ポーランドの酸っぱいスープの、奥深い話
ポーランドには、「ポーランド人が2人いれば、意見は3つ」と言う古いことわざがある。これはまさに、ジュル(ジュレックとも呼ばれる)と白バルシュチュという、やさしい酸味が特徴の、2種のスープをめぐる論争に当てはまる。議論好きの人が多いポーランドでは、近年、これらのスープをきちんと定義しようという試みがあり、ジュルはライ麦の発酵液を用いたスープ、白バルシュチュは小麦ベースのスープだと主張する人がいる。一方、ジュルは復活祭前の斎戒期に作られる菜食主義のスープ、白バルシュチュは肉・ソーセージ入りで、具だくさんの「高貴なジュル」だと力説する人も。
ジュル(żur)と白バルシュチュ(barszcz biały)についての興味深い、しかしともすれば混沌として底の見えない論争は、これらのスープを現在のポーランドの枠内で考えようとすると、終結に導くのは難しい。歴史的に、ポーランドには多民族国家だった時期があるとともに、第二次世界大戦後、国境の変化に伴って人々が移住したことにより、一口にポーランド料理と言っても、様々な文化の要素が混ざっているからだ。
ハンナ・シマンデルスカ(Hanna Szymanderska)によるポーランド地方料理の本には、個性豊かなバルシュチュが何種類も紹介されている。まず、ベラルーシ風バルシュチュ(barszcz białoruski)は、ライ麦発酵液〔ライ麦粉に水を加えて常温(摂氏20-30度)で乳酸発酵させた液〕を使い、サワークリームを加えた白いスープで、じゃがいもとカッテージチーズを添えて供される。また、美しいバラ色のウクライナ風バルシュチュ(barszcz ukraiński)〔日本でいわゆる「ボルシチ」として知られる〕は、穀物ベースの発酵液ではなく発酵ビーツ〔ビーツの根を常温で塩漬けにして乳酸発酵させたもの〕を用い、牛・豚などたくさんの肉やビーツや人参、玉ねぎを始めとする様々な野菜が入っている。ヴォウィン〔現ウクライナのヴォリーニ Волинь。ポーランド語表記はWołyn〕風バルシュチュ(barszcz wołyński)にも穀物の発酵液は使われず、具はビーツやキャベツなどの野菜である。忘れてはならないのが、〇〇風という説明がつかない基本のバルシュチュ(barszcz)で、これは赤いルビー色が美しい、発酵ビーツの澄んだスープだ。
地図上でこれらのバルシュチュの名前を追っていくと、ずいぶん東へとやってくる。なぜ、ポーランド料理というくくりの中にウクライナやベラルーシ風の料理があるのかと、不思議に思う人もいるだろう。もともとこれらの国は、近世にはポーランド・リトアニア共和国という、広大な王国を構成していた。その名残で、ポーランド文学の創始者とも言われる詩人ミコワイ・レイ(Mikołaj Rej; 1505-1569)や著名な料理人スタニスワフ・チェルニェツキ(Stanisław Czerniecki; 1645-1698)〔大貴族ルボミルスキ家(Lubomirscy)の料理長(kuchmistrz)を務めていた折にポーランド語初の料理書『Compendium ferculorum, albo zebranie potraw(料理大全)』(1682)を執筆〕が描き出す、ルネッサンス期やバロック期のポーランド料理の伝統が、現在のリトアニア、ウクライナやベラルーシの料理の中に見出されることも多い。
その後、ポーランドは18世紀後半にヨーロッパの地図上から姿を消し、第一次世界大戦後に復活を果たすが、第二次世界大戦後、ポーランドの国境線は再び、劇的に変化した。1920年代・1930年代にポーランド領だった東部地域〔「国境地」の意味でクレスィ(Kresy)と呼ばれる〕は、国境の変化によってソ連領に組み入れられた。そのため、この地域に住んでいた多くの人々は、まず1944-46年、次いで1950年代後半の強制移住期間に、戦前にドイツ領だった、新しい国境内のポーランド中央部・西部へと移動させられた。それとともに、彼らの食文化や習俗が、東からもたらされることになったわけだ。
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イースターの食卓。写真: Iwona Burdzanowska / Agencja Wyborcza
