ワルシャワの美しい宮殿8選
700年以上の歴史を持つポーランドの首都には、数十邸もの由緒ある宮殿が存在する。その中でも、「水上宮殿」、「ウサギの家」、「クラシンスキ宮殿」など、優れた建物の建築、環境、歴史に焦点を当てながら、特に注目すべき8つの宮殿をご紹介します。
Picture display
standardowy [760 px]
クルリカルニャ、西側ファサードの外観、写真:Sławomir Kamiński / Agencja Gazeta
宮殿巡りの最初は、ワルシャワでも指折りの魅力的な場所、クルリカルニャ(「ウサギの家」の意)だ。プワフスカ通り113a番に位置する古典主義の宮殿の名前は、18世紀にウサギの生息する野生動物公園がこの地区にあったことに由来している。野生動物公園がなくなった後、イタリア出身の伯爵カロル・デ・ヴァレリー=トマティス(Karol de Valery-Thomatis)が、自分の住居としてクルリカルニャを建てた。設計を手がけたのはイタリア出身の著名な建築家ドメニコ・メルリーニ(Domenico Merlini)で、1782年から1786年にかけて建設された。この設計はヴェネツィアにある有名なヴィラ・ロトンダを参照している。クルリカルニャの特徴的な要素の一つには、先端にアーティチョークのような飾りをつけた美しいドームがある。
第二次世界大戦で大きな被害を受けたクルリカルニャは、1965年に再建された。それ以来、宮殿はクサヴェリ・ドゥニコフスキ彫刻美術館として一般に公開されている。
Text
「クルリカルニャでは、展覧会、パフォーマンス、ミーティング、会議、映画上映、コンサート、そして宮殿を囲むロマン主義の公園で野外イベントなどを開催しています。当館では、15世紀から現代までの作品を集めたポーランド最大の彫刻コレクションを所蔵しています。」
Author
出典:krolikarnia.mnw.art.pl(クサヴェリ・ドゥニコフスキ彫刻美術館公式サイト)
面白いことに、この美術館の彫刻の一部は、美術館の周囲にある庭園、つまり屋外に常設されている。天気のよい日には、多くのワルシャワ市民が憩いを求めて、この美しい緑の一画を訪れる。なお特筆すべきは、クルリカルニャが、ワルシャワの町全体を貫く急斜面の頂上に位置していることだ。宮殿の東側ファサード横のテラスからは、この急斜面を見下ろすことができ、ワルシャワの見事なパノラマを楽しめる。
ヴィラヌフ宮殿(Pałac w Wilanowie)
Picture display
standardowy [760 px]
ヴィラヌフ宮殿博物館、ワルシャワ、写真:Arkadiusz Ziółek / East News
スタニスワヴァ・コストキ・ポトツキェゴ通り10番にある美しい宮殿もまた、博物館として公開されている。バロック様式のヴィラヌフ宮殿は、ポーランド王ヤン3世ソビェスキ(Jan III Sobieski)(1629-1696)の夏の離宮だった。
現在のワルシャワの一地区である「ヴィラヌフ」に立つこの邸宅は、元は質素な造りだったが、1680年代に始まった再建によって、本格的な王宮へと変化した。設計はポーランド人建築家アウグスティン・ヴィンツェンティ・ロッチ(Augustyn Wincenty Locci)が手がけ、工事は1696年にソビェスキが亡くなるまで続いた。改築された建物は、フランスのバロック宮殿を模して、「entre cour et jardin」(フランス語で「中庭と外庭の間」の意)に配置されている。つまり、ヴィラヌフ宮殿の正面には大きな中庭があり、宮殿の裏手には庭園が広がっている。建物の翼は中央部分の様式に合わせて、1720年から1729年にかけて増築された。ヴィラヌフ宮殿の豪華な外壁には、オウィディウスの『変身物語』の一場面を描いたレリーフなど、多くの装飾が施されている。
1805年以降、ヴィラヌフ宮殿は博物館となり、現在はヤン3世ヴィラヌフ宮殿博物館と呼ばれている。イタリア、フランス、フランドル、ドイツの絵画を集めた膨大なコレクションや、息を呑むような歴史的内装など、見どころに事欠かない。ヴィラヌフ宮殿には、前述した宮殿裏手の湖畔にある美しいバロック様式の庭園のほかにも、見事なバラ園や英国式・中国式庭園など、緑豊かな場所が数多く存在する。
Picture display
standardowy [760 px]
ワルシャワ・ワジェンキ公園内の水上宮殿、写真:Mariusz Prusaczyk / PAP
