KROKEは1992年、クラクフ音楽アカデミーを卒業した3人の仲間によって結成された。KROKEはユダヤの伝統に深く根ざした音楽から始め、バルカン音楽の影響を強く受け、のちに東洋とインドの音、ジャズと世界音楽の要素も取り入れ、独自のスタイルを生み出した。
KROKE:
- イェジー・バヴォウJerzy Bawoł – アコーディオン
- トマシュ・ククルバTomasz Kukurba – ヴィオラ
- トマシュ・ラトTomasz Lato – コントラバス
協力:
- トマシュ・グロホトTomasz Grochot – パーカッション
KROKE(イディッシュ語でクラクフの意)は1992年、クラクフ音楽アカデミーを卒業した3人の仲間、イェジー・バヴォウJerzy Bawoł(アコーディオン)、トマシュ・ククルバTomasz Kukurba(ヴィオラ)、トマシュ・ラトTomasz Lato(コントラバス)によって結成された。グループのメンバーは、ジャズや現代音楽を含む標準的な音楽教育を修めている。KROKEはユダヤの伝統に深く根ざした音楽から始め、バルカン音楽の影響を強く受け、のちに東洋とインドの音、ジャズと世界音楽の要素も取り入れ、独自のスタイルを生み出した。
最初はクラクフの旧ユダヤ人地区カジミエシュにあるクラブやギャラリーでのみ演奏を行なっていた。ここだけでKROKEの音楽を聴けたのである。その後1993年に最初のカセットを録音、自費でリリースした。ギャラリー・アリエルArielで演奏していた時、クラクフで『シンドラーのリスト』を撮影していたスティーブン・スピルバーグの目に留まる。スピルバーグは映画の最後のシーンを撮影するエルサレムにKROKEを招いた。KROKEはオスカー・シンドラーのリストによって戦争を生き延びた人々のために、サバイバーズ・レユニオンSurvivors Reunionでコンサートを行った。
スピルバーグはKROKEのカセットのコピーをピーター・ガブリエルPeter Gabrielに送り、1997年ピーター・ガブリエルはKROKEをウォーマッドWOMADフェスティバルに招待した。聴衆はKROKEと彼らのデビューアルバム『Trio』(1996)を歓迎した。Real World Studioではピーター・ガブリエルと共同レコーディングセッションを行った。ピーター・ガブリエルはこの時の収録の一部を、フィリップ・ノイスPhilip Noyce監督映画『裸足の1500マイルRabbit-Proof Fence』のサウンドトラック『Long Walk Home』にも収録している。
1997年KROKEは二枚目のアルバム『Eden』をリリース。『Trio』に見られたユダヤの伝統音楽を継続する一方、音楽と過去の探索の成果にもなっている。伝統装飾と現代技術が組み合わされ、伝統的なモチーフは現代音楽の感受性と組み合わされて、全く新しい音色が生まれた。このKROKEの第一期の活動は、ライブアルバム『Live At The Pit』(1998)によくまとめられている。このアルバムはイギリスで録音され、ドイツのレコード評論家賞の候補となった。
有名なヨーロッパのフェスティバルへの参加や、大勢の音楽家、芸術・文化界の人々との有意義な交流のおかげで多くのコンサートツアーが実現した。こうした交流とコンサートによって、KROKEは音楽文化と新しい音楽の源流を見つけることができた。新曲では、ユダヤ音楽やバルカン音楽からの影響を残しつつ、セファルディム、アラブ、またインドの音楽を扱うことも多くなっている。次のアルバム『The Sounds of the Vanishing』(1999)ではKROKEの音楽の進化と、音楽家としての独自のスタイルを創造する能力が証明された。同アルバムはポーランドとヨーロッパで絶大な人気を博し、2000年にドイツレコード評論家賞(Preis der Deutsche Schalplattenkritik)賞を受賞した。
2001年夏、コーンウォールでのコンサートツアー中、KROKEはナイジェル・ケネディNigel Kennedyと出会う。ナイジェル・ケネディはすぐにKROKEに共演を申し出た。その結果、ジョイント・アルバム『East Meets East』(2003)が生まれ、大成功を収めた。KROKEは英BBC 3ラジオ賞のワールドミュージック部門の候補となり、ナイジェル・ケネディと共演した数々のヨーロッパ音楽フェスティバルのコンサートは聴衆に熱狂的に受け入れられた。同じ頃、KROKE単独のアルバム『Ten Pieces to Save the World』(2003)をリリース。旋律の美しい、独特の雰囲気を持ったこのアルバムは「the World Music Charts」の二位を獲得し、KROKEの十年の音楽活動で一番の快挙となった。
2004年、KROKEはラジオ・クラクフRadio KrakówのS-5スタジオで、コンサートアルバム『Quartet - Live At Home』を録音、発売した。レコーディングにはクラクフのジャズ・パーカッショニスト、トマシュ・グロホトTomasz Grochotが参加し、それ以降彼はKROKEと共に録音、演奏をしている。2005年にはジャズピアニストのクシシュトフ・ヘルジンKrzysztof Herdzinと共に、エディタ・ゲペルトEdyta Geppertのアルバム『Śpiewam życie』(2006)を制作した。このアルバムはKROKE所属のレコード会社Oriente Musikからも『I Sing Life』のタイトルで、西ヨーロッパで発売された。同時期に、シンフォニア・バルティカ・オーケストラSinfonia Baltica Orchestraと共同で音楽プロジェクトを手がけている。2006年KROKEの曲の一つがデヴィッド・リンチDavid Lynch監督の映画『インランド・エンパイアInland Empire』に使用された。
ナイジェル・ケネディやエディタ・ゲペルトと共演しても、KROKEは自分たちのファンを忘れることはない。2007年ヨーロッパ各地で行った約四年間のコンサートツアーに続き(そしてKROKE結成15周年記念日に)『Seventh Trip』をリリースした。エネルギーあふれるアルバムであり、新しい音楽を辿る旅である。
著者:Marek Romański{C}、2009.01
日本語訳:YA,2017.12
KROKEのサイトはこちら: www.kroke.krakow.pl