ルーツ――ルトスワフスキ、シェフェル、ルドニク
最新のポーランド音楽について書くときに、過去への一瞥を避けて通ることはできない。ポーランド音楽の巨匠たち――ヴィトルト・ルトスワフスキと彼の制御された偶然性の音楽はその代表に教育された教授陣――の下で、それに続く孫弟子世代の作曲家たちが育っている。制御された偶然性の音楽は「安全な即興」の一種で、演奏家は厳密に規定された音を自分で選んだテンポで奏でる。ヴォイチェフ・ジェモヴィト・ズィフなど、作曲家の中には、はっきりとルトスワフスキの創作を援用する者もいる。彼は、それを「Mille coqs blessés á mort[1]」(2000)にルトスワフスキの「Livre pour orchestre」(1968)を文字通り引用するという、まことに露骨な形で行った。巨匠の作品に遠慮がちな他の作曲たちは、独自の表現手段を探している。ヴォイテク・ブレハシュは、率直にこう語ったことがある――「私は、ルトスワフスキから習ったとおりに曲を書きたくはなかった。あれは私の言語ではなかった」
近年、ポーランド現代音楽の別の流派が発言するようになってきた――ポーランド・ラジオ実験スタジオで作られた作品の再発見である。ヴウォジミェシュ・コトンスキ、ボグスワフ・シェフェル、エウゲニュシュ・ルドニク、ボフダン・マズレクは想像を絶するほどの量の音源を残したが、これらの全貌は今日も明らかにされていない。その多くは、内発的で、形式的な志向に毒されていない音楽へのアプローチによって、私たちを魅了する。スタジオの教え子の一人が、ヨーロッパ音楽におけるミニマリズムの創始者と見なされているトマシュ・シコルスキである。彼は、最小限の表現手段を用いて、聴衆を震撼させる力を持っていた――彼の作品の多数の背後には、不安と憂愁が流れている。より若い世代の最も興味深い作曲家の一人スワヴォミル・クプチャクは、彼に「創作Ⅰ(トマシュ・シコルスキを思いながら)」(2005-2006)を捧げた。
繋ぐ者たち――ペンデレツキ、メイェル、クラウゼ
20世紀音楽の古典として認知されている作曲家とより新しい作曲家を繋ぐ者と呼ぶにふさわしい作曲家たちもいる。そのトップに立つのが、実験スタジオで育てられ、かつてはソノリズムの代表的作家であったクシシュトフ・ペンデレツキだ。『広島の犠牲者に捧げる哀歌』(1960-61)のような作品は、今日でも、前衛音楽の崇拝者の賛嘆の的だ。今彼は、調性とハーモニーに横溢した音楽を作っている。ポーランドの音楽シーンで長年にわたって活躍しつづけるもう一人の作曲家は、ペンデレツキの弟子であり、浩瀚なルトスワフスキ伝の著者でもあるクシシュトフ・メイェルだ。彼は、弦楽四重奏曲14曲、ソロ楽器のコンチェルト10数曲、歌劇3作品を書いている。歌劇の一つ、レムの短篇小説集を基にした宇宙オペラ『ツィベリアーダ』は、作曲から42年を経た今、ポーランドで上演されている。
ズィグムント・クラウゼの作品も、半世紀弱にわたって、ポーランドのコンサート・ホールで演奏されつづけている。彼の生涯における重要な出来事は、巨匠ピエール・ブーレーズに招待されてIRCAM(パリ電子音楽講座)で創作したことである。現在、彼の主たるインスピレーション源は、アジア音楽だ。
若き巨匠たち――シマンスキとムィキェティン
より若い作曲家の中に、古典作家の名に値する人が二人いる――パヴェウ・シマンスキとパヴェウ・ムィキェティンだ。西洋音楽の豊かな伝統を振り捨てることなく、むしろそれを独自の手法で作り替えている。シマンスキは、現代の芸術家が、「伝統を完全に振り捨ててしまうと、意味不明の戯言になる恐れがあり、伝統にばかり目をやっていると、凡庸さに堕してしまいかねない」と述べる。彼自身、引用を峻拒することで、凡庸さを回避している――彼の作品には、古い様式の痕跡と隠された暗示しか含まれていない。『プレリュードとフーガ』(2000)と題された作品が、字義どおりの内容を物語っているわけではないのだ。最新作の一つ『聖句箱』(2011)では、ポーランドの考古学者が発掘した単性論の碑文をもとに、過去について独自のイメージを作り上げた。
ムィキェティンは、最少調性に強い関心を持っている――「これは、まるでピアノの黒鍵と白鍵の間にさらに鍵があるようなものだ」と作曲家は説明する。自作『より美しくなること』(2004)を、ハープシコード、弦楽四重奏、バリトンのために書いた。ハープシコードは最少調性に調律され、ヴァイロリンとチェロは4分の1音低く調律されている。それによって、ムィキェティンは、素材として前代未聞の音色を手に入れた。
電子音楽と即興――ズベル、ドゥフノフスキ、クプチャク
