ポロニウム Polon
化学物質が政治的な意味を持つことはあるのでしょうか?
ポロニウム(Po、原子番号84)の発見は、1898 年7 月18 日、マリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie)と彼女の夫、ピエール・キュリーにより初めて報告され、放射線という新たな科学分野を作り出しましたが、同時に、政治的な論争をも巻き起こしました。
名前の由来
「ポロニウム」(ポロンpolon)という名は、フランスで仕事をするポーランド移民としてのマリアの立
場から、明らかに祖国に言及するものでした(ラテン語で「ポーランドの」を意味します)。このとき、この国は100 年以上、ヨーロッパの地図の上には存在していませんでした。実際、マリアが生まれた1867 年から、彼女の祖国の準正式な名称は、ロシア政権が定めた「クライ・ナドヴィシラィンスキKraj Nadwiślański」(ヴィスワ国)になっていました。分割勢力にとって「ポーランド」という名は、危険な、気味悪くさまよう幽霊のような存在であり、政治的には消し去ってしまいたい過去だったのです。
政治的意図
ポロニウムという科学的な発見を用いることで、マリアは世界の関心を、ポーランドが主権国家としての独立性を欠いているという、政治的な事実へと向けようとしていました。彼女は強力な、潜在的には破壊活動的な意味を持つメッセージを送り、世界の人々に、ポーランドという存在を思い出させていたのです。
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見えないが、そこに在る
ポロニウムとポーランドは、私たちが想像するよりも、多くの共通点を持っていました。まず何より、
どちらもが目には見えないものです。発見当時、ポロニウムは見ることも量ることもできず、ヨーロッパの地図上で、ポーランドの位置を示すことができないのと同様でした。それでもポーランドは、マリア・スクウォドフスカ=キュリーを始め、ポーランド人の心の中に、たしかに存在していたのです。
文字通り危険な化学元素
この発見に続いて同年、もう一つなされたのが、ラジウムの発見です。これは1903 年、キュリー夫妻
にノーベル物理学賞をもたらします(マリアにとっては2 度のノーベル賞受賞のうち、第1 回目でした)。抽出と識別が容易であったラジウムは、その後、放射線学の発展において、ポロニウムをしのぐ役割を果たします。
しかしながら、ポーランド民族の大義を世界に知らしめ、歴史上、真に「危険な」最初の政治的化
学物質となったのは、ポロニウムだったのです。
執筆:ミコワイ・グリンスキ(Mikołaj Gliński)
日本語訳:柴田恭子
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