画家、オブジェクト・インスタレーション作家。1935年東京に生まれる。
1954年―1958年に武蔵野美術大学に在籍し、麻生三郎と山口長男に師事(1958年卒業)。1959年、ポーランドに渡ってワルシャワ美術大学のアルトゥル・ナハト=サンボルスキ(Artur Nacht-Samborski)のもとで学んだ(1966年卒業)。1967年以来、ワルシャワのフォクサル・ギャラリー(Galeria Foksal)が拠点。ワルシャワに住み、活動を続ける。
鴨治晃次の日本の親戚は長年、ポーランド文化と関わりを持ってきた。母方の伯父、梅田良忠と工藤幸雄〔良忠の死後、妻の久代が再婚した相手〕はポーランド文学の翻訳者である。鴨治が大学を卒業し、24歳で日本を離れることを決めた時、行き先はポーランドとなった。後に鴨治の多くの作品にインスピレーションを与えた、親友佐々木の自殺死という悲劇を経験した後のことだった。スエズ運河を経由してポーランドへ至る、船による長旅は鴨治にとって重要な経験となった。水、空と空気の存在、また空間の果てしなさを強く感じた。さまざまな自然の要素とその象徴性は、鴨治の芸術において非常に大きな役割を果たしている。
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僕の作品は、都市計画の仕事と形が似ている。僕にとっても間隔、重さ、質感や背景が重要だ。ただ、僕にとっては、都市計画とは目的が反対である。何か新しいものを作ることではなく、僕たちが忘れてしまった物事や、遠ざかっていく世界を見つけて保存することが大切だからだ。これらの存在を確かなものとするために、その形を見つけたいと願っている。
鴨治が1967年に語ったこの言葉は、彼の芸術全体の意味をもっともよく表している。芸術活動の年月を通して、鴨治は一貫してそれを実現しようと努めてきた。その作品の特徴的な形式は、詩人が移り変わる空気をとらえる俳句の簡素さと短さを彷彿とさせる。
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鴨治晃次。写真:Adam Tuchliński / Reporter
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ワルシャワ美術大学在学中、鴨治は強い色彩とはっきりとした質感を持つ、表現力豊かな油彩画を描いた。その後、彼のキャンバスは形や色彩の点でより簡素で統制され、様式は幾何学的な美学を反映するようになった。1965年、クラクフのクシシュトフォリ宮殿(Pałac „Pod Krzysztofory”)〔クラクフ旧市街の中央市場広場にあるバロック様式の建物で、現在はクラクフ歴史博物館の所在地〕の展示会では、黄の色合いでアーチ状のストライプから成る作品を発表した。ワルシャワ美術大学の卒業制作には《穴のある絵(Dziurawe obrazy)》シリーズを手がけた。その際は生木を用いたレリーフに取り組み、白い塗料でところどころ覆った。これらは薄い箱の形をしたレリーフ絵画で、壁にかけることも床に置くこともでき、箱の上面が絵の表面になっていた。そのうちいくつかの作品《ユーモア(Humor)》、《不明確な動き(Ruch nieokreślony)》、《寺院の壁に(Na ścianę świątyni)》)には穴が作られ、時にそれが黒く縁取られ、空虚さの象徴的な表現と解釈できる。レリーフの表面は凸型のことも、凹型のこともあった。鴨治の白いレリーフは純粋でシンプルな作品で、白地に白い形と黒い線が集中し、思索の雰囲気を表していた。繊細で不規則な配置と捉えどころのない空間の錯覚から生じる、魔法がかった詩的な魅力を放った。
鴨治晃次のレリーフは、古典的なイーゼル絵画から離れて空間へと向かう試みとして成功を収めた。実際、空間は、物理的、形而上学的な意味で、鴨治にとってはもっとも重要な問題となり、それをもっとも完全な形で表現することができる、インスタレーションの形へと彼を導いた。1972年の作品《二つの極(Dwa bieguny)》では始めて石を用いて、それを庭の概念に言及した。ギャラリーの四つの壁には、それぞれ一枚ずつ、ピンク色の枠に入った大きな白い絵が掛けられ、ギャラリーの中央には大きな野石が置かれていた。小さな石は、1980年のシリーズ作品《旅人(Wędrowiec)》にも登場する。鴨治は、石に象徴的な意味を与えており、彼の作品において石はしばしば自然、大地、現実を意味する。1983年の作品《文を始めるときZaczynając zdanie)》では、小さな石が、戦争や死といった実存的な概念や、水や山を表す記号・イデオグラムの書かれた小さな板に重みを与えている。作家はこう語っている:
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石は自然の一部でありながら、同時に私たちの記憶の堆積物でもあり、出来事の証人であり、感情の化石なのです。