次にご紹介する王家の邸宅は、印象深い水上宮殿である。ポーランド最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(Stanisław August Poniatowski)(1732-1798)の夏の離宮として使用されていた。ワルシャワの中心部にある美しく広大なワジェンキ公園の中に立っている。
現在の古典主義の形になる前の水上宮殿は、ワジニャ(Łaźnia「浴場」の意)と呼ばれた小さなバロック様式のバピリオンだった。ワジニャは18世紀への変わり目に作られ、洞窟を模した浴場(古代ギリシャの泉を象徴)があったことから、この名前が付けられた。スタニスワフ・アウグスト(Stanisław August)が1764年にワジニャを手に入れ、1772年から1790年にかけて住居とした。建物周辺の緑地は素晴らしいワジェンキ公園へと作り変えられた。
水上宮殿の設計を手がけたのは、前述した王家の建築家ドメニコ・メルリーニと、建築家・室内装飾家のヨハン・クリスチャン・カムセッツァー(Johann Christian Kammsetzer)だった。建物の名前は、二つの池に挟まれた小島に立つという、美しい絵画のような外観に由来する。列柱で飾られた二本の橋が水上宮殿と両岸をつないでいる。建物のパーツの中でも特に注目に値するのは、その見事な柱廊玄関だ。これは多くのポーランド貴族に感銘を与えたようで、自宅に柱廊玄関(あるいは、少なくとも屋根付けの玄関)を付け加えるなどしたため、ポーランドの住宅建築に大きな影響を与えた。
水上宮殿は第二次世界大戦で破壊されたが、幸いにも後に再建された。1960年以降は公立博物館となり、スタニフワフ・アウグストの広範な絵画コレクションなどを見ることができる。
Text
「現在、水上宮殿には、王のコレクションから140点の美術品が展示され、18世紀の原則に沿って配置されています。最も重要な作品には、アントン・ラファエル・メングス《チャールズ・ハンバリー・ウィリアムズ卿の肖像》(中略)、ヤーコブ・ヨルダーンス《笛を吹くサテュロス》、ヤン・フィクトルス《ヤコブとエサウ》、アンゲリカ・カウフマン《ジュリアナ・プブリコラ・サンタクローチェ公妃の肖像》などがあります。」
Author
出典:lazienki-krolewskie.pl(ワジェンキ公園公式サイト)
Picture display
standardowy [760 px]
ワルシャワのベルヴェデル宮殿、2016、写真:Włodzimierz Wasyluk / Forum
魅力的なベルヴェデル宮殿は、ワルシャワ急斜面を登った高さ25メートルの頂上にあり、ワジェンキ公園の西端に位置している。その名前は、イタリア語で「美しい眺め」を意味する「bel vedere」という表現に由来し、斜面の頂上からの絶景に言及している。
ベルヴェデルスカ通り54/56番にあるこの古典主義様式の宮殿の歴史は、16世紀まで遡る可能性がある。当時、ポーランド王妃ボナ・スフォルツァ(Bona Sforza)の住居がここに立っていたかもしれない(歴史家はこれに関して確信を持っていない)。確実なのは、17世紀半ばに貴族のクシシュトフ・ジグムント・パツ(Krzysztof Zygmunt Pac)の住居がこの土地に建てられたことだ。建物は後にバロック様式の小ぶりな別荘に建て替えられ、スタニスワフ・アウグストの所有となった。1818年から1822年にかけて、この別荘は著名なポーランド人建築家ヤクプ・クビツキ(Jakub Kubicki)の設計に基づき、ベルヴェデル宮殿へ改築された。
ベルヴェデル宮殿は常に権力者と結びついていたが、その中には歴史上称賛された者も、非難された者もいた。最初の住人はコンスタンチン・パヴロヴィチ(Konstantin Pavlovich)大公で、19世紀初頭、ポーランド分割後のロシア領における悪名高い軍総司令官であった。戦間期のポーランド大統領だったスタニスワフ・ヴォイチェホフスキ(Stanisław Wojciechowski)や、1918年のポーランド独立に貢献したユゼフ・ピウスツキ(Józef Piłsudski)元帥のほか、ベルヴェデルには多くの政治家や支配者が住んだ。
現在、この宮殿はポーランド大統領の住居の一つとなり、国事に使用されているため、一般には公開されていない。しかし、宮殿はワジェンキ公園やベルヴェデル通りからよく見ることができる。水上宮殿と同様に、ベルヴェデルの顕著な建築的特徴には柱廊玄関が挙げられる。ベルヴェデルには二つの柱廊玄関があり、どちらもイオニア式で4列柱となっている。
