ポーランドの先駆的フェミニスト、ナルツィザ・ジュミホフスカ(Narcyza Żmichowska, 1819-1876)は以下のように書いている:
私は賢い、真面目な本をたくさん持っている。リュリエール〔Claude Carloman de Rulhière, 1735-1791〕によるポーランド史、セギュール〔Louis Phillipe de Ségur, 1753-1830〕によるフランス史、ティソ〔Pierre François Tissot, 1768-1854〕によるナポレオンの生涯を、順番に読んでいる。このほか、イタリア語や英語でもたくさん読んでいる。これがもっと続いたら、私は女学者になってしまう気がする。そうなったら本当におかしいだろう……。
寄宿舎で育まれた国民精神は、ポーランド分割を生き延びた。ポーランド愛書家協会を創設した中心人物、ズザンナ・ラプスカ(Zuzanna Rabska, 1888-1960)は16歳で文壇にデビューし、日記の中で、ポーランド王国(Królestwo Polskie/ 会議王国 Kongresówka, 1815-1867)の時代、女子のための秘密学校は「アプフチンの教育制度に対するもっとも活発な抵抗活動」〔ロシア領ポーランド王国では、教育長アレクサンドル・アプーフチン(Aleksandr Apukhtin, 1822-1903)の下、教育のロシア化が進められた〕となったと述べている。ワルシャワではこのような学校が12校以上運営されていた:
女学校の校長たちは官立学校にはびこるロシアの毒から若者を守るために、教師を厳選し、愛国的な雰囲気を作るように心を砕き、多大な困難や自由の喪失にさえ挫けなかった。〔……〕私たちは手芸、裁断、刺繍、デッサン、粘土細工を学ぶことになっていたが、実際には教育という大義に情熱を注ぐ教師たちによる第一級の講義を受けていた。
啓蒙主義時代にまだ、女子を学校に送ることに疑問を抱く者があったとしても、会議王国時代には、女子への教育は、少なくとも初等教育は当たり前のものとなっていた。高等教育については、若き女性たちは「羽」(「飛ぶ大学(Uniwersytet Latającym, 移動大学)」と呼ばれる地下教育組織の授業はあちこちの住居で行われた)、お金(マリア・スクウォドフスカ=キュリーのように外国で学ぶため)、そして忍耐力(19世紀末になると、ポーランド人女性はヤギェウォ大学の講義に参加できるようになったが、当初は聴講生としてのみであり、他大学でも正式な学生としての権利は、ポーランドが独立を回復してからようやく得た)で武装しなければならなかった。
主要参考文献:
Danuta Stępniewska, Barbara Walczyna (wybór), Kufer Kasyldy, czyli wspomnienia z lat dziewczęcych〔カシルダの収納箱、または少女時代の日記〕, Warszawa 1974.
Katarzyna Dormus, Anna Włoch, Justyna Wojniak, Edukacja kobiet, kobiety w edukacji 〔女性の教育と、教育における女性たち〕, Kraków 2017.
Małgorzata Janicka, Edukacja kobiet na ziemiach polskich na przełomie XVIII i XIX wieku〔18世紀から19世紀への転換期のポーランドにおける女性教育〕, Warszawa 2017.
Caroline Criado Perez, Niewidzialne kobiety. Jak dane tworzą świat skrojony pod mężczyzn, Kraków 2020.〔キャロライン・クリアド・ペレス『存在しない女たち――男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』神崎朗子訳, 河出書房新社, 2020年〕
執筆:アグニェシュカ・ヴァルンケ(Agnieszka Warnke)、2020年9月2日、最終改訂:2024年10月3日
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2025年7月