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自然は、鴨治の作品の中で空と水の形を借りて現れることも多い。1988年の作品《夏の子ども/オクニンカ(Dziecko w lecie/Okuninka)》では、湖の岸辺に12個のブリキのバケツで円をつくり、それぞれのバケツには水が張られていた。その中には、鴨治が幼い頃に遊んでいたのと同じ、アシの葉で作られた小さな舟が浮かんでいた。
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子供の頃、アシの葉で小さな舟を作っていた。二種類あって、帆のあるものと、ないものがあった。私は、住んでいたちかくの川の岸からそれを流していた。風と流れが、それを遠くへ運んでいった。
バケツの円の中心には鏡が置かれ、そこには作家自身と、パフォーマンスに招かれた小さな男の子の姿が映っていた。象徴的なかたちで、子どもの想像力、そして歳月を経ても私たちの内に生き続ける子ども時代への回帰がなされた。空や水のイメージは、後年の作品でも繰り返し現れる。1993年、鴨治はワルシャワの高層アパート11階にあるエドヴァルト・クラシンスキ(Edward Krasiński)の住居兼アトリエのテラスにて「空の底(Dno nieba)」という展示を行った。作家は、テラスに磨き上げたアルミ板を敷き、その鏡のような表面に空が映り込むように設えた。空を映す試みは、今度は地下水へと向かう。1993年には、レギョノヴォ(Legionowo)のガレリア・ビブリオテカ(Galeria Biblioteka)にて《俳句 “水“(Haiku-woda)》という作品を発表した。展覧会のキュレーターであるステファン・シドウォフスキ(Stefan Szydłowski)の協力のもと、作家は二階分の深さまで井戸を掘り当て、実際に地下水を汲み上げて飲むことができた。図書室の床には井戸に通じる穴が開けられ、地下へと続く縁が設けられていた。井戸の底では水がきらめき、壁には一枚のアルミ板が掛けられていた。
鴨治がしばらくのあいだ描き続けていた白い絵画シリーズは、2005年にフォクサル・ギャラリーで開催された展覧会「白い絵画と海(Białe obrazy i morze)」で発表された。ギャラリーの室内は淡い青に塗られ、その背景の上に、作家は十一枚の白い長方形のキャンバスを吊るした。それにより、絵がまるで海、深くて冷たい水の中に沈んでいるかのような印象が生まれた。その構成には、禅の庭を思わせる小石や、繊細な線、文字、赤い点といったミニマルな記号が添えられており、作品に命を吹き込んでいた。作品のテーマは、作家にとって重要な出来事に関係しており、それは彼自身の伝記的な体験だけでなく、インターネットを通じて知った出来事にも及んでいた。白い背景に描かれた二つの赤い点は、東京で二人の少年が一緒に14階から飛び降りて自殺した事件を表している。また《80歳の男(Osiemdziesięcioletni facet)》という作品は、妻の死後、彼女の遺志を叶えるためにヨットを購入し、太平洋を横断したある高齢男性の物語に感銘を受けて制作されたものである。
鴨治は、自らの作品を配置する空間の特有な雰囲気に注目している。2006年にスタルマフ・ギャラリー(Galeria Starmach)で開催された展覧会「夕方ーー葦舟(Wieczór – łódki z trzciny)」では、音楽的な要素を導入した。日本の楽曲とクレズマー音楽の2曲が交互にループ再生されることで、かつてユダヤ教のシナゴーグであったギャラリーが再び神殿のような、静寂と集中の場へと変容した。床には磨き上げられたアルミ板が敷かれ、動線を示すようにコンクリートの歩道タイルが置かれていた。その光沢のある表面の上には、同じアルミ素材で作られた3艘の舟が浮かんでいた。天井から吊るされた数本のアルミの帯は雨を象徴し、水で満たされた3つのグラスは、鴨治の子ども時代の記憶にある江戸川を想起させるものであった。壁に描かれた青い線は、象徴的に空と大地のつながりを示していた。こうして鴨治によってつくられた詩的な風景画のような空間は、二つの文化の狭間に位置する瞑想的な雰囲気をギャラリーにもたらした。
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自分の過去の時代の一体感のある雰囲気、そしてこのギャラリーがかつて祈りの場だった時代の雰囲気、その両方をつくり出したかったのです。この二つの異なる世界をつなぎたかった。だからこそ、この二つの音楽――ユダヤの歌と日本の笛――を選んだのです。
2008年にフォクサル・ギャラリーで発表された「プルシュクフの絵画」展は、40年以上前にワルシャワ近郊であるプルシュクフで制作されたレリーフや立体作品を集めたものである。鴨治は、リネン、金属、石などの素朴な素材を用い、自然に対する抽象的かつ成熟したアプローチを見せている。展示の中心には、白い背景に鋭く際立つ鉄のアーチ《虹(tęcza)》(1965)が置かれた。黒と白の色調で構成された壁面のレリーフは、合板を彫り込むことで生まれたものであり、ヤロミル・イェドリンスキ(Jaromir Jedliński)はこれらの「彫られた絵画」を、鴨治の「空気と空間を直接感じ取ろうとする試み」の最も完成された形と評している。