クラシンスキ宮殿(Pałac Krasińskich)
Picture display
standardowy [760 px]
ワルシャワのクラシンスキ宮殿、写真:Marcin Morawski / East News
こちらも素晴らしい公園に隣接する宮殿である。クラシンスキ広場5番に位置する堂々たるクラシンスキ宮殿の後ろには、見事なクラシンスキ公園が広がっている。この公園で特に人気の高い場所には、レオン・マホフスキ(Leon Machowski)作の五人の漁師の彫刻が浮かぶ、絵のように美しい池などがある。
クラシンスキ宮殿は1688年から1699年にかけて、オランダ出身の高名な建築家ティルマン・ヴァン・ガメレン(Tylman van Gameren)の設計に基づき建設された。貴族のヤン・ドブロゴスト・クラシンスキ(Jan Dobrogost Krasiński)の邸宅として建てられた大規模なバロック様式の建物で、ワルシャワでもとりわけ優れた貴族の宮殿とされている。建物の最も注目すべき装飾は、正面と背面のファサードを飾るティンパヌムである。この装飾的な壁面には、クラシンスキ家の祖先とされている古代ローマ軍の司令官マルクス・ウァレリウスが浮き彫りになっている。伝説によれば、ウァレリウスは、カラスの助太刀によってガリア人戦士との一騎打ちに勝ったという。
Text
「正面のティンパヌムには、勝敗の分かれ目となった、ガリア人戦士を攻撃するカラスが描かれ、庭園に面するファサードのティンパヌムには、戦車に乗り、兜にカラスを乗せたマルクス・ウァレリウスの凱旋が表されている。」
クラシンスキ宮殿は、その長い歴史を通して、戦間期には最高裁判所の所在地となるなど、さまざまな目的に供されてきた。第二次世界大戦で大きな被害を受けたが、1961年に再建された後は、国立図書館によって貴重な歴史的文献の保管に使用されてきた。建物は目下、国立図書館が運営する一般公開の展示スペースとするため改修中である。
首座司教宮殿(Pałac Prymasowski)
Picture display
standardowy [760 px]
ワルシャワの首座司教宮殿、写真:Adam Ławnik / East News
クラシンスキ宮殿から徒歩で10分弱、セナトルスカ通り13/15番には目を引く首座司教宮殿(プリマソフスキ宮殿)がある。この建物の建設は16世紀後半、後にポーランド首座司教となるヴォイチェフ・バラノフスキ(Wojciech Baranowski)が自宅の建築を決めたときに始まった。付け加えておくと、首座司教(prymas)とは、メリアム・ウェブスター辞典によれば「地方、地方群、または国家において優先権を持つ司教」のことである。
バラノフスキが建てた最初の邸宅(ほとんど知られていない)は、時の経過とともに何度も建て替えられ、1777年から1783年の間に現在の形となった。このとき、首座司教宮殿は、二人のポーランド人建築家によって古典主義建築に生まれ変わった。エフライム・シュレゲル(Efraim Szreger)とミハウ・イェジ・ポニャトフスキ(Michał Jerzy Poniatowski)は、三日月型の特徴的な翼を持つ宮殿へ改築したのである。
完成から18世紀後半のポーランド分割まで、建物は名前の通り、ポーランド首座司教の住居として使用された。その後、戦間期には、再編された農業・農業改革省の所在地となるなど、さまざまな機関が置かれた。首座司教宮殿は第二次世界大戦で大きな被害を受けたが、1950年代に再建された。現在、この建物には優雅なホテルとカジノが入っており、ジェームズ・ボンドさながらの雰囲気がある。ホテルの裏手には、魅惑的な庭園が広がっている。
Picture display
standardowy [760 px]
チャプスキ宮殿、ワルシャワ美術大学の所在地、写真:Jan Morek / Forum
首座司教宮殿から角を一つ曲がると、クラコフスキェ・プシェドミェシチェ通りに出る。ここには、目を見張るような宮殿が数多く立っている。その一つが後期バロック様式のチャプスキ宮殿で、二つの別館とともに、この象徴的な通りの5番に位置している。
