ハニャ・ラニの世界――ゴーストと踊ろう
影が踊り、メロディが漂う中、ハニャ・ラニとの親密な会話を始めよう。心に残る、幽玄な曲を作る名手であるラニは、音楽と神秘さが絡み合う世界へとわたしたちをいざなう。彼女の最新アルバム『Ghosts』は、目に見えるものと見えないもの、実体と亡霊を織り混ぜながら、生と死、記憶と喪失のテーマを探究する。
思慮深い問いに導かれ、ハニャ・ラニ(Hania Rani)は、人間の知覚を超える音楽の抽象的な美を探究し、その普遍的な言語と、非常に個人的な意味について思いを巡らす。ハニャは、ベルリンやワルシャワの歴史的な響きから、最新アルバムが形作られた、スイスでの滞在制作中の深い孤独まで、自分のインスピレーションのさまざまな源について語っている。創作する中で新たな「楽器」となった彼女の声が、超自然的なものの探求にもう一つの次元を加えている。日常を超越し、魂の隅っこに隠れた部分や、わたしたちみなを結びつける普遍的な経験、つまり音楽への根本的な欲求を垣間見せてくれる、詩的で深遠なハニャの思想を一緒に解き明かそう。
アグネス・ドゥデク(Agnes Dudek; AD):私の好きなアーティスト、抽象画家のアグネス・マーティン(Agnes Martin; 1912-2004)は、「音楽は芸術の最高形態で、完全に抽象的だ」と言っています。ハニャさんは音楽をどう理解していますか?
ハニャ・ラニ(HR):はい、私も同じように感じます。音楽について説明するとしたら、私にとって音楽は、潜在意識と人間の知覚を超えた何かが混ざったもの――時間を通じて私たちを感動させることのできる、あいまいで、はかない織物のようなものだと思います。私がとても興味を惹かれるのは、物理的な形がなく、目に見えず、味や匂いがしないのに、音楽はたくさんのシンボルや意味、感情で満たされているということ。それから、世界の特定の地域にとても深く根付いている音楽であっても、外部の人が簡単に理解できること。音楽の普遍的な側面と、ライヴ公演で特に強く感じるスピリチュアルな部分、そして人々をひとつの場所に集めて一緒に何かを体験させられる力がすごいなと思っています。これはほとんど、人間の根本的な欲求だと感じます。
AD:ハニャさんの3枚目のソロ・アルバムとなる最新アルバムについてですが、タイトルは「Ghosts」です。この、ゴーストという言葉には、どんな意味がありますか?
HR:これは、私がいつも興味を持ってきたエリアです。何世紀もの間、異なる文化によってさまざまな解釈がなされてきた、はっきりしない空間。私は普遍的だけれど、同時に個人的でもあるトピックが好きです。いくつもの違った解釈が生まれる機会を与えてくれ、それが大きな魅力だから。私は他の人と共有したその瞬間、作品は独り立ちすると考えています。このアルバムについて言えば、「ゴースト」〔幽霊、亡霊、幻影、まぼろし〕には色々な意味があって、さまざまなものを象徴しています。生と死、そしてこの二つの空間の間にある細い線から始まり、老い、喪失、記憶、歴史、他者の物語、儀式、信仰、超自然的なもの、新しい技術や、現実からの遊離(「現代のゴースト」)など。この他にも新たな意味や、このテーマを「翻訳する」方法を探しています。特に今、このレパートリーでツアーをしている時はそうです。
AD:実は最新アルバムで「幽霊っぽさ」を感じたのは、ハニャさんの声でした。これは新たな試みです。自分の声を楽器として使うのはどんな感じですか?
HR:いい指摘ですね!もう一つの楽器、もう一つの表現の手段としての声――まさにこれが、私が自分の声を用いる方法で、使っている理由です。実際、このアルバムを超自然的なものに捧げると決めた時から、音とその形について自由に考えようと、がぜんやる気が湧いて来ました。音楽が非現実的なものについてであれば、自分の境界を取り払って、奇怪なものも受け入れることができるからです。
AD:たくさんの亡霊が住む街、ベルリンとワルシャワの間を行ったり来たりしていますね。これらの場所のオーラが、知らないうちにハニャさんに影響を与えていると考えたことはありますか?
