ公園にほど近い場所に、ポーランド国王ジグムント3世(Zygmunt III Waza;1566-1632)がバロック様式のウヤズドゥフ城(Zamek Ujazdowski)を建てた。後年、この城は隣接する林地とともに大貴族スタニスワフ・ヘラクリウシュ・ルボミルスキ(Stanisław Herakliusz Lubomirski;1642-1702)の所有地になり、現在は主要な現代アート美術館(Centrum Sztuki Współczesnej)の本拠地となっている。
17世紀から18世紀への変わり目、ルボミルスキは領地の一部をイタリア様式の庭園へと変身させた。彼は断崖(ウヤズドゥフ城はその上に立っている)下に広がるこの庭園にパビリオン(休憩所)を作り、それが特別な浴室を備えていたため「Łazienka(ワジェンカ)」つまり「浴場」と呼ぶようになる。この単語の複数形が「Łazienki(ワジェンキ)」で、ワジェンキ公園の名前の由来である。
この「浴場」は単なる庭園の休憩所ではなかった。その内部には、なんと洞窟を形どった円形部屋(rotunda)が隠されていた。そしてそこには、ポーランドのサルマティア神話〔サルマティズム。東欧から中央アジアにかけて活動した遊牧民、サルマタイ人にポーランド貴族(士族)の起源があるとする階級意識〕をはるか超え、古代ギリシャのヘリコーン山〔太陽神アポロや詩神が住み、詩人の霊感の泉があるとされたギリシャのボイオーティア地方の山〕をイメージした泉が据えられていた。ペガサスの蹄の下から湧き出で、ミューズがその周りを踊り、詩人や芸術家にインスピレーションを与える、象徴的な泉だ。
ルボミルスキの要請により、断崖のふもとを流れていた小川が運河システムへと改造される。この運河が、小さな島の上に造られた「浴場」を水で取り囲むこととなった。
18世紀前半、ルボミルスキの領地はポーランド国王、アウグスト2世強健王(August II Mocny;1670-1733)に貸与され、1764年にスタニスワフ・アウグスト王の所有地となる。続く数十年の間にスタニスワフ・アウグスト王がこの地を造営し直し、今日見られるのとほぼ同じ形に作り上げた。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園の水上宮殿。写真:Mariusz Prusaczyk / Alamy Stoc / PAP
Picture image
lazienki_krolewskie_palac_na_wodzie_pap.jpg
当初、スタニスワフ・アウグストの関心はウヤズドゥフ城にあり、こちらを夏の離宮として改造しようと考えていた(主な居城は旧市街のワルシャワ王宮)。しかし、城にさまざまな変更を施したものの、結局、彼の希望を満たすことはできなかった。そこでウヤズドゥフ城をあきらめ、ルボミルスキの「浴場」に熱意の対象を移すことになった。
1772年、国王は「浴場」の一連の改造に着手する。作業は中断の期間を何回か挟んで1790年代まで続いた。その結果、バロック様式の小さな建物は見事な水上宮殿に生まれ変わり、スタニスワフ・アウグスト王の夏の離宮、そしてワジェンキ公園でもっとも有名な建造物となった。宮殿の名〔ポーランド語では直訳すると「島上の宮殿」〕は、ルボミルスキの運河にできた二つの大きな池に挟まれた、小さな島に由来する。
建物の設計は、ポーランド王家お抱えの建築家ドメニコ・メルリーニ(Domenico Merlini;1730-1792)と、室内装飾家ヨハン・クリスティアン・カムゼッツァー(Johann Christian Kammsetzer;1753-1795)によって行われた。一方、国王自身も夏の離宮の形に非常に大きく貢献し、建設の過程を非常に注意深く監督した。スタニスワフ・アウグスト王が作業の詳細に至るまで関心を持っていたことは、宮殿内部の装飾を手伝った画家マルチェロ・バチャレッリ(Marcello Bacciarelli;1731-1818)に彼が送った、1784年10月11日付の手紙の次の一節からもわかる。
Text