チャプスキ宮殿の歴史は、この場所に貴族のラジヴィウ(Radziwiłł)家が所有する木造邸宅があった17世紀前半に遡る。最初の建物は、18世紀までにレンガ造りの宮殿に改築され、所有者も頻繁に変わっていった。1730年代に貴族のチャプスキ家の所有となると、1752年から1765年にかけて現在の姿へ建て替えられた。残念ながら、この改築を成功させた建築家の名前は伝わっていない。その後、建物はポーランドを代表するロマン派詩人ジグムント・クラシンスキ(Zygmunt Krasiński)の住居となった。チャプスキ宮殿は第二次世界大戦で深刻な被害を受けたが、1959年に再建された。それ以降、ワルシャワ美術大学の校舎として使用されている。近年は改修工事が行われ、大学が運営する文化イベントのための一般公開スペースが作られた。
チャプスキ宮殿の建築で最も特徴的なのは、拡張された角を意味するアルキェシュ(alkierz)だ。アルキェシュはポーランド建築の典型的な特徴である。
Text
「建物の角の部分を拡張した空間で、独立した屋根を持つ。中世の防衛塔から発展した。16世紀から19世紀にかけてのポーランドの邸宅や17世紀の宮殿によく見られる。」
Author
出典:encyklopedia.pwn.pl
砂糖生産者宮殿(Pałacyk Cukrowników)
Picture display
standardowy [760 px]
砂糖生産者宮殿、アダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートの所在地、写真:Bartek Syta
最後にご覧いただく宮殿は、小規模だが魅力的な砂糖生産者宮殿(シュガーパレス)である。場所はモコトフスカ通り25番。ワルシャワの中心部に密集する集合住宅の列に押し込まれるように立つ、ネオ・ロココ様式の建物で、都会的な性格が強い。砂糖生産者宮殿は、建物が立ち並ぶ通りにあるが、その敷地には本館のほかに二つの小さな別館と、印象的なオークの木がある小さな中庭のための十分な空間がある。
砂糖生産者宮殿の歴史は、1870年代にカジミエラ・チフィエルチャキェヴィチョヴァ(Kazimiera Ćwierczakiewiczowa)の小さな邸宅が建てられたことに端を発する。20世紀初頭にこの邸宅は、ルブリン出身の製糖会社の団体が事務所として使用しており、建て替えられることになった。改築はポーランド人建築家タデウシュ・ジェリンスキ(Tadeusz Zieliński)が監督し、1926年に完成した。これによって、現在の魅力的な姿になったのである。1930年代に建築家のアントニ・ヤヴォルニツキ(Antoni Jawornicki)が砂糖生産者宮殿を、砂糖生産の専門家であるミェチスワフ・ブロニェフスキ(Mieczysław Broniewski)の住居へ改修した。このとき、モコトフスカ通りに面する別館の屋根に、特徴的なキューピッドの彫刻が付け加えられた。二つの別館にそれぞれ一体ずつ置かれ、南側のキューピッドはうさぎたちと、北側のキューピッドは子牛たちと一緒にいる。
第二次世界大戦後はポーランド科学アカデミーの数学研究所が入るなど、砂糖生産者宮殿はさまざまな用途で使用された。2000年以降は、ポーランド文化を世界に広めるアダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートの本部となっている。
...そしてアダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートは、このCulture.plの親組織なのです。だから、もし読者のみなさんが砂糖生産者宮殿の近くに行かれたら、そこで働くCulture.plのスタッフと出くわすかもしれません。さて、これにてワルシャワの美しい宮殿巡りはおしまいです。ワルシャワにお越しの際は、ぜひ実物をご覧になってくださいね。
執筆:マレク・ケンパ(Marek Kępa)、2021年6月
日本語訳:パヴェウ・パフチャレク(Paweł Pachciarek)、YA、2022年6
[{"nid":"36490","uuid":"23b6aadf-f332-484c-ab70-401aac4b32bd","type":"article","langcode":"ja","field_event_date":"","title":"\u30dd\u30fc\u30e9\u30f3\u30c9\u306e\u4f1d\u7d71\u6599\u7406\u300c\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u300d","field_introduction":"\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u306