ハニャ・ラニ。写真:Martyna Galla
HR:たしかに、この二つの場所の歴史、多くの場合、心をかき乱されるような歴史は、容易に感じることができます。世界の違う地域から来た人たちには、過去百年間にわたるポーランド人とドイツ人の間の強い緊張関係や、それぞれの街が持つ性質の相反するニュアンスや複雑さを説明するのは難しいと思います。現在の歴史が20世紀のおぞましい経験に深く根ざしていることはすぐわかるけれど、私たちはいまだにその結果を理解しようと努めているところ。この二つの国の「文化の風景」が昔はどれほど異なっていたか、私たちが新しい、一見すると気楽で自由な時を生きていることがいかに恵まれているか、必ず気づくことができるでしょう。私たちは自然に、本能的に、歴史に目を向ける傾向がある気がします。それを不愉快に感じ、「なぜ、何年も前に起こったことにまだこだわるの?」と聞いてくる人もいるけれど、世代を超えたトラウマ、そして何より、説明し難い、空気中の特別な緊張感を、肌で感じとることができるのが重要なのです。それはワルシャワやベルリンで感じるし、ポーランド人とドイツ人の間、若い世代の間でさえ感じるもの。まるでミュージアムの展示内容みたいに思えるかもしれないけれど、実際には、年数や世代を数えると、それほど昔に起こったことではないのです。
AD:素晴らしい説明ですね。ある意味、歌というのはすべて、亡霊です。歌は私たちの心に残り、なかなか離れません――その美しさや、それと結びついている記憶もです。音楽が自分を離れないと感じたことはありますか?
HR:はい、それもかなり強く。今そう認めるのは変な感じですが、音楽の基礎を習ったのは読み書きを覚えたのと同じ頃だったので、音楽はまさに、私が人生で初めて学んだものの一つだったと思います。音楽は明らかに、私の人生の特別な瞬間を体現しています。特にパートナーと過ごした時間や、彼らが私に教えてくれたり、一緒に聴いたりした音楽はそうです。どの人間関係、恋愛関係においても、音楽はいつも、とても重要な一部でした。
AD:最新アルバムはスイスで、かなり隔離されたレジデンス期間に作られました。別のインタビューで、ハニャさんはこの場所について次のように言っています:「巨大で空っぽな場所。2台のグランドピアノがあり、それは間違いなく奇妙だけれど、非常に刺激的でした。ここで私は、これらの捉えどころのない、スピリチュアルで、非現実的なテーマを見つけ、自分を取り巻くすべてのものを貪ろうと決めたのです」。――これは私自身が砂漠で経験したことで、だからたぶん、砂漠は私のお気に入りの場所なのですが――開かれた空間では、物事が私たちに対してついにその姿を現す、余地ができるのだと思います。スイスで、2台のピアノを備えたスタジオの、一種の砂漠のような空間と静けさの中、ハニャさんが自分自身を見いだしたことで、音楽の啓示がハニャさんにやってきたのではないでしょうか。
HR:たしかに。私は自分の音楽にもっと味わいを持たせるため、また単に、自分を新しい状況に置いて何か新鮮なものを作り出すために、生活の中に矛盾する空間を求めて来た気がします。私は間違いなく都会っ子だけれど、時々、遠く人里離れたところで、自分だけの時間をゆっくり過ごすのが好きです。でも、ひとりでいて退屈することはめったにないものの、すごく正直に言えば、大きな挑戦でもある……人や友達に囲まれているのが好きなので。だから、真の恐怖なのか、もっと単純なものか試してみるために、自分を不安にさせる状況を探すというのは、とても意図的な決断です。自分が作曲をするどの場所も、何か違うものをもたらすこともわかりました。これは編曲に異なる楽器を選ぶのと似ています。
ハニャ・ラニ。写真:Martyna Galla
AD:これまでに、フランスのアンヴァリッド(国立廃兵院)やシアトルの聖マルコ大聖堂など、ユニークで美しい会場で公演をしてきましたね。大聖堂で演奏するのはどんな感じですか?ハニャさんの音楽の深みが増すように感じますか?
HR:はい、もちろんです。私たちの想像力を掻き立て、振る舞い方まで変えてくれる空間がいくつかあります。古いクラブや劇場で演奏するのも好きです。その空間に何か神秘的なものを感じるのは、そこで繰り広げられて来た、いくつものドラマや状況のせいもあるのかも。たくさんツアーをするようになると、残念ながら会場のほとんどは行き当たりばったりで、あまり歓迎される感じでなく、時にはがっかりさえするということがわかります。だからこそ特別な場所、特に建築の面でも素晴らしい場所では、いつもと違う気分になって、これから演奏する空間に自分を合わせようという刺激になるのです。
AD:宗教音楽を作る、ポーランドや他の国の作曲家からインスピレーションを受けることはありますか?たとえば、クシシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki)や、アルヴォ・ペルト(Arvo Pärt)はどうでしょう。
HR:はい!特に最近はペンデレツキで、「広島の犠牲者に捧げる哀歌(Tren ofiarom Hiroszimy)」(1960)など、彼の最も前衛的で偶然性のある作品から、おそらく影響を受けています。アルヴォ・ペルトも、私の人生で大きな役割を果たしています。宗教音楽に関して言えば、記憶に一番刻まれているのは古楽で、ルネッサンスやバロック、それよりさらに前の音楽も。修道院や大聖堂で結成された小さなアンサンブルの合唱曲やアカペラで歌う作品に、いつも特別な美しさを感じます。旋律、音階やハーモニーだけでなく、歌唱法や、もちろん空間が作曲にどのように組み入れられているかも重要です。宗教音楽にはいつも大きな影響を受けて来て、それは無意識のレベルでも。典型的なポーランドの信心深い家で育ったので、教会の曲のいくつかは、心にそのまま刻み込まれています。自分の音楽がどこから来ているのかに気づくと、時々可笑しくなります。多くの場合、その源泉は、私たちが望むように知的で、意図したものではないから……。
AD:自分の音楽は宗教的だと思いますか?それはどうしてでしょう?