ワジェンキの北側の立面の仕様は、メルリーニの案にしたがって実施されることになっています。つまり、現在は正面にしか見えない手すりを建物全体に広げるとともに、2階には1階と同じ多きさの八角形の部屋を作り、その部屋の北側に壁を作ります。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園、1881年。写真:国立ポローナ・デジタルライブラリー
Picture image
lazienki_krolewskie_polona.jpg
古い壁を高くし、床面積を広げて北側のファサードを加えることで、古典主義的な宮殿が誕生した。建物は完全に変わったが、外部の要素の一つが、元の形を彷彿とさせる。南側のファサードが、明らかに外に突き出している点だ。ここにかつてルボミルスキが作らせた「浴場」がある。
豊かな装飾が施された水上宮殿は、バロック様式と古典主義様式を合わせた形で仕上げられている。かの洞窟は泉が撤去されたのち、円形広間(rotunda)になった。
今日、水上宮殿は公園の中心部に位置し、訪問者に公開されている。140点に上るスタニスワフ・アウグスト王の絵画コレクションの中には、例えばアントン・ラファエル・メングス(Anton Raphael Mengs;1728-1779)による、18世紀の在ロシア英国大使、チャールズ・ハンバリー・ウィリアムズ卿(Sir Charles Hanbury Williams;1708-1759)の素晴らしい肖像画がある。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園の円形劇場。写真:Czesław Czapliński / Fotonova / East News
Picture image
amfiteatr_lazienki_krolewskie_en_.jpg
ワジェンキ公園には、水上宮殿のほかにも注目したい建築がたくさんある。その一つが初期古典主義様式のミシレヴィツキ宮殿(Pałac Myślewicki)で、建設が始まったのは1774年頃。この建物は水上宮殿の西側に位置する。クフィャトコフスキは前掲の著書『王立ワジェンキ公園』で、ミシレヴィツキ宮殿について次のように述べている:
Text
美術史の教科書は、この宮殿をポーランドでもっとも興味深い建物の一つに数えている。その独創性は四分の一円型の翼だけでなく、中国芸術を思わせる独特な屋根の形にも認められる。
スタニスワフ・アウグスト王が甥、ユゼフ・ポニャトフスキ(Józef Poniatowski;1763-1813)公に贈ったこの建物も、今では訪問者に公開されている。
ワジェンキで特筆すべきもう一つの建造物は、1790年に建てられた、白い、印象的なレンガ・石造りの円形劇場だ。水上宮殿の南、いわゆる南池のそばにある。
この円形劇場の特徴は、舞台が池の島の上にあるのに対し、数千人近い観客を収容できる座席エリアが舞台の向かい側の岸に作られている点だ。舞台と観客の間に水の隔たりはそこまでなく(そのため舞台がよく見える)、ここで上演される劇中で小舟を用いることが可能となっている。円形劇場は今も元来の目的を果たしており、夏には演劇やコンサートが行われている。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園の旧オランジェリー。写真:Adam Stępień / AG
Picture image
lazienki_krolewskie_ag.jpg
公園にはその他たくさんの歴史的建造物があり、その一つが素晴らしい彫刻美術館を擁する旧オランジェリー(Stara Oranżeria)だ。ここではポーランドの名高い彫刻家ツィプリアン・ゴデプスキ(Cyprian Godebski;1835-1909)が制作した1881年の《誘惑(Kuszenie)》を始め、多くの興味深い作品を見ることができる。