2015年にクラクフのオトファルタ・プラツォヴニャ(Otwarta Pracownia)とフォクサル・ギャラリーで開催された展覧会「存在への祈り(Modlitwa do bytu)」では、鴨治のドローイングに、ゴシック建築のヴォールトを思わせる幾何学的な構造と、構成主義的な要素が交錯している。墨で描かれた線は書のように、厳格な形式と個人の筆致が融合している。これらの西洋的抽象は、禅仏教に由来する文化的要素を通して浄化され、初期アヴァンギャルドが重視していた形而上的探求へと再び結びつけられている。
2018年には、鴨治の1960年代から現在までの代表作を紹介していたザヘンタ国立美術館で回顧展「静けさと生きる意志(Cisza i wola życia)」が開催された。本展の当初のタイトルは「あるもの(To, co jest)」であったが、これは、鴨治の現実に対する姿勢──あるがままの世界を受け入れるという、日本文化に特有であると彼が考える態度──を的確に表していると同時に、作家の作品を再文脈化したり、新たな解釈の枠組みを押し付けたり、一部のテーマを強調するようなことを避けた、回顧展の性格にもふさわしいものでもあった。鴨治はここで、個々のドローイングやオブジェ、インスタレーション作品の制作において用いてきた方法を、そのまま展覧会全体の構成に応用し、表現を必要最小限にとどめ、本質的なもののみに集中した。
1950年代後半からポーランドで活動を続け、フォクサル・ギャラリーを中心とする芸術界と深く関わり、ヘンリク・スタジェフスキ(Henryk Stażewski)らと親交を結んだ鴨治の創作は、何十年もの間、西洋モダニズムの伝統と、日本固有の文化、美的カテゴリー、哲学との間を往還してきた。21世紀に入ってからの後期作品では、そうした日本的側面への傾斜がますます顕著となり、長年の距離を経た今、鴨治は源流への回帰をより強く必要としているかのようである。ただし、それはあくまでもポーランドに深く根ざした移民という立場から、意識的に行われている。その象徴的な実践の一つが、ビャウィストクのポドラシェ博物館(Muzeum Podlaskie)とクラクフの日本美術技術博物館“Manggha”( Muzeum Sztuki i Techniki Japońskiej “Manggha”)で開催された展覧会「浮世絵(Ukiyo-e)」での試みである。ここで鴨治は、江戸時代に日本が世界へ門戸を開いた際、西洋、そしてポーランドの芸術家たちをも魅了し、ポスト印象派絵画に大きな影響を与えた木版画の伝統と対話を試みたのである。
鴨治晃次の作品には、出身文化に根ざした「時間は線ではなく円である」という感覚が色濃く反映されている。それは作品の内容だけでなく、制作プロセスにも表れている。1996年のインタビューで彼は、「自分の創作は直線的に発展するのではなく、内奥に向かって掘り下げていくものだ」と語っており、その言葉どおり、時に過去に未完のまま残された作品を、何十年もの時を経て再び取り出し、完成させることもある。ザヘンタで展示されたインスタレーション《静けさと生の意志(Cisza i wola życia)》も、1990年代後半の作品《葦舟(Łódki z trzciny)》の新たな姿として生まれ変わったものである。水面を思わせる床のアルミ板と、スタルマフ・ギャラリーでも使われた歩道タイルの道はそのままに、アルミの舟や雨を示す金属片、音楽は姿を消し、代わりに展示室の隅には作家の日常に実在する車椅子が置かれた。記憶の中の幼少期の情景が徐々に曖昧になり、老いゆく身体を自覚する今、もはやその世界に完全には浸れない。しかし象徴的には、時間軸の両端にある過去と現在がかえって近づいているかのようでもある。展覧会のキュレーター、マリア・ブレヴィンスカ(Maria Brewińska)はこう記している。
水は、すべての現実の基盤となる四大元素のひとつであり、誕生と死、あるいは再生という相反するものを結びつける。水からの浮上は命の誕生を、沈むことはその終わりと原初の無形への回帰を意味する。儀式的な水への没入は、浄化、再生、そして新たな人間としての再出発を象徴するのです。
老いを経験し、その過程を見つめる鴨治晃次は、2018年の視点から1975年の初期作品《通り風(Przeciąg)》にも独自の形で手を加えた。観る者の目の高さに吊るされた、中央に穴の空いた24枚の極薄の和紙は、通り過ぎる人の動きによる空気の流れでかすかに揺れる。この再展示では形を一切変えず、作品のタイトルを《通り風/老年(Przeciąg/Starość)》と改めた。若き日の制作時に一瞬感じた老いの感覚は、歳月を経て現実となり、かつては周縁的だったテーマが今や作品の中心に浮かび上がった。
ポーランドでの多数の個展や回顧展を経て、鴨治はついに故郷・日本で初の個展を開催する。東京のワタリウム美術館で実施される「不必要なもので全体が混乱しないように」(キュレーション:マリア・ブレヴィンスカ)は、60年にわたる創作の軌跡を紹介するものである。
執筆:ピョトル・ポリフト(Piotr Policht)
日本語訳:下村杏奈(Anna Shimomura)、2025年4月