スイセンの花が呼び起こす記憶――ワルシャワ・ゲットー蜂起記念日 【インタビュー】
毎年4月19日、ワルシャワ·ゲットー蜂起記念日に、ワルシャワの街に何万というスイセンの花が出現する。これらの花は紙でできており、地面ではなく、通行人の襟元で咲き誇る。この黄色の花は何を意味し、どのように記憶を助けてくれるのだろうか。
筆者(ニツァン·ライスナー, Nitzan Reisner)は幸運にも、これらのスイセンがワルシャワの街に初めて現れた2013年に、ポーランド·ユダヤ人歴史博物館「POLIN」のチームに加わった。そしてこの素晴らしい取り組みの重要性を広く伝えたいと願い、「POLIN」のゾフィア·ボヤンチク(Zofia Bojańczyk)とヨアンナ·ガルシュトカ(Joanna Garsztka)、そしてユダヤ系ポーランド人デザイナー·アーティストであるヘレナ·チェルネク(Helena Czernek)に、毎年恒例のワルシャワゲットー蜂起キャンペーンについて話を聞くことにした。
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ワルシャワ·ゲットー蜂起は1943年4月19日、ユダヤ教の過越の祭り(Pesach)の前夜、ゲットー内で生き残っている人々を強制移送するため、ナチスドイツ軍がゲットー内部に侵入した時に勃発した。ドイツ人を迎え撃ったのはおよそ700名の武装した抵抗者の集団で、自らの運命を知りながら、尊厳をもって死に臨む覚悟で武器を手に取った人々だった。ワルシャワ·ゲットー蜂起の闘士たちは、モルデハイ·アニェレヴィチ(Mordechaj Anielewicz, 1919-1943)イツハク·ツキェルマン(Icchak Cukierman, 1915-1981)、トシャ·アルトマン(Tosia Altman, 1919-1943)、ツィヴィア·ルベトキン(Cywia Lubetkin, 1914-1978)、そしてマレク·エデルマン(Marek Edelman, 1919-2009)を始めとする指導者に率いられ、数少ない銃器とわずかな弾薬で一ヶ月近くにわたってナチスと戦い、撃退し続けた。蜂起の終結は、1943年5月16日、ナチスドイツ親衛隊(SS)司令官、ユルゲン·シュトロープ(Jürgen Stroop, 1895-1952)による、ワルシャワ大シナゴーグの破壊によって決定づけられた。ワルシャワ·ゲットー蜂起は、ナチスドイツ占領下のヨーロッパにおける最初の都市蜂起だった。
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ワルシャワ·ゲットー蜂起の鎮圧の際、ナチスドイツによって捕えられたポーランドのユダヤ人。ユルゲン·シュトロープがハインリヒ·ヒムラーに送った1943年5月の報告書より。写真:Wikimedia Commons
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ニツァン·ライスナー(Nitzan Reisner, 以下NR):では、最初から始めましょう。紙で作られたスイセンが、ワルシャワの住民の襟元を飾るようになったのは、どういういきさつでしょうか。
ゾフィア·ボヤンチク(Zofia Bojańczyk, 以下Z B): 2013年に、ワルシャワ市民にとってワルシャワの歴史上で重要な出来事についてアンケートが実施されました。そのアンケートの中に、1943年のワルシャワ·ゲットー蜂起について聞いたことがあるか、1943年4月19日という日は、ワルシャワの人々にとって何か意味があるかという質問がありました。ワルシャワ·ゲットー蜂起のことを知っていた、またはなぜこの日が重要かを知っていたのは、回答者の30%だけでした。
その後しばらく時を経て、2019年には、80%のワルシャワ市民がゲットー蜂起のことを知っていました。このワルシャワ·ゲットー蜂起の社会教育キャンペーンが、1944年8-10月のワルシャワ蜂起とは別の、「もう一つの蜂起」について人々の認識を広めるという、目指した通りの成果をあげたことは明らかです。ヘレナ·チェルネクがデザインした象徴的な紙のスイセンがワルシャワの街に現れたことは、想像以上のインパクトがありました。