HD:スピリチュアルなのはたしかです。理由は色々あります。これまでの人生でずっと音楽に関わって来たので(ピアノを始めたのは6歳)、音楽の創造は知性を超えるものだとすぐわかりました。知的に構築することもできるけれど、なぜか人間の知性が受け入れられるものを明らかに超えている。いつも、特にスコアを書いたり他のミュージシャンのために編曲をしている時、自分がコントロールできないものについて注意を払わなければと感じます。「形而上学的」なところを追跡するには、すごく好奇心がないといけない。私は自分の作品は、説明できないものを追いかけること、と表現しています。知性を使えば、人を感動させ、自分にとっても面白い音楽作品を作ることができるとわかっていますが、それは重要ではない。一番素晴らしい瞬間は知性や計画、人間の創造を超えたもの。これがアートや音楽、おそらく人生全般の、スピリチュアルな部分なのでは。説明できない何かです。
AD:以前、次のように言っていましたね:「『Ghosts』ではよく知らないけれど大切に感じるツールやストーリーを選び、ゼロから何かを始めたいと思っていました。『Ghosts』は、生と死、光と闇、現実と非現実についての物語。究極の性質に触れて私自身の神話を作る試みで、恐怖と向き合い、怖いのに無意識下で惹かれるものに奥深く、潜り込みます。『Ghosts』はこれらをみな集め、過去、現在と未来を混ぜ合わせて、新しい私の音になったものです」。生・死といった二分法に今、フォーカスする理由とは?対照的なものや、他者の反映についてどう思いますか。
HR:私が興味があるのは、このように相反するテーマがどう繋がり、実際にどう密接に作用し合っていくかです。生と死、愛と憎しみがいかにぴったりくっついているかを認めるのは、魅惑的でありつつ、同時に恐ろしいこと。この二つの極の間にはある種の緊張や力学があって、定義したり、把握したりするのがとても難しい空間なので、特に興味深いと思います。アーティストにとっては完璧な空間です。
AD:「究極の性質に触れる」とは、どういう意味ですか?
ハニャ・ラニ。写真:Martyna Galla
HR:このアルバムは不安になるトピックについてたくさん語り、かなり心が乱されるような言葉を使っている気がします。死と、それに対する圧倒的な恐怖から始まりますが、これは私たちのほとんどが無意識下で共有していると思います。愛や、見捨てられること、失恋について語ることは普通にあるけれど、もっと「究極」のことについてオープンに話すことは、たぶんあまりないでしょう。
AD:ハニャさんが作った神話を共有していただけますか?
HR:うーん、ちゃんとは定義できていないかもしれません。まだ発展、変化している最中だと思います。
AD:これはみな、ハニャさんのスピリチュアル、または個人的な進化と関わり合っているのでしょうか?
HR:もちろんです。他の人と比べて何か特別なことをしたかはわからないけれど、確かに少しは経験があります。アートや音楽に携わっている人たちは、傷つきやすく、繊細で、感情に対して素直で、私たちを取り巻く世界の微妙な感情の動きにも気づく傾向があると思います。私に起こったすべてのこと、私が見たり感じたりしたことすべてが、最終的に私の考え方や創造の仕方に影響を与えている。単に自分の信念や先入観に固執するのでなく、観察して学ぼうと努めていて、よく自分のアートの空間を使って、よく理解できなかったり、不思議に思うことを研究しています。音楽は私にとって間違いなく、困難な経験や感情を処理する空間。自分を悩ませていたり、日々の生活では恥ずかしくて表現できないことをみな、自由に探究することができる、いわば安全地帯です。スピリチュアルな空間でもあります。人生の中で、完全に自分自身になれる、自由で、間違えることが許され、それでいて自分や他の人のために新しいことを発見できる空間があるのは、本当に素晴らしいことだと思います。私のアートはとてもパーソナルなもの。自分の個人的な経験や観察を通して、普遍的なテーマを扱います。この方法は、別に珍しいものではないのでは。私が尊敬するアーティストのほとんどは、非常にパーソナルな言葉を用いて、より大きな問題を表現する傾向があります。それは本当に正直で、正しいことだと思います。
AD:どうもありがとうございました!
執筆:アグネス・ドゥデク(Agnes Dudek)、2024年7月
日本語訳:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2024年10月