ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ(*コンパニャは「仲間」の意味)(前身はヤヌシュ・プルシノフスキ・トリオJanusz Prusinowski Trio)は、農村音楽家の伝統を学び、発展させながら、独自の表現方法を探求している音楽家集団だ。プルシノフスキ率いるグループのメンバーには、ピョトル・ピシュチャトフスキPiotr Piszczatowski、シュチェパン・ポスピェシャルスキSzczepan Pospieszalski、ミハウ・ジャクMichał Żak、ピョトル・ズゴジェルスキPiotr Zgorzelskiがいる。
セッション
コンパニャの音楽家たちはポーランド中部の農村音楽家に学んでいる。彼らとのセッションは非常に重要で、ここからプルシノフスキ・コンパニャの音楽が生まれている。ポーランド音楽の巨匠直伝の古風なメロディから始めて、即興で演奏を行う。伝統的な表現法を使いながら、独自の音楽を作り出す。常に教わったものを残しつつ、自らの個性も失わない。このようにして事実上、コンパニャは自ら新しい農村音楽家となり、新しい伝統を作っている。そしてこの音楽は近い将来、また新しい音楽家へと引き継がれていくだろう。
そして事はメロディや忘れられた楽器の演奏技術の伝授にとどまらない。教育、共同での音楽の創造は、音楽に基づいた共同体の創造(あるいは再現と言うべきか)でもある。
「メロディの一つ一つに意味があります。農村の巨匠たちがいなければ、私たちはこの意味を知ることはできません。」とヤヌシュ・プルシノフスキはドロタ・シュヴァルツマンDorota Szwarcmanとの会話の中で語っている。「この芸術を土壌から引き抜くのではなく、庭全体を大事にしようと努めています。というのも農村音楽家や音楽の下に集まってくる若い人たちは、独自の方法でその生態系を再活性化するからです。後で地元の人たちがいたく感動して、もう20年も人に会ったり楽しんだりすることがなかった、と言うことがあるんです。それに、新しい状況で新しい文脈も生まれます。都会で、様々な場所から来る人々の間にです。なぜならば、この音楽言語は人の内にある不変のものを表現しているからです。いつでも私たちは繋がりや友情、愛、表現することを求めています。その上に築くことができる。」
楽譜について言えば、ポーランドには民族誌学者オスカル・コルベルクOskar Kolbergの尽力によるアーカイブをはじめ豊富なコレクションがあるが、ピョトル・ピシュチャトフスキはこう語る。
イズミル・ヨーロッパ・ジャズ・フェスティバルのポーランド音楽家from Culture.pl on Vimeo.
コンパニャはポーランドの伝統音楽の枠を超えたセッションを行うこともある。クラシックピアニスト(ポーランド人ピアニストのヤヌシュ・オレイニチャクJanusz Olejniczakと共にショパン音楽の民族的ルーツを紹介)や、ジャズ演奏家(トーマス・スタンコTomasz Stańko、ミハウ・ウルバニャクMichał Urbaniak、アルトゥル・ドゥトキェヴィチArtur Dutkiewicz)、また他の音楽文化を代表する音楽家(アゼルバイジャンの伝統音楽ムガムを代表するAlim Qasimov)らとコラボレーションしてきた。このセッションの性質は、フュージョン(様々な音楽のスタイルを直接融合)というよりは、多種多様な音楽家の間の共通点を探し、関係を築く試みである。
リズム、トランス、ダンス
ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャの音楽に欠かせないもう一つの構成要素は、人間の体に働きかけ、ダンスへと変容させていくリズムだ。トランス体験によく似ている。新しい農村音楽家集団の演目にはオベレクoberek、クヤヴャクkujawiak、ポロネーズ(ポロネス)polonez、ホゾヌィchodzony、そして何と言ってもマズルカ(マズレク)mazurekがある。
「マズルカは何世紀にも渡ってポーランドの名刺代わりで、サロン文化だけでなく大衆文化の中でも機能した。」とプルシノフスキはロマン・パヴウォフスキRoman Pawłowskiとの会話の中で語っている。「マズルカは19世紀にはヨーロッパのタンゴだった。ペアで接近して踊ることができたからだ。(中略)私が感動し、マズルカの虜となったきっかけは、音楽的自由はブルースやジャズの中に探さなくてもいい、マズルカを演奏しながらも即興を行うことができるという発見だった。ジャズと同じようにマズルカはまさに即興のために作られた音楽なのだ。」
ヤヌシュ・プルシノフスキ・トリオ―マゾフシェのチャルコフスキのマズルカMazurek Ciarkowskiego z Mazowsza―ポーランドの伝統舞踊from Culture.pl on Vimeo.
1990年代初頭ヤヌシュ・プルシノフスキはワルシャワのDom Tańca(ダンス・ハウス)の共同創設者の一人となる。ダンス・ハウスは伝統音楽と舞踊の研究、記録保存、そして何より「オリジナルになるべく忠実で、変化を加えない形で」実践していくことを目的とした協会である。民族舞踊の積極的な再興のルーツは1960、70年代に遡り、ダンス活動家たちはヨーロッパ中で設立された同様の機関に刺激を受けた(初期のダンス・ハウスはハンガリーに設立)。2010年からはフェスティバルWszystkie Mazurki Świata / Mazurkas of the World(世界のマズルカ)を共催。合同ダンスやコンサートだけでなく、数多くのワークショップや楽器市Targowisko Instrumentówに観客は参加できる。楽器市にはポーランド各地の弦楽器職人によって作られた伝統的・実験的な楽器が並ぶ。
コンサート:ダンス、一流のコンサートホール、クラブ、フェスティバル
フェスティバル・世界のマズルカ2014 from Culture.pl on Vimeo.
2008年から2012年にかけてトリオはヨーロッパのほぼ各国、アジア、カナダ、アメリカ(ニューヨークのカーネギーホル、シカゴのシンフォニーセンター他)、そして何よりポーランドでコンサートを行った。
ポーランド以外での出演で特筆すべきは世界最大のワールドミュージックの見本市Womexやアメリカでのコンサートツアーだ。ドイツ、フランス、イギリスをはじめとするヨーロッパの国々でも一度ならず演奏を行った。
楽器
ヴァイオリン、木製フルート、ベース、バラバンbaraban(太鼓)、ボルツキBorucki製作のアコーディオン、ショーム、ドラム(太鼓)、ヤキェラシェクJakielaszekのツィンバロム、クラリネット、トランペット、オストロフスキOstrowskiのペダルアコーディオン
ヤヌシュ・プルシノフスキ・トリオ/コンパニャ インターネット情報:公式サイト、Soundcloud、Facebook
出典:報道資料、Politykaポリティカ、Akademia Kolbergaコルベルク・アカデミー、Polskie Radioポーランドラジオ、T-mobile Music、Gazeta Wyborczaガゼタ・ヴィボルチャ、Stowarzyszenie Dom Tańcaダンスハウス協会、Fl執筆
筆者:フィリップ・レッフ Filip Lech
編集:AW、日本語訳:YA、2019年4月