ポーランドの秋の美しさを物語る、7枚の絵
夏が終わりに近づくと、たくさんの色があでやかに競演する、ポーランドの「黄金の秋」の出番だ。ポーランドが誇る19世紀・20世紀の画家たちは、この季節をどうとらえていたのだろう。
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ステファン・フィリプキェヴィチ《秋の風景》、複製:D.S.
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《秋の風景(Pejzaż jesienny)》と題されたこの絵の作者、ステファン・フィリプキェヴィチ(Stefan Filipkiewicz)は、もっとも高く評価されているポーランドの風景画家のひとりだ。制作年は不明だが、その表現方法から、彼が師事した象徴主義の著名な風景画家、ヤン・スタニスワフスキ(Jan Stanisławski)の影響下にあった20世紀初頭に描かれたことがうかがえる。フィリプキェヴィチ(1879年生)は早春のタトラ山地(Tatry)の風景画で名をなしたが、本作品は、彼がポーランドの秋の美しさの表現にも長けていたことを証明している。《秋の風景》が描きだす鮮やかな色彩を見れば、ポーランド人がこの季節を好んで「黄金の秋」と呼ぶ理由がわかるだろう。
エミリヤ・ヴィソツカ《秋の風景》
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エミリヤ・ヴィソツカ《秋の風景》油彩、合板(99×124 cm)、個人蔵
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エミリヤ・ヴィソツカ(Emilia Wysocka)の作品は同タイトルだが、ポーランドの秋をまったく異なる側面――ともすると暗く、陰鬱となる季節――から描く。幸い彼女の《秋の風景(Pejzaż jesienny)》では、草木がしおれ、色あせていく暗さが、黄味がかったピンク色であたたかく照らし出される空と並置されている。この対比により、秋の色彩が美を表すだけでなく、葉を失って木々がむき出しになる、冬の訪れをほのめかすものだという、この季節のほろ苦い性格が描き出される。ヴィソツカ(1888年生)はポーランドの主要なモダニズム画家、コンラット・クシジャノフスキ(Konrad Krzyżanowski)のもとで絵画を学んだ。作品の制作年は不明。
フリデリク・パウチュ《カルパチア山地の秋》
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フリデリク・パウチュ《カルパチア山地の秋》個人蔵、写真:AGRA-ART auction house
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《カルパチア山地の秋(Jesień w Karpatach)》というタイトルが示すように、フリデリク・パウチュ(Fryderyk Pautsch)の全作品を通じて繰り返し現れるのが、カルパチア山地(Karpaty)のモチーフだ。パウチュ(1877年生)はカルパチア山地で生活するエスニック集団、フツル人(Huculi、東カルパチアのウクライナ・ルーマニア地域の人々)の民俗慣習をしばしば描写したが、1936年に制作されたこの作品には、人間がまったく描かれていない。名高いレオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski、以下に彼の作品も掲載)のもとで学んだ美術学生時代、フツルの村に写生旅行に出かけて以来、《カルパチア山地の秋》に至るまで、彼はこの山並を30年以上描き続けた。カルパチア山地を熟知するこの観察者は、本作品によって、自らが愛する山地の秋をまさにこのように表すことを選んだのだ。
レオン・ヴィチュウコフスキ《山地の秋――ヤレムチェの風景》
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ポーランドの主要なモダニズム画家、レオン・ヴィチュウコフスキが1910年に制作した本作品の題名は《山地の秋――ヤレムチェの風景(Jesień w górach – Pejzaż z Jeremcza)》。1853年生まれのヴィチュウコフスキは万能の芸術家で、肖像画、歴史画(ポーランド歴史画の第一人者、ヤン・マテイコ Jan Matejkoに師事した)そして風景画にも長けていた。自然を芸術的インスピレーションの重要な源とみなした彼にとって、風景画は心の中で特別な位置を占めていた。大自然、何よりウクライナの風景を愛し、幾度も描いた。ヴィチュウコフスキはこの作品を通して、ウクライナ側のカルパチア山地、かつてポーランドの町であったヤレムチェ(Jaremcze、現ウクライナ西部フランキフスク州)近郊の田園風景を、自身がどのようにとらえたかを示している。
アブラハム・ノイマン《秋の村》
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アブラハム・ノイマン(Abraham Neumann)もヤン・スタニスワフスキのもとで学び、有名となった画家のひとりだ。ノイマン(1873年生)はポーランド・タトラ山地への写生旅行の際に数多くの風景画を描き、本作品《秋の村(Wieś jesienią)》もそのひとつ(制作年不明)。「繊細なカラリスト(彩色を得意とする画家)」とも呼ばれたノイマンは1904年、エルサレムへとおもむき、中東の地の強烈な日光が彼の感覚に影響を及ぼしたと言われる。この作品の鮮やかな色彩からは、彼が旅で体感したものが伝わってくるだろう。
ヴィトカツィ《秋の風景》
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ヴィトカツィ《秋の風景》1912年、油彩、カンヴァス、個人蔵
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スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェヴィチ(Stanisław Ignacy Witkiewicz)、通称ヴィトカツィ(Witkacy)はポーランドの典型的なボヘミアン・アーティスト。1885年、著名な画家スタニスワフ・ヴィトキェヴィチ(Stanisław Witkiewicz)の息子として生まれ、絵画を制作するとともに、多くの小説や戯曲を執筆した。山間の町、ザコパネ(Zakopane)での彼のスキャンダラスな私生活の鱗片は、エッセイ集『麻薬(Narkotyki)』や自伝的小説『622回のブンゴの堕落、すなわち悪魔的な女(622 upadki Bunga, czyli demoniczna kobieta)』等の著作にうかがえる。名高いユゼフ・メホフェル(Józef Mehoffer)のもとで学んだヴィトカツィは、1912年にこの《秋の風景(Pejzaż jesienny)》を描いた。芸術についてのエッセイも多い著名な現代作家、アルカディウシュ・パホルスキ(Arkadiusz Pacholski)は次のように書いている:
「《秋の風景》では、低木、花々や草、雑草がもつれて入り乱れ、異国のジャングルを思わせる森の、狂ったように多彩な秋の断片を見せている…。」
ユリアン・ファワト《私の庭――ブィストラの秋》
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1953年生まれのユリアン・ファワト(Julian Fałat)は絵画をヴワディスワフ・ウシュチュキェヴィチ(Władysław Łuszczkiewicz)のもとで学んだ。ウシュチュキェヴィチは画家としては成功しなかったが、素晴らしい教師だった。教師としての彼の力量は、ポーランドの主要な風景画家として師匠をはるかに超えたファワトの作品に見てとれる。師匠を超えた弟子ほど説得力のある保証人はないだろう。《私の庭――ブィストラの秋(Mój ogród – Jesień w Bystrej)》と題されたこの作品は、山間の村ブィストラ(Bystra)で生活し、日本の美術の影響を受けた様式を用いて、あたりの田園の風景画を数多く制作した、ファワトの芸術活動の後期の特徴を備えている。秋の日々、ヴィラの周りに広がる画家の庭の光景を今に伝える作品である。
執筆:マレク・ケンパ(Marek Kępa)、2017年9月
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、編集:パヴェウ・パフチャレク(Paweł Pachciarek)、2023年11月