ポーランド民族舞踊のめくるめく光景
本物のポーランド民族舞踊は、ポーランドを訪れる観光客にとって、もっとも華やかで魅了される、壮観なスペクタクルのひとつ。実は、民族舞踊と言っても、カシュビア地方の海賊ダンスやポトハレ地方の山賊ダンスなど、それぞれ地域に根ざし、そこに住む人々によって大切に守られてきたローカルな伝統だ。悲しげなクヤヴィアク、熱狂のディナ、そして神がかったオベレク……ポーランドが誇る多様な地域によって育まれ、今日まで伝えられてきた、色とりどりのダンスを見てみよう。
山地に住むグラル人(górale)の面々が羊毛でできたズボンを履いてスクワット、軽技と高いジャンプをこなし、片手に持った羊飼いの斧でカンカンと音をたてて戦う。彼らが器用な動き、力強さと気質を見事に披露するのは、ポトハレ(Podhale)地方、野外のダンスフロア。その昔、山賊たちは岩の上、山間部の牧草地や高地など、どこでも踊ったという。踊る場所の高度は、高ければ高いほどよい。大きな空間や宿屋・居酒屋など、特別な場所は必要なかった。グラル人がふと思い立ってジャンプやアクロバットを始めるには、コブザ(kobza)〔棹の短いリュートのような弦楽器〕、ゲンシリク(gęślik)〔小型の細長い弦楽器〕と、羊飼いの斧があれば十分。グラル人の血には音楽が流れ、足にはダンスが宿っていると言われてきた。スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェヴィチ(Stanisław Ignacy Witkiewicz;1885-1939)は、彼らが飛び跳ねるのを見てこう書いた:「ダンスを通して表現されるこの恋心の力強さ、情熱と強烈さに匹敵するものは、何もない」。
タトラ山地(Tatry)とザコパネ(Zakopane)の風習に通じていたティトゥス・ハウビンスキ(Tytus Chałubiński;1820-1889)も、彼らに魅せられてこう記す:
このダンスには何か、憑依に近いものがある。そこには野生的、原始的な力が表され、なんと霊感やスピード、ファンタジーに満ち、個性と勢いにあふれていることか!ダンサーは何をするのだろうか?彼らが輪の中で小刻みに歩き続け、次第にステップを速めるのにつれ、ダンスのリズムも速くなり、音楽が細いきしみ音を立てつつ、弦の上にただよう。中央の山賊リーダー、ハルナシ(harnaś)は、地面に突き刺した自分の斧の周りを回り続け、この音楽の中、独自のリズムを刻んでいる。羊飼い(ユハス juhas)たちが一斉に指笛を吹き鳴らすと、みなが止まる。3組のグループが作られ、それぞれスクワット・ジャンプをしつつ、時折お互いに向かって飛び跳ねる。斧を持った手を突き出す。これはおそらく、戦いをイメージしているのだろう。それから再び一列になって準備をし、また輪になって歩き始めるが、その動きは前よりも速く、せわしない。たえず、誰かが腰を上げる。踊りの輪はせばめられて行き、音楽は狂ったように鳴り響き、次第に速くなるばかり。彼らはまるで追い詰めるようにハルナシを取り囲み、リーダーは最終的に斧を地面から引き抜き、頭上高く掲げる。羊飼いたちは斧に手を伸ばし、しゃがみ、スクワットする。メロディが終わるのと同時に、ダンスも勢いと激しさが最高潮に達し、ぴたりとやむ。
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ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」――山賊ダンス、写真:Jan Morek / Forum
ポトハレの伝統的なダンスの歴史は、なんと5世紀にもわたる。ハウビンスキが描いた有名な山賊ダンス(taniec zbójnicki)は、男性による戦闘の踊りで、敵との戦い、群れの防御に見立てたものだ。一方、グラル・ダンス(taniec góralski)は活気と情愛に特徴づけられた、男女のふざけ合い、求愛の踊りで、ダンサーたちは回転し、男性は女性パートナーをくるくる回す。もう一つ、重要なのは「クシェサヌィ(krzesany)」、つまり床にかかとを打ちつけ、前か横に突き出す動き。これは火打ち石をイメージするという。
クラクフ
クラクフ(Kraków)近郊の村で始まり、そこから士族の邸宅や演劇の舞台にやってきたクラコヴィアク(krakowiak)は、弾むような、生き生きとした踊り。踊りの様子から、「すれ違う(mijany)」、「走り抜ける(przebiegany)」、「(足を)引きずる(suwany)」、「小刻みの(dreptany)」ダンスとも呼ばれてきた。たいてい歌から始まり、すぐにリズミカルに、このダンスの特徴であるギャロップに移行して、表情ゆたかなさまざまなお辞儀、揺れる手の動きや足のステップであざやかに彩られる。クラコヴィアクに欠かせないのはホウゥビェツ(hołubiec)、つまり空中ステップの技。片手を上に伸ばして飛び上がると同時に、若干横に出した両足を打ち合わせる動きだ。この踊りの特徴は、ヴワディスワフ・スタニスワフ・レイモント(Władysław Stanisław Reymont;1867-1925)が『農民(Chłopi)』で次のように描写している:
彼らは踊った!クラコヴィアクのダンサーたちは機敏に、軽やかにはしゃぎ回り、彼らの踊りは、あたかもこの鋲を打たれた帯のように、時折、高く鳴り響く音と元気のよい歌で区切られる。笑いと遊び心に満ち、陽気で賑やか、力強く勇敢な若さにあふれている。
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クラコヴィアクを踊る、ポーランド国立民族歌謡舞踊団「マゾフシェ」団員。オジャルフ・マゾフィエツキ(Ożarów Mazowiecki)、2018年9月9日。写真:Krzysztof Jarosz / Forum
クラコヴィアクはポーランド5大民族舞踊のひとつで、その名は、ワルシャワ国立劇場で1794年3月1日(タデウシュ・コシチューシコ(Tadeusz Kościuszko;1746-1817)が蜂起軍の最高司令官に就任する前)、ヴォイチェフ・ボグスワフスキ(Wojciech Bogusławski;1757-1829)によって上演されたオペラ『Krakowiacy i górale(クラコヴィアクとグラル人)』に由来する。
このクラクフの民族舞踊をテーマにした音楽作品としては、フリデリク・ショパン(Fryderyk Chopin;1810-1849)によるピアノとオーケストラのための「ロンド・ア・ラ・クラコヴィアク(Rondo à la Krakowiak)」作品14(1828年)や、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski;1860-1941)の「幻想クラコヴィアク(Krakowiak fantastyczny)」作品14の2(1886年)、またカロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski;1882-1937)のピアノ曲「クラコヴィアク(Krakowiak)」〔「4つのポーランド舞曲(Cztery tańce polskie)」作品47の第2曲目〕(1926)が有名だ。
ヴィエルコポルスカ地方
ヴィヴァト(wiwat)はヴィエルコポルスカ(Wielkopolska)地方の民俗を代表する踊り。歩いたり走ったり、跳んだり回転したり、威厳に満ち、また一方で活気のあるヴィヴァト。そのリズムやテンポは地域ごとに微妙に異なり、重要な式典や村のパーティの最初に踊られた。
ヤドヴィガ・ソビェスカ(Jadwiga Sobieska)教授は、ドマホヴォのヤン・ブズデンガ(Jan z Domachowa Bzdęga;1907-1998)の著作『Biskupianie(ビスクピズナの人々)』(1936)の再版に際して、ヴィヴァトは特別なペアだけでなく、踊っている全てのペアが主役になれる踊りだと述べている:
ダンスの流れは以下の通り:男性ダンサーが楽隊の前に立ち〔…〕、情熱的に歌を披露し、他の男子と楽隊がそれをきっかけに後に続く。男性ダンサーは壁の前のベンチに座っている女性ダンサーのもとに駆け寄り、前もって決めたパートナーに〔…〕お辞儀をし、ダンスに誘う。男子は女子の腰に右手を置いて、左手を少し前に出し、女子の右の手のひらを持つ。先頭の組のヴィヴァトに導かれて、全てのペアが輪を描いて進み、走るのに近い小刻みなステップで時計と反対周りに回る。後半部は速い回転。男子はパートナーの腰を両方の手のひらで抱え(結婚式ではこれを、特別な鞭に結んだ白いスカーフを通して行う)、女子は相手の肩か腰に手を置く。ペアはみな、右側に回転する。回るのに疲れたら、自由に歩を進めるゆったりした部分に戻り、その後また回転部に移る。
人気の根強いヴィヴァトの他、ヴィエルコポルスカ地方では「ヴェクスレ(weksle)」、つまりメロディが変わるたびにパートナーを変える踊りや、自分と相手の手のひらを互い違い、リズミカルに打ち合わせる「ツェグロジェ(ceglorze)」、また、最年長の参加者が先頭に立つ「プショトキ(przodki)」等のダンスが好んで踊られている。
クヤヴィアク
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1970年代、クヤヴィ地方の民族衣装を着た合奏団。写真:Zbyszko Siemaszko / Forum
クヤヴィアク(kujawiak)は、時折軽くターンやスタンプ〔床を足で踏み鳴らすステップ〕をしながら歩く、おだやかで雰囲気のあるダンス。この踊りのメロディはクヤヴィ(Kujawy)地方の風景そのものだと言われる。ダンスの動きはゆっくりとなめらかで、カップルはわずかに揺れつつ、ゆっくりと回転する。舞踏会はたいていこの踊りでしめくくられた。