f\u4e16\u754c\u3067\u6700\u3082\u6709\u540d\u306a\u30dd\u30fc\u30e9\u30f3\u30c9\u6599\u7406\u3002\u5b9f\u306f\u300c\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u300d[pierogi] \u3068\u3044\u3046\u306e\u306f\u8907\u6570\u5f62\u3067\u3001\u5358\u6570\u5f62\u306f\u300c\u30d4\u30a8\u30eb\u30af\u300d[pier\u00f3g] \u3068\u3044\u3046\u3002\u5c0f\u9ea6\u7c89\u306a\u3069\u3067\u3067\u304d\u305f\u751f\u5730\u3067\u3001\u8089\u3084\u91ce\u83dc\u3001\u30c1\u30fc\u30ba\u306a\u3069\u306e\u5177\u6750\u3092\u9903\u5b50\u72b6\u306b\u5305\u3093\u3067\u8339\u3067\u308b\u306e\u304c\u57fa\u672c\u306e\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u3002\u5c11\u3057\u539a\u3081\u306e\u76ae\u3067\u3067\u304d\u305f\uff08\u30b9\u30fc\u30d7\u306e\u5165\u3063\u3066\u3044\u306a\u3044\uff09\u5c0f\u7c60\u5305\u306e\u3088\u3046\u306a\u5473\u308f\u3044\u3068\u98df\u611f\u3067\u3001\u521d\u3081\u3066\u98df\u3079\u308b\u4eba\u3067\u3082\u61d0\u304b\u3057\u304f\u611f\u3058\u3089\u308c\u308b\u5473\u3060\u3002\r\n","field_summary":"\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u306f\u4e16\u754c\u3067\u6700\u3082\u6709\u540d\u306a\u30dd\u30fc\u30e9\u30f3\u30c9\u6599\u7406\u3002\u5b9f\u306f\u300c\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u300d[pierogi] \u3068\u3044\u3046\u306e\u306f\u8907\u6570\u5f62\u3067\u3001\u5358\u6570\u5f62\u306f\u300c\u30d4\u30a8\u30eb\u30af\u300d[pier\u00f3g] \u3068\u3044\u3046\u3002\u5c0f\u9ea6\u7c89\u306a\u3069\u3067\u3067\u304d\u305f\u751f\u5730\u3067\u3001\u8089\u3084\u91ce\u83dc\u3001\u30c1\u30fc\u30ba\u306a\u3069\u306e\u5177\u6750\u3092\u9903\u5b50\u72b6\u306b\u5305\u3093\u3067\u8339\u3067\u308b\u306e\u304c\u57fa\u672c\u306e\u30d4\u30a8\u30ed\u30ae\u3002\u5c11\u3057\u539a\u3081\u306e\u76ae\u3067\u3067\u304d\u305f\uff08\u30b9\u30fc\u30d7\u306e\u5165\u3063\u3066\u3044\u306a\u3044\uff09\u5c0f\u7c60\u5305\u306e\u3088\u3046\u306a\u5473\u308f\u3044\u3068\u98df\u611f\u3067\u3001\u521d\u3081\u3066