2025年 第19回ショパンコンクール――ピアニストの運命を決める審査員たち
2025年 第19回ショパンコンクールで審査員を務めるのは、17名の卓越したアーティスト・研究者。国籍は様々で、過去のショパンコンクールの受賞者も多い。審査員長のギャリック・オールソンは、ピアノ芸術の世界における伝説的な存在だ。各審査員のプロフィールと、それぞれのショパン音楽に対する考えやコンクールでの役割を紹介する。
1927年の第一回ショパンコンクールには、8カ国から26名のピアニストが集まった。コンクール期間中、親戚や主催者の友人など、個人の家に滞在したという。現在から考えると、当時参加者となったピアニストの数は非常に少ない。2025年、第19回コンクールには642名ものピアニストが出願し、162名のピアニストがワルシャワの予備予選で演奏した。10月の第一次予選には84名が出場する。
1927年には14人の審査員がピアニストの演奏を審査した。彼らの主な使命は、ショパンの楽譜に最も近い弾き方をするピアニストを高く評価し、ショパンをどのように弾くかについて議論を始めることだった。言い換えれば、当時流行していた、ショパンの原典とまったく関係ないピアノ演奏法を排除することが目的だった。今回の17名の審査員はフリデリク・ショパン音楽の卓越した演奏や研究で知られ、そのうち多くがかつてショパンコンクールに参加し、成功を収めたアーティストだ。
審査員は、ショパンコンクールのディレクター、国立フリデリク・ショパン研究所(Narodowy Instytut Fryderyka Chopina)所長のアルトゥル・シュクレネル博士(dr Artur Szklener)によって任命され、審査員長は(コンクール・ディレクターの要請に基づいて)ポーランド文化・国家遺産大臣により任命される。審査員団の決定は公開投票で行われ、多数決によって承認される。審査員には、コンクールが終了するまで参加者や予選・本選の各結果について意見を公開しないようにする義務がある。
ギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson, 審査員長)
ピアニスト、1948年4月3日、ニューヨーク州ブロンクスヴィル生まれ。1970年に第8回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールで優勝。ショパンコンクールの歴史上初、また現在まで唯一のアメリカ人優勝者である。まもなく100年を迎えるショパンコンクールの歴史上、ポーランド人でない初の審査員長でもある。
「ショパンコンクールが成功している要素の一つは、テーマが単一であることだと思います」――ギャリック・オールソンは、カミラ・ステンピェン=クテラ(Kamila Stępiń-Kutera)による長編インタビューを書籍にまとめた『Pianista(ピアニスト)』(NIFC 2018)でこう述べ、続けて以下のように語っている。
なんだ、ショパンだけか、と言う人もいるかもしれません。しかし、ショパンを上手に弾くためには、一般的に言って、極めて高度な技術を持っていなければならない。ショパンの曲は、それはそれは、本当に難しいものです。ピアニストの全てを見せ、全てが音に表れます。ただ派手に速く弾けばよいというのではない。洗練されたタッチ、バランスを備え、音の響きをコントロールしなければなりません。音の響きに対する根本的な美の感性が求められます。これは偉大な音楽の大部分にあてはまりますが、ショパンにおいてはこれが欠けていたらもうおしまい、というほど非常に重要です。優れたポリフォニーの感覚、明瞭さ、巧みなペダルコントロール、そしてある種の歌心も求められる。これらの資質を全て備えていれば、きっと優れた音楽家であり、かなりよいピアニストでしょう。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ギャリック·オールソン。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
garrick_ohlsson.jpeg
ジョン・アリソン(John Allison)
音楽批評家、編集者、音楽学者。1965年、南アフリカのケープタウンに生まれる。1989年にロンドンに移り、『タイムズ』誌(1994-2005)と『サンデー・テレグラフ』誌で批評家として活動し、2014年から『ザ・テレグラフ』誌に寄稿。2000年から英国の月刊誌『Opera Magazine』の編集長を務める。ショパンコンクールの審査員となるのは初めて。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ジョン・アリソン。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