ポーランドの人々が、この蜂起をポーランドの歴史の重要な一部だと認識することも、私たちには重要でした。世論調査センター(Centrum Badania Opinii Społecznej)によって2013年に実施された調査があります。この調査では、「ワルシャワ·ゲットー蜂起は誰にとって重要ですか」という質問に対し、73%がユダヤ人のみと答えたのに対し、ポーランド人にとって重要と答えたのは31%にとどまりました。2018年に同様の調査が再び実施された時、49%がポーランド人にとって重要と回答しました。この18%の増加は、ポーランド人が、ゲットー蜂起を自分たちの歴史の一部として学びつつあることを示しています。これは、キャンペーンに携わったボランティアの皆さんの尽力なしには実現できなかったでしょう。
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ワルシャワのノヴォリプキ通り(ul. Nowolipki)にある、マレク·エデルマンを描いたダリウシュ·パチュコフスキ(Dariusz Paczkowski)のウォールアート。写真:Stefan Romanik / AG
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NR:それは本当に素晴らしいですね。キャンペーンのシンボルについて教えていただけますか。なぜスイセンなのでしょう?
ZB:すべては物語から始まりました。毎年、ゲットー蜂起勃発の記念日に、マレク·エデルマンが、匿名の人物から黄色の花束を受け取っていたのです。そして彼は追悼式典の折に、黄色の花をゲットー英雄記念碑に供えていました。スイセンのことが多かったですが、これはもちろん、同一の花束ではありませんでした。でも、エデルマンが2009年に亡くなった時、博物館は彼の伝統を継続することを決めました。
2013年に最初のワルシャワ·ゲットー蜂起キャンペーンを立ち上げたエヴァ·ブデク(Ewa Budek)は、ワルシャワ·ゲットー蜂起を記念するシンボルがあれば、人々の意識を高めるのに役立つと考えました。この黄色い花、スイセンは、それにぴったりだと思われたのです。
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ヘレナ·チェルネクと、彼女がデザインした、ワルシャワ·ゲットー蜂起を記念するスイセン。写真:Aleksander Prugar
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Helena Czernek, Daffodil, photo: Aleksander Prugar
NR:ヘレナさん、毎年、人々の襟元に飾られるこの紙製のスイセンについて教えていただけますか。この機会のためにデザインされた、美しいスイセンですね。
ヘレナ·チェルネク(Helena Czernek, 以下HC):このプロジェクトに参加した時、私は見た目が美しいとともに、制作が容易な花をデザインするという任務を授かりました。人々がこれらのスイセンを「一緒に作る」ことができるようにすることも、私には重要でした。小さなことですが、受け取った時にはスイセンのつぼみが閉じており、花を「咲かせる」ためには自分で開かなければならないという点に、大きな意味がこめられています。
私がデザインしたこのスイセンは、ワルシャワ·ゲットー蜂起のシンボルになりました。でも、人々が単に私のデザインを利用するだけではないので、とても嬉しいです。スイセン全体が蜂起のシンボルとして広く知られるようになり、素晴らしいことだと思います。
スイセンは襟につける必要はありません。多くの人がカバンにつけていますし、1番最初のスイセンを財布に入れてずっと持っているのを見せてくれた人もいます。パソコンについているのも見たことがあります。私自身は、いつも玄関のドアに貼り付けています。引越しする時も一緒に持って行き、新しい場所でも、またドアに飾るようにしています。
NR:私も1番最初のスイセンをまだ持っています!博物館では毎年、どのぐらい紙製のスイセンを作るのでしょうか?
ZB:2020年は25万個作りました。
HC:25万個?! 最初は5万個から始めたと思います!