\u98df\u3079\u308b\u4eba\u3067\u3082\u61d0\u304b\u3057\u304f\u611f\u3058\u3089\u308c\u308b\u5473\u3060\u3002","topics_data":"a:3:{i:0;a:3:{s:3:\u0022tid\u0022;s:5:\u002259620\u0022;s:4:\u0022name\u0022;s:22:\u0022#\u30dd\u30fc\u30e9\u30f3\u30c9\u6599\u7406\u0022;s:4:\u0022path\u0022;a:2:{s:5:\u0022alias\u0022;s:21:\u0022\/topics\/horantoliaoli\u0022;s:8:\u0022langcode\u0022;s:2:\u0022ja\u0022;}}i:1;a:3:{s:3:\u0022tid\u0022;s:5:\u002259644\u0022;s:4:\u0022name\u0022;s:8:\u0022#culture\u0022;s:4:\u0022path\u0022;a:2:{s:5:\u0022alias\u0022;s:20:\u0022\/taxonomy\/term\/59644\u0022;s:8:\u0022langcode\u0022;s:2:\u0022ja\u0022;}}i:2;a:3:{s:3:\u0022tid\u0022;s:5:\u002259614\u0022;s:4:\u0022name\u0022;s:5:\u0022#asia\u0022;s:4:\u0022path\u0022;a:2:{s:5:\u0022alias\u0022;s:11:\u0022\/topic\/asia\u0022;s:8:\u0022langcode\u0022;s:2:\u0022ja\u0022;}}}","field_cover_display":"default","image_title":"","image_alt":"","image_360_auto":"\/sites\/default\/files\/styles\/360_auto\/public\/images\/imported\/KUCHNIA\/Pierogi\/pierogi_ze_skwarami_east_news.jpg?itok=bUeSnsq3","image_260_auto":"\/sites\/default\/files\/styles\/260_auto_cover\/public\/images\/imported\/KUCHNIA\/Pierogi\/pierogi_ze_skwarami_east_news.jpg?itok=fIZH0KYg","image_560_auto":"\/sites\/default\/files\/styles\/560_auto\/public\/images\/imported\/KUCHNIA\/Pierogi\/pierogi_ze_skwarami_east_news.jpg?itok=NtWFHyEH","image_860_auto":"\/sites\/default\/files\/styles\/860_auto\/public\/images\/imported\/KUCHNIA\/Pierogi\/pierogi_ze_skwarami_east_news.jpg?itok=8dTEMnkf","image_1160_auto":"\/sites\/default\/files\/styles\/1160_auto\/public\/images\/imported\/KUCHNIA\/Pierogi\/pierogi_ze_skwarami_east_news.jpg?itok=4TAaCe8c","field_video_media":"","field_media_video_file":"","field_media_video_embed":"","field_gallery_pictures":"","field_duration":"","cover_height":"920","cover_width":"1000","cover_ratio_percent":"92","path":"ja\/node\/36490","path_node":"\/ja\/node\/36490"}]