公園の建造物の中には、スタニスワフ・アウグスト王の死後に登場したものもある。例えば、エジプト神殿(Świątynia Egipska)やシビュラ神殿(Świątynia Sybilli)という二つの小さな感傷的な建造物は、19世紀に建設された。ワジェンキには野外の彫刻もたくさんあり、ヴァツワフ・シマノフスキ(Wacław Szymanowski;1859-1930)が1907年にデザインし、1926年に完成した有名なフリデリク・ショパン(Fryderyk Chopin;1810-1849)像〔1940年にナチスドイツのポーランド総督ハンス・フランクの命によって破壊され、現在の像は1958年に完成した複製〕や、卓越した劇作家・画家スタニスワフ・ヴィスピャンスキ(Stanisław Wyspiański;1859-1930)の胸像などがある。ヴィスピャンスキによる1904年の戯曲『Noc Listopadowa(11月の夜)』〔11月蜂起が勃発した1830年11月29日から30日にかけての夜を描く。ロシア帝国の支配に抵抗する若い下士官たちが軍総司令官コンスタンチン大公が居住していたベルヴェデル宮殿(Belweder)を襲撃〕は、まさにワジェンキ公園が舞台に設定されている。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園の水上宮殿。写真:Arkadiusz Ziółek / East News
Picture image
lazienki_krolewskie_w_warszawie_en.jpg
スタニスワフ・アウグスト王は夏の離宮の建築に最新の注意を払ったが、現在の公園に形状にも多大な影響を与えたとされている。まず、彼はウヤズドゥフ城に近接する林地を、環状線で交わるまっすぐな並木道を備えたフランス様式の庭園(つまり対称性と人間が課す秩序に基づいた庭園)に変えた。この古い設計図のいくつかの要素、例えばアグリコラ通り(ul. Agrykola)やミシレヴィツキ宮殿(Pałac Myślewicki)前の円形は、今日まで残っている。
しかしその後、王は自分の所領地をイギリス様式の庭園のようにしたいという思いを強めていく。この場合、人間の創造物としてではなく、自然を模倣することで景観が作り上げられる。これを実現する作業では、王は造園技師アウグスト=フリデリク・モシンスキ(August Fryderyk Moszyński;1731-1786)の協力を得た。
公園全体でおそらくもっとも絵になるイギリス様式の造園要素は、南北に伸びる「水の軸」だろう。これはルボミルスキが作った古い運河によってできた、いくつかの大きな池から成っている。
Text
「浴場」の新しいファサードが作られた時、南側の運河は美しい河岸線と小島を備えた大きな池へと変えられた。〔…〕水面のおかげで、広い視界が開かれた。〔…〕「浴場」北側の古い池と運河にも同様の変化がもたらされた。〔…〕こうして、北からも南からも水面越しに見えるようになった王宮、「浴場」が、新たな景観の中心となった。これは18世紀ワルシャワでもっとも美しい空間配置である(マレク・クフィャトコフスキ『王立ワジェンキ公園』より)。
Picture display
standardowy (864px desktop)
中国風のあずまや。ワジェンキ公園。写真:Arkadiusz Ziółek / East News
Picture image
lazienki_krolewskie_w_warszawie_en_12.jpg
スタニスワフ・アウグスト王の時代にも、公園には栗、イタリア・ポプラ、トウヒやカラマツなど、多くの木々が植えられていた。興味深いことに、王は公園への立ち入りを制限せず、誰でも訪れることができた。
現在のワジェンキ公園には、王の死後に作られた庭園も含まれている。スタニスワフ・アウグストの王立庭園のほか、曲がりくねった小径や人工の川がある19世紀のロマン主義庭園、幾何学的な形状を持つ1920年代のモダニズム庭園、また2014年にオープンしたばかりの中国庭園がある。この中国庭園はスタニスワフ・アウグスト王の時代に現れた中国美術への熱狂を思わせ、中国風のあずまやや、中国の植物などが見られる。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園、旧オランジェリーの王立彫刻ギャラリー。写真:Zofia & Marek Bazak / East News
Picture image
pomaranczarnia_lazienki_en.jpg
スタニスワフ・アウグスト王は常に、ワジェンキを美しい自然の中のくつろぎの場所としてだけではなく、文化の場所としても捉えていた。この意味で、彼は詩人や芸術家たちに霊感をもたらした古代のミューズを彷彿とさせる、ルボミルスキの「浴場」の泉の象徴に忠実だった。