john_allison.jpeg
ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva)
1985年7月3日、モスクワ生まれ。2010年の第16回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールで優勝。ショパンコンクールで女性が第一位に輝いたのは、1965年、マルタ・アルゲリッチが優勝して以来のことだった。
「ショパンの音楽を説明するのは難しい」と言うアヴディエーヴァ。米国アトランタ・ショパン協会とのインタビューにおいて、次のように述べている。
彼の音楽には明確な構成があります。バッハとモーツァルトを深く敬愛していたことはよく知られています。この明快な形式にいつも魅了されます。一方で、ショパンの作品は即興性が特徴です。彼の音楽を演奏していると、メロディが心や精神からそのままあふれ出てくるように感じます。〔……〕彼の作品を弾いたり取り組んだりするたびに、いつも新しいことが起こります。彼の音楽がこの上なく豊かで、尽きることがないからです。弾く度に、新しいメガネをかけ、異なる視点でものごとを見るような、本当に特別な経験です。このおかげで非常に細かい部分の一つ一つ、また新たな色を発見し、それらを楽しむことができます。
ユリアンナ・アヴデーエワ 。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
ミシェル・ベロフ(Michel Béroff)
ピアニスト、指揮者、教育者。1950年、フランスのエピナルに生まれる。第16回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールで優勝した韓国出身のチョ・ソンジンは教え子の1人。ショパンコンクールの審査員を務めるのは今回が初めて。
自身が31歳の時、ベロフは『ニューヨーク・タイムズ』誌で以下のように述べている。
前世紀と同じようにショパンを弾くと、なんとなく違和感がある。私がマウリツィオ・ポリーニをとても尊敬しているのはそのためです。彼は素晴らしいピアニスト、偉大な音楽家であると同時に、並外れた思想家でもあります。その演奏方法は現代に深く根ざしていながら、様式的には原典に忠実で、全てがあるべきところに収まり、調和しています。ポリーニを聴くのはつまらないと言う人もいる。完璧すぎると感じるからです。彼の演奏は、全てを崇高なレベルに導きながらなお、あたたかみがあります。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ミシェル·ベロフ。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
michel_beroff.jpeg
サ・チェン(Sa Chen)
1979年、重慶に生まれる。2000年、第14回ショパンコンクールで4位入賞し、フリデリク・ショパン協会によるポロネーズ賞を受賞。コンサートピアニストとしてのキャリアを教育・社会活動と両立。2021年に第18回ショパンコンクールの審査員を務める。
ショパンの音楽を弾き始めたのは9歳頃で、それ以来、彼の作品は常に私の人生と成長の道のりに寄り添い、ともに歩んできました。その後もちろん、ショパン国際コンクールがあり、彼の音楽とショパンという人間に、より近づくことになりました。近しい親友になったような気がしたのです。
ボジェナ・U・ザレンバ(Bożena U. Zaremba)との対談でこう語った。
Picture display
standardowy (864px desktop)
サ·チェン 。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
sa_chen.jpeg
海老彰子
1980年、第10回ショパンコンクールにおいて、今回のコンクールの審査員でもあるエヴァ・ポブウォツカと同位で第5位を獲得。1953年大阪生まれ。2015年と2021年の2回、審査員を務めている。
「ショパンコンクールはピアニストにとって、大変重要な第一歩となります」――キンガ・A・ヴォイチェホフスキ(Kinga A. Wojciechowski)とのインタビューで海老はこう述べている。
これは成長のためです。重要なのはピアニストたちが経験する瞬間で、なにかのラベルを得るためではありません。もちろん優勝者、第2位・第3位入賞者、そしてショパンコンクールで演奏し存在感を示すことのできたピアニストにとってはキャリアとなります。けれども1番重要なのは、自分らしくあること。もし若いピアニストが本当に音楽を愛しているのであれば、このコンクールに参加するべきです!
