境界を生きる──木村リアとの流動的なアイデンティティについての対話
日本とポーランドのルーツを持つ木村リアの作品は、ぼんやりとした記憶や、分類できないもの、あるいは感覚的な体験を言葉で表すことのできないことから生まれている。大阪のi-Galleryで7月4日から8月3日まで開催される「Remnants」展を機に、多文化環境で育った経験、「ハーフ」としての存在のパラドックス、そして顔をぼかすというジェスチャーについて話を聞いた。
下村杏奈(以下、下村):木村さんはご自身の芸術実践を、アイデンティティを探求し続けるプロセスだとおっしゃっていますが、ポーランドと日本という遠く離れた文化の境界で育ったことが、木村さんの創作にどのような影響を与えたのでしょうか。
木村リア(以下、木村):私の父は日本人、母はポーランド人です。新宮で生まれ、神戸と大阪で子ども時代を過ごしました。8歳の時にポーランドに永住するために引っ越しました。でも、その前から、私の人生は両国と深く結びついていました。日本とポーランドを定期的に行き来し、幼い頃から二つの文化に触れてきたのです。そのため、今、絵画を通して表現しようとしている「間にいる」という感覚は、まだうまく言葉で表せなかった幼少期から始まっていたのかもしれません。
下村:ご家族の経歴を見ても、多文化体験の多様性が感じられます。木村さんの家族は、それぞれ異なる道を選ばれたのですね。
木村:はい。3歳年上の姉がいて、彼女は日本に永住する道を選びました。私が17歳、姉が20歳の時に一時的に日本に戻ったのですが、彼女はそのまま日本に残り、私はポーランドに帰りました。おそらく、子供時代にポーランドに引っ越した時に姉の方が年上だったため、日本への愛着が強く、すでに日本のコミュニティとのつながりもあったのだと思います。また、彼女とは性格も全く違いますし、仕事の分野も違うので、日本の社会の方が向いているのでしょう。
下村:木村さんは、今後、ポーランドと日本のどちらに重心を置こうと考えていますか。
木村:やはりポーランドだと思います。日本が大好きではありますが、長くいると、ルールや社会的規則に過剰に刺激を受けてしまうことがあります。自由が必要で、日本では完全にリラックスできない時があります。もちろん、完璧な国はありませんし、ポーランドでもイライラすることはたくさんあります。でも、公共の場では常に気を使わなければならない「建前」の文化や、本音を言いにくい文化が息苦しいと感じることもあります。
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下村:私と木村さんは、似たような日本とポーランドという多文化体験を持っています。私にとって「ハーフ」であることは、常に切ないという気持ちと結びついています。木村さんもそういった気持ちをお持ちですか。
木村:はい、まったくそうです。常に満たされない気持ちがあります。ここにいると、あそこにはいない。自分が完全に居場所を持ち、必要なものすべてを手に入れられる場所がありません。この切なさは、夢の中にも現れます。ポーランドにいると日本の夢を、日本にいるとポーランドの夢を見るんです。
下村:どの言語で夢を見るんですか。
木村:以前にも同じ質問をされたことがあるんですけど、残念ながら答えがわかりません。言葉よりも、むしろイメージで夢を見るタイプなんです。
下村:内なる独り言の方はどうでしょう。
木村:たぶん、ポーランド語が多いと思います。今は日本語を使う機会がずっと少ないからです。日本語は私の最初の言語でした。ポーランドに引っ越してからは、家で日本語を使っていましたが、父が亡くなってからはさらに機会が減りました。姉と日本語で話しますが、会話の途中でポーランド語の単語が混ざってしまいます。
下村:木村さんの大阪での展覧会のタイトルは「Remnants」つまり「残滓」や「断片」ですね。
木村:はい、「痕跡」や「名残」という意味も込めています。特定の感情の反響を表したかったんです。このタイトルには、きっと懐かしさも含まれています。
木村リア、《Liminal》、2025年。写真:アーティスト提供
下村:木村さんの肖像画のぼやけた描写は、かつて近しかった人の姿が徐々に曖昧になっていく過程を連想させます。例えば、声のトーンは今でも頭に残っているのに対し、視覚的な記憶は時間とともに薄れていくような。顔をはっきりと思い出すことはできませんが、声は覚えているんです。
木村:視覚は支配的な感覚のように思えますが、結局のところ、一番儚いのかもしれません。記憶というものはそもそも不完全で、現実を変形させたり、時には歪めてしまったりするものです。時間が経てば経つほど、記憶の中の画像はより歪んでいくように感じます。
下村:つまり、木村さんのポートレートは、アイデンティティの儚さを捉えようとする試みなのでしょうか。
木村:はい、そう思います。私は西洋の古典芸術からインスピレーションを得ています。かつて肖像画は、人のアイデンティティを永久に残すための試みでした。時間との戦いであり、同時にその人の具体的なイメージや地位を確立する行為でもあったんです。でも、私のポートレートははそこから離れています。私の作品の人物はぼやけています。個々の具体的な人物ではなく、むしろ感情やエネルギーを表現しています。アイデンティティは固定されたものではなく、常に変化し続けるプロセスだと感じています。だから、私の絵画でも、徐々にぼかすことで変容を表現しています。人物は次第に消えていき、最終的に印象だけが残ります。でも、これは損失を意味する消滅ではなく、むしろポジティブなものです。見えないことによって、逆にもっと多くのことが見えてくる、あるいは感じられるのかもしれないと思っています。
下村:木村さんの作品に見られるぼやけのモチーフは、私の多文化体験に対する感覚と強く共鳴します。現代社会は、人を固定的なカテゴリーや枠組みに当てはめようとし、多面性を受け入れるのは苦手です。その枠に無理に自分を押し込めようとすると、自分の経験はぼやけてしまうんです。なぜなら、私たちは常に「完全にどこかに属する」ことができないからです。
木村:私は子どもの頃、日本で「完全に社会に溶け込めない」ことを実感しました。いじめや排除を経験したりもしました。ポーランドでも、「あまりにアジア的」で「他人」扱いされたことがありました。だから、子どもの頃から「この世界に、自分が完全にフィットする場所はないのだろう」という気持ちを抱いていました。
下村:ポーランドも日本も、一見均一的な社会ですので、違いが目立ってしまいます。日本での「ハーフ」という言葉に対する議論について、木村さんはどう思われますか?