王は絵画や彫刻を始め、多くの芸術作品を公園に集め、特に絵画は水上宮殿内にギャラリーを作った。また、スタニスワフ・アウグスト王は啓蒙主義の理想を信じており、彼の宮廷では文化的・芸術的な活動が繰り広げられた。これがいわゆる「木曜午餐会」の伝統を生み、水上宮殿では(そして王宮でも)ポーランドの作家、科学者や知識人たちのための午餐が王によって定期的に開かれた。
Picture display
standardowy (864px desktop)
王立ワジェンキ公園の新オランジェリー。写真:East News
Picture image
pomaranczarnia_lazienki_krolewskie_en.jpg
知識の交換の場であったこれらの集まりの様子は、スタニスワフ・アウグスト王の治世にワルシャワを訪れたイギリスの歴史家・司祭、ウィリアム・コックス(William Cox; 1748-1828)による1784年の著作『Travels into Poland, Russia, Sweden and Denmark(ポーランド、ロシア、スウェーデンとデンマークへの旅)』に描かれている。
Text
〔…〕王は毎週木曜日、学識と能力がもっとも優れた文学者たちを午餐に招いた。国王陛下自らが食卓を仕切り、優雅な会話をリードする。この会に列席を許された者が、歴史、自然哲学やその他さまざまなテーマの論文を読むこともある。〔…〕王は詩を好むため、これらの会合では詩作が大いに磨かれる。
悲しいことに、自然の美と思想の美が調和する場を思い描いたスタニスワフ・アウグスト王の夢は、第3回目のポーランド分割によって突然中断される。1795年、王はグロドゥノ(Grodno)の町に幽閉され、退位を余儀なくされた。その後ワジェンキには戻らず、ワルシャワを去る際に進行していた水上宮殿の最後の改築工事の結果を見ることは叶わなかった。
Picture display
standardowy (864px desktop)
フリデリク・ショパン像の下での夏季日曜コンサート。王立ワジェンキ公園。写真:Zofia Bazak / East News
Picture image
koncert_chopin_en.jpg
スタニスワフ・アウグスト王が1795年にペテルブルクで亡くなると、ワジェンキ公園はユゼフ・ポニャトフスキ公が受け継いだ。1817年、ポニャトフスキ家が公園をロシア皇帝アレクサンダー1世(1801-1825)に売却したため、第一次世界大戦まで、ロマノフ家の財産となっていた。ポーランドが1918年に独立を回復すると、公園内の建物は新たに再建された国家の公式の建物として機能することになった。第二次世界大戦中、非常に悲しい出来事がワジェンキを襲う。ワルシャワを占領したナチスドイツの兵士たちが、水上宮殿に火を放ったのだ。幸い、公園の他の建造物は破壊されずに済んだ。
再建された水上宮殿が訪問者たちに公開されたのは1960年5月16日で、それ以来、ミュージアムとして利用されている。今日、ワジェンキ公園は自然と建築の美しさだけでなく、ミュージアムの展覧会やイベントなど、多くの文化的な行事によって訪問者を魅了し続けている。イベントとして有名なのが、毎年実施されているショパン音楽の野外コンサートシリーズだ。5月から9月までの毎日曜日、前述のヴァツワフ・シマノフスキによるショパン像の下でコンサートが開催されている。
ルボミルスキの「浴場」の古い泉の象徴に倣い、ワジェンキ公園は多くのポーランド詩人のインスピレーションの源となってきた。ズザンナ・ラプスカ(Zuzanna Rabska;1888-1960)はその一人で、1916年にこの公園をテーマに『Łazienki(ワジェンキ)』と題された詩の連作を書いている。そのうち「W amfiteatrze(円形劇場で)」に次の節がある:
Text
白いワジェンキ宮殿が水にきらめく――
水面がわずかに震えるのは、白鳥が
泳いで、その胸で触れる時……記憶が訪れ、
いにしえのトーナメントや闘技の夢が、水面に浮かびあがる
執筆:マレク・ケンパ(Marek Kępa)、2020年1月
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2024年7月