ポーランドのおやすみ前の名作子ども番組
勇敢な冒険家に発明家、謎めいたスパイ、優しいクマちゃんに民俗学者の女の子。ポーランドのテレビアニメ『Bolek i Lolek(ボレクとロレク)』誕生50周年を記念して、ポーランドのおやすみ前の名作子ども番組に出てくる登場人物たちを振り返ってみよう。
2013年9月の初めをもって、子ども番組『Wieczorynka(お話の夕べ)』がポーランド放送TVP1から姿を消す。だからといって、それがポーランド名作アニメーション番組の終わりを意味するわけではない。近年の作品は、同じくポーランド放送の別チャンネルTVP Kultura(TVPカルチャー)に移行する。どうやら今日では、昔のアニメ番組を見るのは、もはや最年少の子どもではなく、少し年を取った人たちであり、古い「おやすみ前の番組」はセンチメンタルな旅をする機会となっているようだ。
まさに彼らこそが、冒険を求める子どもたちをテレビの前に釘づけにして、数十年の間、数世代にわたるポーランド人を育て上げてきたのだった。
『Jacek i Agatka(ヤツェクとアガトカ)』
こちらが、ポーランドの子ども番組のアダムとイブ、そして『コラルの探検』のコラルや『おやすみ、クマちゃん』のウシャテク、『まぬけなヤギさんのおかしなぼうけん』のヤギさんに犬のレクショら、みんなの祖先ともいうべき番組だ。下手なメイクをした二つのピンポン玉のように見えるかもしれないが、1962年10月2日、ポーランド国営放送(Telewizja Polska)を見ていた子どもたちには、そんなことは全く気にならなかった。『Tadek niejadek(たべるのイヤイヤ、タデク)』などの作品を書いたポーランドの児童文学作家、ヴァンダ·ホトムスカ(Wanda Chotomska, 1929-2017)によって生み出された『Jacek i Agatka』は、子どもたちを楽しませ、いろいろなことを教え、ポーランドの子ども番組に登場するほかのキャラクターたちのために道を切り拓いたのだった。
『Bolek i Lolek(ボレクとロレク)』
実は本当の名前はロマン(Roman)とヤツェク(Jacek)で、ビェルスコ=ビャワ·アニメーション映画スタジオ(SFR)のディレクター、ヴワディスワフ·ネフレベツキ(Władysław Nehrebecki, 1923-1978)の息子たちだった。映画作品中のコンビとしては、ポーランドで最も人気のあるコンビの一つを生み出した人物こそネフレベツキであり、戦前の俳優アドルフ·ディムシャ(Adolf Dymsza, 1900-1975)主演映画『Bolek i Lolek(ボレクとロレク)』へのオマージュとして、少年たちの名前をボレクとロレクに変更したのだった。
この少年たちの冒険は、1962年から24年間(シリーズの制作は1986年に終了)、世界80か国で放映された。1973年には、この兄弟二人に活発な少女トラ(Tola)も加わったが、わずか30話でボレクとロレクの世界を去ってしまった。
レクショ(Reksio)はポーランド人民共和国時代、シャリク(Szarik)(訳注:1966年~1970年に放映されたポーランドのテレビドラマ『Czterej pancerni i pies(4人の戦車兵と犬)』に登場する犬)に次いで最もよく知られた動物キャラクターだった。このアニメのオープニングで流れるメロディーは、子どもたちを磁石のように引き寄せた。心優しいレクショは1967年、ビェルスコ=ビャワ·アニメーション映画スタジオで、アニメ映画監督のレホスワフ·マルシャウェク(Lechosław Marszałek, 1922-1991)によって生み出された。レクショは1990年まで、幼い視聴者たちに、程度の差こそあれ、なりたい職業についてヒントを与えてくれた。レクショ自身が、多言語話者や消防士、登山家や宇宙飛行士、合理化推進者(!)や歯科医など、様々な職業に就いていたのだから。
『Miś z okienka(窓際のクマちゃん)』
「それでは、子どもたち、クマちゃんのおしりにキスしてやりなさい」――かつてのおやすみ前の番組で、クマちゃんと並んで主役を務めていた俳優ブロニスワフ·パヴリク(Bronisław Pawlik, 1926-2002)は、もうテレビカメラが回っていないと思い、こんなことを言うところだったという。このスキャンダラスな失言の話は、『Miś z okienka』に第二の人生をもたらし、パヴリクを伝説的な存在にした。このことがなければ、1958年から1973年までの間、年配の男性(パヴリクに次いで俳優スタニスワフ·ヴィシンスキ(Stanisław Wyszyński, 1932-2012)が演じた)と子ども向けの読み物について語り合っていた、この心優しいぬいぐるみのことを覚えている人はあまりいなかったことだろう。
