人間を考察しながら、実は自分自身を考察している[……]。私のフォルムは、私が歩んできた道のりのどの段階にいるのかを記しつつ、自分自身から脱ぎ捨てては、次々と現れる皮だ。毎回、それらの皮はすっかり私の一部で、私もそれらの皮の一部であるから、お互いになくてはならない存在となっている。私はその存在を見守っている。柔らかな皮は、無限数の形の可能性を内包している。私はその中の一つだけを、意味を持つ適切なフォルムとして選ぶ。展示会場では、それらの皮に空間を創り出し、そこでは私が与えたエネルギーの輝きが広がっていく。それらの皮は私と共に存在し、私に依存し、私はそれらの皮に依存している。[……]私がいなければ、まるで胴体から切り離され、捨てられた身体の一部のように ―― それらの皮は意味をなさないのである。
マグダレナ・アバカノヴィチ、≪アゴラ(Agora)≫、グラント・パーク、シカゴ、2011年。写真:Gabriel Grams/ East News
このような、自身の作品についての言及は、≪アバカン≫を創作したこの芸術家のそれまでの経験の特徴も総括しているように思われる。もっとも、≪アバカン≫は具体的な個人としての体験や感情に根差した作品ではないようだ。しかし、≪頭≫や≪背中(Plecy)≫に見られるような、完全かつ群衆的な匿名性からは程遠い。それはおそらく、≪アバカン≫が織物の独特な性質と、素材の自然な色合いから離れた鮮やかな色彩(≪赤のアバカン(Abakan czerwony)≫、1967年;≪茶のアバカン(Abakany brązowe)≫、1969年~1972年;≪オレンジ色の服(Ubranie pomarańczowe)≫、1969年;≪黒い環境(Czarny environment)≫、1970年~1978年;≪袋の付いた黒い服(Czarne ubranie z workami)≫、1971年)を保っているからだろう。一方、後期の作品は、二重の意味で非個性化されている。すなわち、同一の形を何度も使用し、それぞれの連作を素材の特性によって決められた、単一のモノクロ調に統一させているのである。この手法は、アバカノヴィチによって使用された芸術的な手法の大部分における原則となった。
戦争ゲーム
マグダレナ・アバカノヴィチ、連作≪戦争ゲーム≫より≪バズ(Baz)≫(1991年)、木材、金属(70×110×60cm)、ヴロツワフ国立博物館所蔵、「マグダレナ・アバカノヴィチの空間で」展の展示風景、オロンスコ・ポーランド彫刻センター、オロンスコ(Orońsko)、2019年。写真:Wojtek Laski/East News
類似点は、≪戦争ゲーム(Gry wojenne)≫(1989年)にも容易に見出すことができる。―― 枝を落とし、樹皮を剥がし、一部を布切れで「包帯」のように巻き、鋼鉄の輪で固定した古木の巨大な切り株から作られた、スケールの大きい構造物だ。金属製で向こう側が透けて見える台に置かれ、火の戦車や砲兵車両のようにも見える。アバカノヴィチはこれらの作品に≪バズ(Baz)≫、≪ウコン(Ukon)≫、≪ルナ(Runa)≫といった意味ありげなタイトルを付けた。そこには、忘れ去られた言語や魔術、原始的な儀式の響きが宿っている。アバカノヴィチはこのようにして、言外の意味よりもむしろ象徴に満ちた独自のテクストを構築している(1976年に、この芸術家が「エネルギーの源」を求めてニューギニア、タイ、インドネシアのスラウェシ島、バリ島、スマトラ島、ジャワ島などへの旅に出たことは特筆に値する)。とはいえ、同時にアバカノヴィチは、この連作のタイトルは偶然の産物であると強調している。また、次のようにも述べている。
これは、私にとっては珍しいタイトルだ。他のタイトルは、≪背中≫や≪座っている姿(Postaci siedzące)≫のように作品を綿密に描写しているか、≪発生学≫のように非常に遠回しで比喩的なものだ。後者に関して言えば、学問を定義しているのであって、麻袋を縫い合わせて作ったオブジェの寄せ集めではないのだから仕方ない。もしここで話題にしている連作が別の名前だったとしたら、おそらく全く異なる連想を呼び起こしていたことだろう。