アガタ・ズベル、ツェザルィ・ドゥフノフスキ、パヴェウ・ヘンドリフ、スワヴォミル・クプチャクの音楽において大きな役割を果たしているのは、電子音楽と即興だ。彼らはいずれも、作曲のほか演奏にも従事する。ズベルとドゥフノフスキはElttroVoceを結成した――ズベルは前衛的歌唱技術を、ドゥフノフスキは伝統的楽器を使う新しい方法を探求している。三人を結び付けているのは、音色への強い関心と演奏の可能性を広げようとする一貫した意志である。ドゥフノフスキ、ヘンドリフ、クプチャクは、Phonos ok Mechanes(機械の音)で一堂に会した。三人は、レムの『三人の電子騎士』を基にしたオペラを作る計画を持っているという。三人の電子騎士は、日ごろから電子打楽器音楽を演奏している――自らコンピューターをプログラミングして、それが出す音を定める一連のパラメーターを導入し、次に、楽器によってコンピューターの音の響きを編集している。二人はこれを、用語としてすでに定着しているlive electronics (ライヴ・エレクトロニクス)に倣って、human electronics(ヒューマン・エレクトロニクス)と呼ぶ。
ズベルの作曲した作品は、しばしば文学作品にそのインスピレーションを求める。彼女の最も重要な作品の一つは、ベケットのテキストを基にした『カスカンド』(2007)で、作曲家自身の奇跡的な演奏で同題CDに録音された。語りを主に駆動するのは、ズベルの声のほとんど限界を知らない可能性である。一つ一つの音符は詩の内容と結びつき、ベケットの詩作品同様、すべては緩慢な削減を目指す。
スワヴォミル・クプチャクが己れの技法と美学についての理想を表現した最初の作品は、合唱とオーケストラのための交響曲第1番『Capax dei』である。各楽器のパートはお互いに無関係に演奏され、次第に濃密に集中した威圧的な響きを創り出す。演奏家は時間に関して――これは、ルトスワフスキ作品を演奏するときとやや似ているが――、自らいつ演奏を終えるか、いつどの音を短くするかを決定する。しかしこの作曲家が最もよく用いるジャンルは電子音楽であり、ときに電子音楽の「レトロ」たるシンセサイザーやテルミンを使う。
重厚な響き――グルィカ、ヴォジヌィ
アレクサンドラ・グルィカ、ヨアンナ・ヴォジヌィという二人の女性作曲家は、ポーランド現代音楽に重厚な響きを付け加える。グルィカはパリのIRCAMなど、国外で多くの作曲講座に参加した。バレエ『Alpha Kryonia Xe』(2003)とオペラ『SERCAM YOU』(2006)を作曲した。『observerobserver』(2012)では頭蓋穿孔、人間の内臓を触る音の録音を用い、それとフルートの音声の爆発を対照させて、聴衆をショックに陥れた。
ヨアンナ・ヴォジヌィはオーストリアに住んで創作を続けている。ザブジェ(ポーランド)で哲学を学び、後にグラーツ(オーストリア)で作曲を勉強した。彼女の作品は、新しい音楽専門の最も権威のある出版社の一つカイロスから出版されている。ヴォジヌィの音楽言語は、伝統的な楽器編成の背後に隠れている共鳴の可能性を探求する。彼女の音楽は、音声素材の削減を目指しているが、それによって音楽に荒々しさ(とはいえ、苦痛と喧騒を伴う響きではない)が与えられる。
概念主義的(コンセプチュアルな)転換――シュムィトカ、ブレハシュ
次第に多くのポーランド作曲家が、典型性から遠い、より抽象的で概念的な表現形式を用いるようになった。際立った存在は、ヤゴダ・シュムィトカだ。彼女の『happy deaf people』(2012)は、ラジオドラマと舞台と音楽学講義の境目に位置する作品だ。それが物語るのは、音楽を――まずは触覚によって――体験する多様な方法についてである。前面に置かれているのは、3つの言語で発音される言葉で、音楽は簡潔で意味が明瞭な成句に限定されている。オペラ『声たちと手たちのために』(2013)で、作者は、現代作曲家が文化行政機関と交渉するときに直面する問題に主題を絞った。シュムィトカのオペラの観客は、どの部分がオペラの一部で、どの部分が日常生活の一部なのか、特定するのに困難を覚える。
シュムィトカの作品はヴォイテク・ブレハシュのオペラ・インスタレーション『Transcryptum』(2013)の前に上演されるが、ブレハシュの作品は、国立歌劇場の建物(まがりくねった廊下、エレヴェーター、リハーサル室、さらには洗濯室)と不可分に結びついている。劇場のほとんどすべての職員が演目の準備に参加する。洗濯室でのゲネプロにおいて、女性職員たちは観客がいても少しも遠慮せずに、自分たちの仕事を続けた――これも舞台の一部だったのか? 芸術のあり方を決めるのは受容者自身であり、ブレハシュは装置の一覧を示すのみである。観客はそれを組み立てて自らの物語を作らなくてはならないのだ。
[1] 以下、楽曲の表題、演奏団体名は、ポーランド語の場合は邦訳し、それ以外の場合は原綴で示す。