Picture display
standardowy (864px desktop)
Picture image
akiko_ebi.jpeg
ネルソン・ゲルナー(Nelson Goerner)
1995年、第13回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールの本選に出場、表彰台に上ることはなかった。1969年、アルゼンチンのサン・ペドロに生まれる。2010年と2015年の2回、ショパンコンクールの審査員を務める。
「自分自身、コンクールには複雑な思いを抱いています」――デヴィッド・スミスとのインタビューでゲルナーは言う。
審査の過程は、明確な芸術的基準に基づいてのことではなく、「排除していく」だけのことが非常に多いです。この安易な罠にひっかからないようにすることが各審査員の義務となります。このコンクールを本当に特別なものにするため、私たちが心に留めておくべき目的は、自分のエゴや利害、好みなどを切り離し、真の個性、真の才能を見出すことです。皆を優勝させるというのではありません。第2位入賞者や、別のピアニストが大きく注目されることも多いのです。
クシシュトフ・ヤブウォンスキ(Krzysztof Jabłoński)
1985年、第11回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールで3位入賞。2005年と2021年の2回、審査員を務める。
「私がキャリアを積む上でもっとも重要だったのはショパンコンクールです。あの瞬間から全てが変わりました」――ゾフィア・ストピンスカ(Zofia Stopińska)とのインタビューでこう語る。「他のコンクールの賞は自分の『満ち足りない』気持ちから獲得しました。満足できず、常に1位を取るのが夢だったからです。他の主要なコンクールにも参加したのはこのためで、さまざまなコンクールに向けて準備をすることで、他の作曲家の音楽を学びました。」
Picture display
standardowy (864px desktop)
クシシュトフ·ヤブウォンスキ 。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
krzysztof_jablonski.jpeg
ケヴィン・ケナー(Kevin Kenner)
ピアニスト、教育者。1963年、カリフォルニア州コロラド生まれ。ワルシャワに初めてやってきたのは1980年、第10回コンクールの時で、17歳だった。本選には出場しなかったが、文化・芸術省から特別賞を授与される。その10年後、第12回ショパンコンクールにおいて第2位(1位なし)に表彰されるとともに、最優秀ポロネーズ演奏賞を受賞。2010年と2021年の2回、ショパンコンクールの審査員を務めた。
「ショパンは、個性と極端な表現を追求した、同時代のロマン派作曲家たちの原則には従いませんでした」――米国アトランタ・ショパン協会のボジェナ・U・ザレンバとのインタビューでケナーはこのように述べている。
ショパンは濁りのない音とバランスのとれた構成という、古典派の価値により大きな関心を抱いていました。また、当時の初期ロマン派のイタリア・ベルカント・オペラにも興味を持っていました。ベルカント(Belcanto)〔「美しい歌」を意味する〕は劇場全体を満たす力任せの大きな音ではなく、精緻で繊細なフレージング、美しくコントロールされた歌唱を重視します。ここで自分の個性を主張しすぎると、ショパン音楽の基本的な美的価値の一つを損なう可能性があります。
児玉桃
1972年大阪生まれ。19歳でARDミュンヘン国際音楽コンクールで最年少の最高位受賞者となる。2021年にカールスルーエ音楽大学の教授に就任。現在はパリとカールスルーエ双方が活動の拠点。
Picture display
standardowy (864px desktop)
Picture image
momo_kodama.jpeg
ロバート・マクドナルド(Robert McDonald)
アメリカのピアニスト・教育者、1951年生まれ。教え子にアイスランドの音楽家ヴィキングル・オラフソン、アメリカ人のアンドリュー・タイソン、韓国のパク・チェヨンなどがいる。2015年第17回コンクールで3位と4位をそれぞれ受賞し、聴衆によく知られたピアニストであるケイト・リュウとエリック・ルーも指導。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ロバート·マクドナルド。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
robert_mcdonald.jpeg
ピョトル・パレチニ(Piotr Paleczny)
ポーランド人ピアニスト。1970年第8回コンクールで3位に入賞し、最優秀ポロネーズ演奏賞およびコンクール審査員の1人だったヴィトルト・マウツジンスキによる特別賞を受賞。真に経験豊かな審査員で、1985年第11回ショパンコンクールから8度にわたり、続けて審査員を務めている。
非常に優れたアーティストが輝かしいキャリアを築くことができず、それより若干劣るアーティストが成功しているケースは、審査員の間で幾度も目にしていますし、それについて議論もしています。なんというか、芸術においても、マーケティングが支配的な要素になっている時代です。
エヴァ・リンコフスカ(Ewa Linkowska)とのインタビューでピョトル・パレチニはこのようにコメントし、次のように続ける。
これは仕方がありません。専門家には自分の意見がありますが、聴衆は「Xというピアニストが素晴らしい」という言葉を100回ほど繰り返し読んだり聞いたりすれば、最終的にはそれを信じてしまいます。メディアの力とはそういうものです。私がキャリアを始めた頃は全く違っていました。パスポートは手元になく、海外のコンクールに参加するには省庁と選考委員会の許可が必要でした。今日の若い音楽家は音楽イベントやオーディション、コンクールや音楽祭など、才能を披露する機会がたくさんあります。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ピョトル·パレチニ。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