アバカノヴィチの手による最も興味深い作品の一つである≪戦争ゲーム≫には、両義的な特徴があるように思われる。負の「軍事的」エネルギーを放ち、力強く、支配的な作品である一方、無力な手足のような印象も受ける。比喩的なメッセージがもはや、実存的な問題に巻き込まれることとして捉えられている「人間の状況」のみに関係しているのではなく、人間が「歴史」や「文化」にどのように関与しているかという点にも及ぶ宣言だとみなすことができる。実際、アバカノヴィチ自身も、自分の作品の一部を具体的な歴史的視点に位置付ける可能性を示唆していた。作家のズビグニェフ·タラニェンコ(Zbigniew Taranienko, 1943年生まれ)はこんな質問をした。「ポーランドでは、あなたの作品が多義性を持つ一方で、政治的な響きも持っているということに気づかれているのでしょうか」と。それに対し、アバカノヴィチは次のように答えた。「そのことについては、私がルブリン·カトリック大学(Katolicki Uniwersytet Lubelski Jana Pawła II)で≪ケージ(Klatka)≫(1981年)を展示していた戒厳令下当時でさえ注目されませんでした。そこには、≪無名の肖像(Anonimowe portrety)≫(1987年)も展示されており、それは実のところ、ギロチンの支柱を彷彿させる台座に置かれていたのですが」
マグダレナ・アバカノヴィチの「Every Tangle of Thread and Rope」展の展示風景、2023年、テート・モダン、ロンドン。写真:Aaron Chown/PA Images/Forum
晩年、アバカノヴィチは自身の作品についてより頻繁に語っていた。自分のルーツがタタール人にあることを強調し、戦時中の体験に言及し、ポーランド人民共和国時代(PRL)の現実に対する態度を公然と明らかにした。それ以前は、主に素材をどのように見分けるかといったような経験、つまり彫刻家としての技法を超えない範囲の経験について話していた。常に素材の内部に魅了され、その儚さを感じ取っていた。アバカノヴィチは次のように回想している。
私がまだとても小さな子どもだったときのことだ。ぬかるんだ池のへりにしゃがみ、オタマジャクシを観察していた。〔……〕膨らんだお腹を覆う薄い膜を通して、腸がくねくねと絡まり合う様子がはっきりと見えた。〔……〕棒で岸に引っ張り上げ、うっかり触ると、膨らんだお腹が破裂した。その中身が、無秩序にこぼれ、あふれ出した。〔……〕私は胸をどきどきさせながら座り込み、起こったことにショックを受けていた。柔らかな生命が破壊されたことと、柔らかな中身の果てしない謎に。〔……〕それから何年も経ち、複雑な組織を持つ柔らかなものが、私にとっての素材となったのである。
アバカノヴィチは、こうした幼少期や青春時代の体験を好んで振り返っていた。しかし当初は、自身の作品に添えた文章の中で、直接的に言及することは避けていた。 ―― まるで、作品の内的な統一性を守ろうと、その意味を隠しているかのように。≪背中≫を見た観客や批評家たちが「これはアウシュヴィッツですか、ペルーの宗教的な儀式ですか、それともラーマーヤナの舞踊なのでしょうか」と尋ねると、アバカノヴィチは、全ての答えが正当であると説明した。なぜなら、彼女が関心を持つ人間は「特定の時代の人間ではなく、人間全般」であり、彼女の芸術は、単なる普遍的な「人間の状況についての物語」だからである。また別の場所では、次のように付け加えていた。
私は度々、存在そのものと同じくらい古い昔々の物語に取り組んでいる。そして、その物語やそれがもたらす恐怖や失望、憧れについて語っている。
空間の体験