『Dziwne Przygody Koziołka Matołka(まぬけなヤギさんのおかしなぼうけん)』
少年少女向けの作品も多く残した小説家、コルネル·マクシンスキ(Kornel Makuszyński, 1884-1953)によって生み出されたこの主人公は、あまり多くは話さず(「メェー」という金切り声を出すだけ)、特に賢いというわけでもなかったが、ほとんど誰もが知っていた。ひげを生やしたこの放浪者は、1969年から1971年にかけて、伝説のパツァヌフ(Pacanów)を探し求め、その道中で次々と新たなトラブルに巻き込まれながら、世界をさまよっていた。
『Pomysłowy Dobromir(発想力豊かなドブロミル)』
「神に選ばれし者は若くして死ぬ」。発想力豊かなドブロミルは、わずか2年しか生きなかったが、その間にどれだけの発明品を生み出したことか ――考えただけでも恐ろしくなる。1973年から1975年の間、赤毛の少年が全20話からなる10分間のテレビアニメ番組の主人公となった。
ドブロミルは、アニメ映画監督ロマン·フシュチョ(Roman Huszczo, 1930-2015)とポーランドDIYの第一人者アダム·スウォドヴィ(Adam Słodowy, 1923-2019)の「子ども」だった。だから、この田舎の少年が、無駄な旅や子どもじみた冒険に時間を割くより、毎日の家事を楽にしてくれる新しい道具を考え出していたのも不思議ではない。
『おやすみ、クマちゃん(Miś Uszatek)』
ポーランド人民共和国時代の有名キャラクター。リーダー兼社会活動家であり、うさちゃん、ぶたちゃん、のうさぎちゃんたち、そしてワンちゃんと一緒に作った仲良しグループのリーダーでもある。「垂れ耳」がこのクマちゃんのトレードマークではあるけれど、元々は、耳は垂れてなどいなかった(訳注:原作の邦訳は『こぐまのウシャテク』(ふるやのりこ訳、エデン、2007年)だが、“ウシャテク(Uszatek、“おみみちゃん”の意)”という名前は左耳が垂れていることから付けられた)。
パペット・アニメーション『おやすみ、クマちゃん』の一場面、ルツィヤン・デンビンスキ(Lucjan Dembiński)監督、1962年、写真:Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
子ども向け雑誌『Miś(クマちゃん)』を抜け出して銀幕に初めて登場したのは、1957年のことだった(その5年後、ウシャテクを主人公とした最初の映画が制作された)。
1975年からはテレビスターとなり、全104話からなる人形アニメシリーズに出演した。ポーランド放送だけで、ウシャテクの冒険は10回も放送された。ウシャテクはカナダ、イラン、スロベニア、オランダ、日本、フィンランドなど、22か国の子どもたちに知られている。
『Porwanie Baltazara Gąbki(バルタザール·ゴンプカのゆうかい)』
テレビアニメ『バルタザール・ゴンプカのゆうかい』、ヴワディスワフ・ネフレベツキ監督、配給:CRF
カラーーンバ!!!(訳注:「カランバ」はスペイン語で、驚いた時に使われる表現)こちらがポーランド初のアニメーション·スパイドラマだ。誘拐された学者(バルタザール·ゴンプカ(Baltazar Gąbka))、闇の帝国、「ドン·ペドロ·デ·ポミドーレ(Don Pedro de Pommidore)」というコードネームを持つ、どこにでも現れるスパイ、そして忘れてはならないのが ――ヴァヴェルの竜と勇ましい料理人、緑のパセリを紋章とするバルトリーニ·バルトウォミェイ(Bartolini Bartłomiej)の二人で構成された英雄的な探検隊。
当時、コスタ=ガヴラス監督が傑作『Z』でアカデミー外国語映画賞を受賞したが、ポーランドでは『バルタザール·ゴンプカのゆうかい』こそが、1969年~1970年期に最も人気を博したスリラーだったのかもしれない。
『コラルの探検(Przygody Misia Colargola)』