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残念ながら、20世紀における人々の移住は、ジュル・白バルシュチュの難問を部分的にしか説明できない。そこで視点をさらに変え、スープの名前にどのような背景があるかを検討しよう。まず、ジュルという名前は、ドイツ語で「酸っぱい」を意味する語「sauer (ザワー)」に由来する。それに対し、バルシュチュは植物の「バルシュチュ」を発酵させて作られた、酸味のあるスープを指す。なんだか複雑なので、後者をさらに説明しよう。バルシュチュ(barszcz)は、英語でホグウィード(hogweed)やカウ・パースニップ(cow parsnip)、日本語ではハナウドと呼ばれる、セリ科の植物〔学名はHeracleum sphondylium〕である。これはリトアニアとルテニア地方〔現在のベラルーシ、ポーランド南東部、ウクライナ西部を含む地域〕に育つ貴重な植物として知られ、16世紀まで、古ポーランド料理ではよく使われていた。バルシュチュの茎・葉や花序を発酵させ、それを用いて作られる酸味のあるスープは、便宜上、そのままバルシュチュと呼ばれていた。次第にバルシュチュは、発酵ビーツによって代用されるようになったのだが、バルシュチュというスープの名前は残り、今日に至る混乱のもとを作ることになった。完璧なまでに酸っぱいスープを作ろうと、近世のポーランド王宮の料理人たちは臆せず様々なレシピを混ぜ合わせて試行錯誤を重ね、スープの名前という、細かいことは気にしなかったのだ。
ヤロスワフ・ドゥマノフスキ、マグダレナ・カスプシク=シュヴリオー著『Kapłony i szczeżuje. Opowieść o zapomnianej kuchni polskiej』。写真:Czarne出版
これらは全て、トルンのニコラウス・コペルニクス大学のヤロスワフ・ドゥマノフスキ(Jarosław Dumanowski)教授によって説明されている。ドゥマノフスキ教授は古いポーランドのレシピを丹念に調べ、17世紀の手稿にジュル=バルシュチュのレシピを発見した。そのレシピには、バイカルハナウドと小麦粉がどちらも主な材料として書かれており、できあがったスープは「斎戒期のバルシュチュ」と呼ばれていたそうだ。ポーランド料理の歴史には、このように事情が込み入った、驚くようなエピソードがたくさんある。古のポーランドから見つけ出された、美味しく興味深いこれらの話は、ヤロスワフ・ドゥマノフスキ教授とマグダレナ・カスプシク=シュヴリオー(Magdalena Kasprzyk-Chevriaux)による雄弁なタイトルの著作『Kapłony i szczeżuje. Opowieść o zapomnianej kuchni polskiej(去勢鶏と淡水2枚貝――忘れられたポーランド料理の物語)』で知ることができる。
とは言え、料理本をちょっと調べただけでは、この問題をとことん深く理解することはできないため、ジュルとバルシュチュの美味しそうな匂いをたどって、現代の台所をのぞいてみよう。おそらく一番良いのは、直接、きちんと味見をすることだろう。現在、ポーランドでは主に2種類のジュルがある。伝統的に復活祭(イースター)前の斎戒期〔四旬節とも呼ばれ、キリストの40日間の断食修行を記念して肉食を避ける風習〕に食される菜食主義バージョンと、祭日や家族に関連する行事(特に結婚式)に供される、リッチなお祝いバージョンだ。特別な日に作られるジュルは、単なるスープというよりは一皿の凝った料理だが、さらに複雑なことに、グローバル文化の影響を受けて「ポーランドのラーメン」と呼ぶ人もいる。リッチなジュルの具はベーコンや蒸した白ソーセージ(biała kiełbasa)で、半分に切ったゆで卵(おそらくラーメンの連想はここから来ていると思われる)が飾られることも多い。時には丸いパンをくり抜いて作ったボウルに入れて出され、その素朴さも魅力だ。ジュルの味を堪能したら、次は白バルシュチュ、赤バルシュチュ、はたまた緑のバルシュチュ(バルシュチュと言えば酸っぱいスープという考えから、スイバのスープが「緑のバルシュチュ」と呼ばれることがある)など、バルシュチュと名がつくスープを片っ端から試してもらいたい。それが完了する頃にはもう、ジュルとバルシュチュについての自分の意見が、ちゃんと形になっているに違いない。ポーランド料理への熱い思いを戦わせる、愛国的な議論クラブへようこそ!
執筆:ナタリア・メントラク=ルダ(Natalia Mętrak-Ruda)、2022年12月20日
日本語訳・編集:柴田恭子(Yasuko Shibata)、2025年1月