≪群衆≫を背にしたマグダレナ・アバカノヴィチ、ワルシャワのウヤズドフスキ城現代美術センター(Centrum Sztuki Współczesnej Zamek Ujazdowski)での展覧会、1995年。写真:Wojciech Druszcz/REPORTER
アバカノヴィチは、多くの、大抵はスケールの大きいプロジェクトを屋外空間で実現した。その大半はポーランド国外で行われた。そこで、同時に「感情の空間」とみなすこともできる、彼女が「体験の空間」と呼んだものを創り上げたのだった。
しかし、この種の作品で実現された最大規模のもの ―― 鋳鉄製の112体の像からなる≪認識されない者たち(Nierozpoznani)≫(2002年)と題された作品 ―― は、ポーランド国内、ポズナンのツィタデラ公園に設置されている。また、ポーランド北部の街、エルブロンク(Elbląg)には、ギャラリー外の空間に常設された初のオブジェがそびえている。樹木を思わせるこの鉄でできた作品は、1965年の第1回空間形態ビエンナーレ(Biennale Form Przestrzennych)の際に制作された。
1991年、パリ市からの依頼により、ラ·デファンス地区の西側開発を念頭に置いてアバカノヴィチが考案した、大胆な「樹木状建築」構想が生まれた(実現はしなかったが)。アバカノヴィチ自身は、≪手(Ręka)≫(1994年)も建築プロジェクトに含めていた。 ―― この作品は原爆犠牲者を追悼するために広島市からの依頼により、実現はしなかったものの制作された「塔の彫刻」であった(ラ·デファンス地区の場合と同様、ここでもアバカノヴィチの構想には、「建造物」に植物を植え付け、時間の経過と共にその植物によって壁面が覆われていくという考えが含まれていた)。
アバカノヴィチが制作した野外インスタレーションは、彼女の他の大部分の作品と同様、通常人間に関連している ―― 不完全で、傷つき、苦しむ身体を考察することで直接的に、あるいは作品が置かれた(自然的または歴史的な)文脈を通じて比喩的に。美術史家で美術評論家のダヌタ·ヴルブレフスカ(Danuta Wróblewska, 1934-2013)によれば、
アバカノヴィチの芸術の根底には、ギリシャ語の「bios」という意味での生物学がある〔……〕。しかし、彼女は芸術家であるので、フォルムを通じて〔人間を〕考察し、その考察において本能を用いているのである。
一方、アバカノヴィチ自身は1975年に次のように告白している。
私はきっといつも、表現のテーマは捨てることなく、一つの技法や素材を捨てて、別のもう一つへと移っていくだろう。最も興味深いのは、まだ知られていない技法を使い、まだ知られていないフォルムを構築することだ。
作品の多様性は、この彫刻家の衰えを知らない独創性、それに「私は規則や規定が好きではない。それらは想像力の敵だから」という信条を巧みに実践していることを実によく証明している。
アバカノヴィチは、マールボロー·ギャラリー(Marlborough Gallery)が支援していた作家の一人であった。1965年~1990年に、ポズナンにある国立美術大学(現マグダレナ·アバカノヴィチ芸術大学(Uniwersytet Artystyczny im. Magdaleny Abakanowicz))で、学生たちに授業を行った。また、ロサンゼルス、バークレー、ボストン、ニューヨーク、サンディエゴ、シドニー、東京でも客員講師として講義をした。アバカノヴィチの作品は、世界中の多くの美術館やギャラリーに所蔵されている。ポーランドで最大のコレクションを有しているのは、ヴロツワフ国立博物館だ。作品、展覧会、コレクション、書籍情報に関するリストや、アバカノヴィチによって書かれたテクストは、1995年にワルシャワの現代美術センター(Centrum Sztuki Współczesnej)で開催された展覧会のカタログなどに収録されている。また、ウェブサイトwww.abakanowicz.art.plでも閲覧可能。