フランスのプロデューサーで、『生命の科学ミクロパトロール』などのアニメを手掛けたアルベール·バリエ(Arbert Barillé, 1920-2009)は、フランスの作家オルガ·プシヌ(Olga Pouchine)の童話をテレビ向けの作品にしようと思い立つと、その話をポーランドの制作会社セ·マ·フォル(Se-Ma-For)スタジオに打診した。
パペット・アニメーション『コラルの探検』より『船の仕事はつらいなぁ(Colargol marynarzem)』の一場面、ヤニナ・ハルトヴィク(Janina Hartwig)監督、1970年、写真:Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
ここでは、人形アニメーションの巨匠タデウシュ·ヴィルコシュ(Tadeusz Wilkosz, 1934年生まれ)指揮の下、クマのコラルを主人公とした全53話からなるテレビシリーズが制作され、1970年代には、アメリカ、カナダ、イスラエル、ノルウェー、オランダ、さらにはアフガニスタンに至るまで、世界各国の子どもたちの心を掴んだ。
『Przygód kilka wróbla Ćwirka(スズメのチュンのぼうけん)』
テレビアニメ『スズメのチュンのぼうけん』の一場面、アンジェイ・ピリチェフスキ(Andrzej Piliczewski)監督、写真:Filmoteka Narodowa, www.fototeka.fn.org.pl
そのスズメはコウノトリの巣に住んでいて、いつもトラブルに巻き込まれ、画面からは俳優ヤン·コブシェフスキ(Jan Kobuszewski, 1934-2019)の声で話していた。スズメのチュン(Ćwirek)は、ウッチの制作会社セ·マ·フォル(Se-Ma-For)スタジオで誕生し、1983年から1989年の間、ポーランドの子どもたちにとって、他の鳥類の習性について教えてくれる、国内鳥類学の最も重要な専門家となった。
『Wędrówki Pyzy(プィザのたび)』
ポーランド初の民俗童話。田舎のおかみさんがこねてできた小さなプィザ(訳注:ポーランドのダンプリング)が、広い世界へ旅立とうと、お皿から逃げ出す。世界中というわけではないが、プィザの旅はポーランドの道程をたどる。1977年~1983年に制作された全13話の中で、プィザは幼い視聴者にその土地の伝統や馴染みのあるメロディーを紹介しながら、ポーランドの様々な地域を訪れた。
『Opowiadania Muminków(ムーミン一家物語)』
パペット・アニメーション『ムーミン一家物語』より『Lunapark(遊園地)』の一場面、ヤドヴィガ・クドジツカ(Jadwiga Kudrzycka)監督、1982年、写真: Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
ムーミン一家に関する映画はたくさんあったが、ポーランドで一番有名だったのは、ウッチで制作されたものだ。1977年~1982年に有名な制作会社セ·マ·フォル·スタジオで、心優しいムーミン一家、ロマンチックなスナフキン、リトルミイ(ちびのミイ)、そして……モランが登場する全78話のシリーズが作られた。
その後何年も経ってから、このパペット·アニメーション各話のシーンを編集して、4本もの長編映画が制作された。テレビシリーズ版は1980年代にはイギリスのテレビ局により放送されていた。
『Przygody gąski Balbinki(ガチョウのバルビンカのぼうけん)』
バルビンカはポーランドテレビ界の先駆者であり、最初のテレビスターの一人(一羽?)であった。ガチョウのバルビンカ(Balbinka)と派手に着飾った友達のプティシ(Ptyś)は、1950年代の終わりから子どもたちを楽しませていた。当時、『Przygody gąski Balbinki』はアニメーション映画というより、イラスト付きのラジオドラマのようだった。――生き生きと動き回るキャラクターの代わりに、絵のコマが現れ、画面の外でセリフが語られていたのだ。あとは、子どもたちの想像力に委ねられていた。3D技術も超リアルなコンピュータアニメーションもなかった時代のことだった。
『Zaczarowany ołówek(まほうのえんぴつ)』
テレビアニメ『まほうのえんぴつ』より『Marynarski chrzest(船乗りの洗礼)』の一場面、アンジェイ・ピリチェフスキ(Andrzej Piliczewski)監督、1976年、写真:Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