piotr_paleczny.jpeg
エヴァ・ポブウォツカ(Ewa Pobłocka)
1980年第10回ショパンコンクールで5位入賞したポーランド人ピアニストで、ポーランド・ラジオ編集部による最優秀マズルカ演奏賞に輝く。これまでにショパンコンクール審査員を3回務める。2005年の第15回コンクールが最初で、第17回(2015)と第18回(2021)も審査を行う。
「ショパンがとても難しいのは、美しく歌うような音、そして非常に多様な音を出すことを求められるからです。これは大きな形式の作品だけでなく、小品にも表れます」――エヴァ・ポブウォツカはブロニスワフ・トゥミウォヴィチ(Bronisław Tumiłowicz)とのインタビューでこう述べている。
ショパンの演奏ではルバートの巧みさとともに、非常な繊細さと軽やかさが求められます。だからといって非常に静かな、小さい音で弾かなければいけないというのではない。壮大でドラマチックな勢いのよさを披露できる部分もあります。繊細さ、新鮮さ、自然であることと同時に、技術面での完璧な準備が必要です。
Picture display
standardowy (864px desktop)
エヴァ·ポブウォツカ。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
ewa_poblocka.jpeg
カタジナ・ポポヴァ=ズィドロン(Katarzyna Popowa-Zydroń)
1948年、ブルガリアのソフィアに生まれる。1975年の第9回ショパンコンクールで第三次予選に出場。当時、ピョトル・ヴィエジュビツキ(Piotr Wierzbicki)はこう書いている:「ショパンコンクールの本選に、ポポヴァ・ズィドロンが出場しない。ポーランド人女性ピアニストのうち、教師の言う通りだけでなく自分で考えて弾く、唯一の聡明な参加者だというのに。」第17回・第18回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクールの審査員長を務め、2010年の第16回コンクールでも審査員を務めた。
「ドゥシュニキ・ズドゥルイでグリゴリー・ソコロフのコンサートを聴きました」――ピアニストはテレサ・トランスカ(Teresa Torańska)にこう語った。
この上なく素晴らしい演奏でした。彼は弾き終わり、立ち上がって、聴衆にお辞儀をし始めましたが、まだちょっとこちらの世界に戻ってきていないようでした。私は居心地が悪くなり、なんて奇妙な儀式なんだろう、と思いました。私たちはここで椅子にでんと座っているのに、アーティストがこちらに向かって頭を下げている。、私たちが立ち上がって彼にお辞儀をし、お礼の気持ちを伝えるべきで、彼が私たちにではないのです。
カタジナ・ポポヴァ=ズィドロン。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
ジョン・リンク(John Rink)
フリデリク・ショパンと彼の音楽の演奏方法の歴史をテーマにした本の著者、ショパンの手稿譜と出版譜の分野における第一人者の一人。ケンブリッジ大学教授。著書にショパンのピアノ協奏曲に関するモノグラフ『Chopin: The Piano Concertos(ショパン――ピアノ協奏曲)』(1997, ポーランド語版:Chopin, Koncerty fortepianowe, アレクサンデル・ラスコフスキ訳)等がある。2015年と2021年、第17回・第18回ショパンコンクールの審査員を務めた。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ジョン·リンク。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
john_rink.jpeg
ダン・タイ・ソン(Đặng Thái Sơn)
第10回ショパンコンクール(1980)優勝者、アジア出身者として初めて最高位の賞を獲得。1958年ハノイに生まれる。2005年の第15回コンクールから4度にわたってショパンコンクールの審査員を務めている。
エリジャ・ホー(Elijah Ho)のブログ「The Counterpoints」でのインタビューで次のように述べている。
8歳か9歳の頃、私たちはまだ山〔ヴェトナム戦争で一家が身を隠していたところ〕に住んでいました。ショパンの音楽との最初の出会いを覚えています。私は母と一緒にいて、暗闇で、ろうそくの明かりの下、彼の楽譜を静かに読んでいました。その時、母がノクターンとマズルカの一部を弾いてくれたのです。この音楽の美しさを感じてすぐに恋に落ち、朝から晩までショパンを学ぶようになりました。その頃から、ショパンの音楽は私の血の中に流れています。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ダン·タイ·ソン。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
dang_thai_son.jpeg
ヴォイチェフ・シフィタワ(Wojciech Świtała)
1990年のフリデリク・ショパン国際ピアノコンクールで最優秀ポロネーズ演奏賞を獲得。ショパンコンクールの審査員となるのは今回で3度目。
「ショパンの作品はいつも私とともにあります。始めは現代のピアノ、のちにはピリオド楽器を探究するようになり、教育活動にたどり着きました。このおかげで、彼の音楽をh広い視野で見ることができます」――ポーランド・ラジオ第2放送でこう語った。
Picture display
standardowy (864px desktop)
ヴォイチェフ·シフィタワ。写真:ショパン国際コンクール主催者提供
Picture image
wojciech_switala.jpeg