木村:個人的に、「ハーフ」という言葉をネガティブに捉えていません。年を重ねるにつれ、多文化体験を特権だと感じるようになりました。特に創作活動において、幅広い視点を与えてくれるのはとても貴重なことだと思います。
下村:木村さんの作品の古典的な形式に戻りましょう。先ほど、西洋美術の伝統に触発されているとおっしゃっていましたが、その作品の多くが女性のポートレートであるのも特徴的ですね。
木村:はい、基本的には自分の経験を描いているので、肖像画の人物は女性が多いみたいです。
下村:木村さんの作品で特に興味深いのは、顔を抽象的な一筆でぼかす最後のタッチですね。
木村:はい、すべての作品にそのプロセスを取り入れています。直接手で絵の具を塗り、キャンバスとの物理的な接触で仕上げます。消すという行為が、触覚を通して感じられるんです。私にとって、これが一番自由を感じる瞬間です。なぜなら、純粋な表現が目的だからです。目を閉じて行います。視覚的な面に集中するのではなく、感情に集中し、直感的に手で顔の輪郭をぼかしていきます。ある種のエネルギーを伝えたいんです。
作品を仕上げる木村リア。写真:アーティスト提供
下村:そこには、どこか優しさも感じられますね。
木村:はい。触れることで、その人物との繋がりを感じます。
下村:西洋美術では、女性は男性の視線の下で描かれ、自らの視点を持つ主体として表現されることは稀でした。木村さんの顔をぼかす行為は、そんな客体化に対する反抗のように感じます。
木村:はい、それはある種の反抗です。ぼやけた肖像画は、女性の美しさを第一義に描くためのものでなくなります。
下村:アーティスト・ステートメントに、自分の作品で感情的な障害や疎外感に触れていると書かれていますが、その考えをもう少し詳しくお話しいただけますか。
木村:私にとって、これらのテーマは二重のアイデンティティと深く関連しています。子どもの頃、強い疎外感を感じていました。例えば、ポーランドに来た時、全くポーランド語が話せなかったんです。突然、見知らぬ世界に放り込まれました。誰もが見知らぬ言語で話す学校に通うことになり、とても孤独を感じました。人種差別や指差しも経験し、それが私のメンタルヘルスに悪影響を与えました。子どもの頃から、自分の体、感情、思考に閉じ込められているような気持ちがあったんです。結局、私たちは一人で生きていくしかない、という考えが常にありました。
下村:私も似たような考えを持っています。複数の場所にルーツがあると、自分の本当の、唯一の「ふるさと」は自分の体だと思うんです。それは、いつも自分の体を一緒に持ち歩いていけるということで、ポジティブなことだと思います。
木村:もしかしたら、そのために肖像画という、体を表現する形式に興味を持っているのかもしれません。
下村:子どもの頃から絵を描いていらっしゃいましたか。
木村:主にデッサンをしていました。私にとって、それは単なる表現手段ではなく、周りの人々とのコミュニケーションの手段でもあったんです。ポーランドに引っ越してから、言葉以外の方法でコミュニケーションを取らなければなりませんでした。言葉で伝えられない時は、紙に描いて表現していました。絵画に本格的に取り組むようになったのは、大人になってからです。画家になる夢を持ったことはなかったんです。ただ、自然とそうなりました。今、これを仕事にして生計を立てられていることが、とても驚きです。もともと、私は自分のために作品を作ることが第一で、強い衝動に駆られていました。それは、人生の辛い時期を乗り越えるための、自己療法のようなものでした。でも、同時に、いつすべてを失ってしまうのかという不安も常にあります。アートの世界は不安定で、予測が難しいからです。また、芸術大学を出ていない、独学でやってきたという事実も、ある種の疎外感を感じさせています。時々、アートの世界で排除されているように感じることもあります。多くのコンクールや展覧会は、私にとって手の届かないものに思えていました。
下村:先ほど、私たち「ハーフ」は常に何かが足りないという話をしましたが、木村さんにとって、ワルシャワにいる時に一番不足を感じる日本的なものは何ですか?
木村:日本の食べ物です!ワルシャワにはラーメン屋さんがたくさんありますが、本物の味にはかなわないんです。また、もっと儚く、感覚的なものも懐かしいです。街の音、光、香り。香りは私にとってとても大切で、絵のインスピレーションになることが多いです。絵を描くプロセスは、いつもお香を焚いて、アトリエにある種の雰囲気を作るところから始まります。私は五感を使って絵お描いているみたいです。絵を描くことは、ある意味で儀式のようなもの。一時的に別の世界に没頭しなければなりません。
インタビュー·執筆:下村杏奈(Anna Shimomura)、2026年6月27日