趣き豊かで抒情的なクヤヴィアクは1827年、フェリクス・ヤスクルスキ(Feliks Jaskólski)の『Pasterze na Bachorzy. Sielanki kujawskie(バホジャの羊飼いたち――クヤヴィの田園詩』で踊りのジャンルとして初めて記録されている。クヤヴィアクとしてくくられるダンスには、左ターンの「クセプカ(ksebka)」(意味は「自分の方に」)、右ターンの「オドシプカ(odsibka)」(「自分から」)、「グワトキ(gładki)」(なめらか)、「オクロングウィ(okrągły)」(円を描いて)等、一連の動きによってさまざまな名前がある。ダンスのテンポや方向の変化は、舞踏会の世話人や結婚式の介添役が決定した。
卓越した民族学者オスカル・コルベルク(Oskar Kolberg;1814-1890)が記しているように、クヤヴィアクの踊りの動きはゆったりとして、抑制されているかのようになめらかで、哀愁が漂い、切望の気持ちも感じ取れるほど。カップルはおだやかに回転し、わずかに体を揺らす。このダンスには派手な勢いや活気はない。クヤヴィアクは19世紀から20世紀への変わり目に人気のピークを迎えた。
マゾフシェ地方の「ディナ」
コントルダンス(contredanse)〔男女のグループが対面し、順番にパートナーを交換していく踊り〕を思わせる「ディナ(dyna)」は、パーティの参加者たちがすでに十分に踊り、さあさらに騒ごうという時に踊られる。3人ひと組のこのダンスでは、ゆったりした前半部では3人が手をつなぎ、前や後ろに小幅で歩くステップを踏む。テンポの速い後半部では手をはなし、中心の人物が、左右の相手それぞれと順番に、右と左の腕を交互にからませつつ、互い違いに回転する。ロデリク・ランゲ(Roderyk Lange)教授によれば、時にはあわててステップを間違い、テンポが速すぎると、3人で笑い叫び、バラバラになることもあったとか。パーティをしめくくる圧巻のダンスだ。
マズール
軽快で活気があり、速く、すべるような動き。マズール(Mazur)はコントラストのある踊りで、ポーランドの民族舞踊の中でも難しいダンスとされている。踊りの名前はマゾフシェの地名から取られた。士族、シュラフタ(szlachta)が踊るようになったのは16世紀末で、それからまもなく愛国的な騎士道精神と関連づけられ、あっという間にヨーロッパで人気を博すことになる。
ポーランドの舞曲「マズルカ(mazurka)」〔ポーランド語のもともとの単語は「mazurek(マズレク)」だが、この名詞の活用形の対格・生格「mazurka」が広まった〕は、世界中で知られ、この音楽に合わせて踊られている。ショパンやシマノフスキが作曲し、ピーナ・バウシュ(Pina Bausch;1940-2009)も踊っている。
農村民俗研究者、画家で民族学者のアンジェイ・ビェンコフスキ(Andrzej Bieńkowski)は、マズルカは農奴の音楽であると述べ、彼はそのリズムが、実は労働作業のリズムだと気づいたという。ある村の音楽家は次のように語っている:
村ではみんな、マズルカのリズムに合わせて殻竿(からさお)で脱穀したり、キャベツを刻んだり(だから昔は、村に太鼓や伴奏ができるやつが多かった)。音楽家連中は何かというと村のみんなについて行って、収穫期なんか草刈りが楽になるようにとか、あとは家を建ててる大工らにも演奏してやった。メロディを飾るには人それぞれ、色んなやり方があって、俺はしょっちゅうナイチンゲールとかヒバリとか、鳥の声を聴いて、さえずりをマズルカのトリルにしたもんだよ。
カシュビア地方
靴屋の仕事、雄大な海の波、大漁を喜ぶ漁師たち、そして春の訪れを祝う儀式――これらがそのまま振り付けのインスピレーションとなり、豊かで多様な、カシュビア(Kaszuby)地方の伝統的なダンスが生まれた。中でも脱穀期に踊られる「ツェポジェ(cepôrze)」と「トロヤキ(trojaki)」、海賊ダンスを真似た「ヅェキ(dzeki)」、必ず木靴を履き、ビールのジョッキを持って踊られる漁師の「クフロジェ(kùflôrze)」、そしてカシューブ人が先祖代々の踊りとみなす、春の「マレシュキ(marëszki)」と雄大な「コセデリ(kòsédery)」が有名。
カシューブ人は優雅に、誇り高く、敬意と威厳を持って踊る。足を踏み鳴らしつつ2拍子、2人ひと組で時計と反対周りに円を描く。ペア同士でつながって十字や星のフォームを作ったり、手をしっかりつないで列になったりもできる。
カシュビア地方の沿岸にはその昔、スカンジナヴィアの美しい「マルシュカ(maruszka)」が伝わって以来、熱心に踊られ、船乗りのお気に入りのダンスだった。海の踊り「ヴォウトク(wołtok)」もそうで、これはダンサーたちの腕が波の動きを強調し、落ち着きのない、海水の速い渦を描くもの。
シロンスク地方