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ワルシャワ市内で活動するスイセン·キャンペーンのボランティア。写真:Alicja Szulc / ポーランド·ユダヤ人歴史博物館「POLIN」
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NR: では、何万という美しい、紙製のスイセンがまずできるのですね。その次は何をするのでしょう?
ヨアンナ·ガルシュトカ(Joanna Garsztka, 以下JG):すべてはボランティアの皆さんのおかげです。毎年4月19日に、ワルシャワの街頭に繰り出し、スイセンやチラシを通行人に配ってくれています。自分たちが何をしているのか、なぜ意義があるのかを説明し、時に質問が出てくれば、それにも答えてくれます。ボランティアの皆さんが、スイセン·キャンペーンの中核です。
最初の年は、しっかり確立されたボランティアプログラムがあるワルシャワ蜂起博物館に協力してもらいました。当時、私たちのところには10名しかボランティアがいなかったからです。新しく開館される博物館のためにボランティアをしようとする人はいないのではと心配しましたが、最終的に560名が集まりました!
2018年までに、その数はほぼ倍になりました。2019年には、1,523人もの方々が時間とエネルギーをプロジェクトに注いでくれました。いつも驚かされることがあり、本当にすごいです。毎年参加してくださる方もいます。
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スイセン·キャンペーンのアンバサダーを務めた俳優、バルトシュ·ビェレニア(Bartosz Bielenia)。米国アカデミー賞ノミネート作品『聖なる犯罪者(Corpus Christi)』(2019)で知られる。写真:広報資料/ポーランド·ユダヤ人歴史博物館「POLIN」
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ZB :今ではアンバサダーもいます。2015年から、ポーランドの文化人にキャンペーンへの参加をお願いし、皆さんの力を借りることで、このテーマをより身近に感じてもらおうとしています。たとえば映画監督のアグニェシュカ·ホラント(Agnieszka Holland)や振付師のミハウ·ピルク(Michał Piróg)は、ユダヤ系のルーツを持っています。人気歌手クシシュトフ·ザレフスキ(Krzysztof Zalewski)のお父様は、ワルシャワ·ゲットーが炎に包まれる様子を目撃したのを記憶しているそうです。
NR:街頭のスイセンは、より大規模な啓発運動の一部ですよね。
ZB:はい、そうです。「POLIN」博物館の教育部門は、学校や各団体·機関向けに、ワルシャワ·ゲットー蜂起に関する包括的な教育プログラムを作成しました。
ゲットー蜂起、蜂起指導者、ホロコーストについての授業計画を作成し、文章や映像等の教材や講演会を用意しています。2020年には900近くの機関から問い合わせがありました。
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スイセン·キャンペーンのボランティアを務めたマルタ·スウプスク(Marta Słupsk)とマウゴジャータ·スウプスク(Małgorzata Słupsk)。写真:Dorota Olsztyńska / ポーランド·ユダヤ人歴史博物館「POLIN」
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NR:最後になりましたが、キャンペーン中に、特に感動したり、インスピレーションを得たりしたことはありますか。
JG:それは本当にたくさんあって、思い出せないぐらいです……。でも、多くのボランティアの方々が、このプロジェクトにたくさんの情熱を注いでくださっていることは強調したいです。いつもキャンペーン前にはボランティアの方、一人ひとりにお会いします。皆さんとお話し、それぞれの物語、なぜボランティアに参加するかを聞くこと――これが、準備において1番重要で、感動する部分だと思います。
HC:私がとても感動したのは…… そう、ポーランド南部の町、グリブフ(Grybów)に行った時のことです。町には古いシナゴーグがあり、閉鎖され、板で覆われていました。でも、よく見ると誰かが、色とりどりの手作りのスイセンを、板で囲まれた窓の隙間にはさみ込んでいたのです。このようなエピソードはたくさんあります。
NR:そうなんですね。私はというと、街の通りや地下鉄で、スイセンをつけている人を見ると、それだけで感動します。すぐに自然と笑顔になり、涙があふれてくるのです。
皆さん、お話をありがとうございました。