かつて、誰もがこんな鉛筆を欲しがったものだ。魔法の鉛筆。これさえあれば、描いたもの全てが現実のものとなる。幼稚園児が抱えるたくさんの悩みを解決できたことだろう。
13年間(1964年~1977年)で、金髪の少年と愛らしい犬、そして次々と新しい魔法の鉛筆をこっそり届けてくれる小人の物語、全39話が制作された。
『Przygody kota Filemona(ネコのフィレモンのぼうけん)』と『Dziwny świat kota Filemona(ネコのフィレモンのおかしなせかい)』
テレビアニメ『ネコのフィレモンのぼうけん』の一場面
こちらがポーランド発おやすみ前の番組の陰と陽だ。真っ白なフィレモン(Filemon)と真っ黒なボニファツィ(Bonifacy)。フィレモンは子どもで天真爛漫、ボニファツィは大人で怠け者。1972年から9年にわたって年老いた主人たちを困らせながら、世界を探検した。
テレビシリーズ全39話のほかに、『Filemon i przyjaciele(フィレモンと仲間たち)』、『Gwiazdka kota Filemona(ネコのフィレモンのクリスマス)』、『Kocia Wielkanoc(ネコのイースター)』という3本の映画も制作された。
『Mały Pingwin Pik-Pok(小さなペンギン、ピク·ポク)』
パペット・アニメーション『小さなペンギン、ピク・ポク』の一場面、クリスティナ・クルチツカ(Krystyna Kulczycka)監督、写真:Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
上品なピンクのマフラーを巻き、世界への強い好奇心を持っていた。その好奇心から、ふるさとの“雪嵐の島”を離れ、冒険を求めて旅に出た。1980年代から1990年代にかけて、9分番組全26話に十分なほどたくさんの冒険をした。
『Maurycy i Hawranek(マウリツィとハヴラネク)』
パペット・アニメーション『マウリツィとハヴラネク』の一場面、ダリウシュ・ザヴィルスキ(Dariusz Zawilski)監督、写真:Jolanta Malicka, Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
チェコスロバキアにはクシェミーレク(Křemílek)とヴォホムールカ(Vochomůrka)『Pohadky z mechu a kaprad(コケとシダの物語)』主人公の森の小人)がいたが、ポーランドにはマウリツィ(Maurycy)とハヴラネク(Hawranek)がいた。プリンプラン(Plimplan)の森に住むこの二人の少年は、悪い魔法使いプリンプランと戦った。その途中で、幼い視聴者たちに、ポーランドの森を回って教育的なサファリを見せることで、植物や動物について知る機会を与えた。
ウッチの制作会社セ·マ·フォルが制作したこの人形アニメーションは、わずか13話しか制作されなかったが、1980年代生まれの人々にとっては、その世代で経験した思い出の一部となった。
『Plastusiowy pamiętnik(ネンディのにっき)』
パペット・アニメーション『ネンディのにっき』への写真、ゾフィア・オウダク(Zofia Ołdak)監督、写真:Filmoteka Narodowa/ www.fototeka.fn.org.pl
ポーランドの心無い子どもたちが、耳の立っている同級生に向かって、何年にもわたってあだ名にしてきたのが、このキャラクターの名前だった。ネンディは、そういった子どもたちの守護神となり、報道官となった。『ぼくはネンディ(Plastusiowy pamiętnik)』、『ネンディのぼうけん(Przygody Plastusia)』という本を書いてネンディに命を吹き込んだのは、作家マリア·コヴナツカ(Maria Kownacka, 1894-1982)だ。ウッチの制作会社セ·マ·フォルによって制作されたパペット·アニメシリーズ『Plastusiowy pamiętnik』でネンディは1980年にテレビ画面に登場した。
*訳注:名前のPlastuśは、“plastelina(粘土)”からの造語。原作の邦訳『ぼくはネンディ』、『ネンディのぼうけん』(どちらも内田莉莎子訳)より。
執筆:Culture.pl、2013年8月27日、改訂:2024年10月28日
日本語訳:スプリスガルト友美(Tomomi Splisgart)