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シロンスク地方の伝統衣装に身を包んだ、ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンスク」のダンサー。写真:Irek Dorożański
お次はシロンスク(Śląsk)地方。ここでは女子と男子が向かい合い、2列になって対面する。男性ダンサーの数がひとり多く、パートナーにあぶれるため、彼はほうき(miotła)を振り回して遊ぶはめに。残りのダンサーたちはポルカ・ジャンプやターンをしつつ、部屋中を踊り回る。民族学者たちはこのダンス遊びを「ミェトロシュ(mietlorz)」(ほうき回し)と呼んでいる。これ以外にも、伝統的なシロンスクの踊り「リプカ・スウォネチュコ(lipka-słoneczko)」をぜひ見てほしい。
神がかりのオベレク
オベレク(oberek)はポーランドの低地でもっとも人気のある伝統舞踊のひとつで、主にマゾフシェ地方とラドム(Radom)地方で踊られてきた。ダンスに合わせて奏でられる何千もの古いメロディは、数々の録音やオスカル・コルベルクの記録に残され、今も農村民俗の研究者たちによって発見が続けられている。
オベレクの踊り手たちは、ダンスフロアで足を後ろに蹴り上げつつ、3拍子の陽気な音楽に合わせて、軽やかでしなやかに、そして身体を水平に保ったまま、なめらかに踊る。その昔、よいダンサーとは、頭の上にグラスを載せたまま、小刻みなステップで力強いオベレクを踊れる者だと考えられていた。さらに欠かせないのは、喜びに満ちた高いジャンプや、リズミカルですばやい横への動き、足を踏み鳴らすスタンプと、熱狂的にこれでもかと続く、円を描く渦で、これがまさにオベレクの特徴。このダンスが最初に言及されたのは17世紀。
クルピェ地方のポヴォルニャク
クルピェ(Kurpie)〔マゾフシェ東北の森林部、またそこに居住するエスニック・グループ〕のダンス、ポヴォルニャク(powolniak)に魅せられたダンサー、ヨアンナ・サシノフスカ(Joanna Sasinowska)は、「ポヴォルニャクは踊るのではなく、飛ぶもの」と言う。その通りで、ダンサーたちはダンスフロアを文字通り、縦横に「飛び」回る。前半部では、ペアは少し足を引きずる動きをしながらその場で小走りし、その後、目の前にもっとスペースができ、音楽が変わると、ダンサーたちもエネルギッシュに、勢いよく回転し始める。男性はターンの前ごとにひざをつく。
クルピェ地方のパーティでは、ポヴォルニャクの他、おそらく最も古い少女のダンスで、輪になって踊る「コニク(konik)」〔馬(koń)の駆ける様子から〕や、風になびくリボンのように軽やかな「ファフル(fafur)」〔この地方の方言で「ファフルカ(fafurka)」はリボンのこと〕、エロティックな「ジュラフ(żuraw)」〔鶴〕、そして歌が散りばめられた「ヴィルヴァス(wyrwas)」や「スタラ・ババ(stara baba)」〔老女〕などが人気がある。
さあ、ポロネーズを踊ろう!
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アンジェイ・ワイダ監督『パン・タデウシュ(Pan Tadeusz)』(1999年)の1コマ。写真:Piotr Bujnowicz / FabrykaObrazu.com / Forum
これまで見てきたポーランドの民族舞踊のリストを締めくくるのは、もっとも重要な式典の始まりを告げる優雅な宮廷ダンス、ポロネーズ(polonez)。踊られる様子から、「歩く(chodzony、pieszy)」、「重い足取りの(łaziony)」、「ガチョウのような(gęsi)」、「婚礼の(chmielowy)」〔「chmiel」はビール原料のホップとともに、古い儀礼の歌や婚礼で歌われる歌を意味する〕、または「古風な(starodawny)」ダンスとも呼ばれる。ポロネーズと言えば、まず士族の邸宅が連想されるが、そのルーツは民族文化。スタニスワフ・ヴィスピャンスキ(Stanisław Wyspiański;1869-1907)は『婚礼(Wesele)』(1901)で、詩人に次のように言わせている:「ポロネーズのように騒めき、流れるような、恐ろしいドラマの構想が、今、頭に浮かんでいるんだ」〔第一幕第24場〕。
行列をなして踊る時、ポロネーズの全ての動きはまさに流れるごとくで、調和に満ちている。もっとも美しいポロネーズは、ショパンによって作られた。
執筆:アンナ・レギェルスカ(Anna Legierska)、2014年11月
翻訳・編集:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2024年6月
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