目次:はじめに | 1980年代 | 1990年代 | おわりに
ポーランドにおけるビデオアートは1970年代前半に「Warsztat Formy Filmowej / Workshop of Film Form (WFF)」(フィルム・フォーム・ワークショップ)として知られた芸術家集団を中心に登場した。WFFが開かれた学際的な性格を持っていたこと、メンバーが新しいメディアへの関心を共有していたことから、ビデオは技術的に使用可能になるとすぐにグループの活動の主要なメディアとなった。WFFメンバーは分析的態度も持っていたため、自らの使用するメディア固有の性質を探求し明らかにすることとなった。このようにして(映画に次ぐ)新たな動画芸術は、独特の芸術的・研究的興味の対象となり、このメディアの構造的で表現豊かな性質に関心が向けられた。
初期の作品で、メンバーはテレビの様々な側面を研究している。テレビ番組の放送とそれが日常生活に占める位置を調査、直接伝送の現象を分析、そして大衆文化の新しい崇拝物(フェティッシュ)としてのテレビ機器そのものに焦点を当てた。これらすべての作品は1973年ウッチ美術館Muzeum Sztuki w Łodziにおいて「Akcja warsztat / Operation Workshop(オペレーション・ワークショップ)」と名付けられたプロジェクトの一環として実現され、これがポーランドのビデオアートの歴史の始まりとなったが、作品としてはインスタレーションの形を取っていた。磁気テープによる最初の作品は同年ピョトル・ベルナツキPiotr Bernackiとヴォイチェフ・ブルシェフスキWojciech Bruszewskiによって制作された「Pictures Language(イメージ言語)」で、抽象的な言語的記号を具体的なイメージに変換するという試みであった。
続いて1974年にWFFメンバーのヴォイチェフ・ブルシェフスキとパヴェウ・クフィエクPaweł Kwiekは空間的関係を探求した作品を制作した(ブルシェフスキ:「Transmisja przestrzenna / Spatial Transmission空間的伝送」、クフィエク:「Sytuacja studia / A Studio Situationスタジオ・シチュエーション」)。クフィエクの作品は精神構造とメディアの構造の間にある関係、その相互作用、そこから生じる社会的結果(持っている知識がその人の社会階層内の地位を決定している)に関する研究から生まれた。次の数年間でクフィエクは数多くの作品を制作し、ポーランドのビデオアートの発展に大きく寄与した。作家は、一つの構造の中に一連の異なるメディアを組み合わせただけでなく、芸術的コミュニケーションの様々な存在論的側面をも組み合わせた。一方ブルシェフスキの作品は、ナレーション・記録・伝達に関する考察から生まれた。WFFはビデオカメラを創造的に使用する芸術家集団としての地位を確立し、まもなく新しいメンバーも多く参加した。グループが拡大するにつれて、扱うテーマや作品の種類も広がりを見せた。
活動の中でWFFの作家はビデオを様々な方法で創造的に使用し、他の芸術分野(映画他)の表現の可能性も広げた。これは先に言及した通り、メンバーが開かれた学際的姿勢を取っていたことによる。グループと最も密接なメディアと言える磁気テープの作品、またビデオインスタレーション(特にヴォイチェフ・ブルシェフスキWojciech Bruszewski、アントニ・ミコワイチクAntoni Mikołajczyk、リシャルト・ヴァシコRyszard Waśkoはこの形式に関心があった)の作品の他、WFFの作家はビデオパフォーマンス的性格を持った様々な活動も頻繁に行った。複合的・多彩・分析的な作品を生んだ同様の創造的態度は「Laboratorium Technik Prezentacyjnych / The Laboratory of Presentational Techniques」(プレゼンテーション技術研究所)(1975年12月設立)で活動した作家やアンジェイ・パルゼルAndrzej Paruzel(「Sytuacje videofotograficzne / Video-Photographic Situationsビデオフォトグラフィック・シチュエーション」シリーズの作家)にも見られる。
ユゼフ・ロバコフスキ「フィルム・フォーム・ワークショップ」1973年、courtesy of the artist
リシャルト・ヴァシコはビデオインスタレーション作品の中で、メディアによって形作られる空間構造およびメディアの中での空間構造という問題を探求しているが、同じテーマを以前に論文や映画作品の中でも扱っている。
アントニ・ミコワイチクAntoni Mikołajczykは、一連のビデオインスタレーション作品において、時に写真も利用しながら、記録と伝達のプロセスを多重化・複合化している(例えば、現実のイメージとして伝達された記録の記録)。こうすることで、メディアによって伝達される情報の相対性、また現実(のイメージ)とその状態が操作される様を明らかにした。ミコワイチクは様々なツール(写真、ビデオ、レーザー、溶接機、電灯など)を駆使して、実体的・物質的世界に侵入するかのような仮想現実の光のフォームを作成した。光を同時に素材と道具として扱いながら、心が(現実の)超越と無限を体験する空間を作り出し、現実と幻想の境界線の問題を探った。
ビデオのメディア的側面への関心は、当時ポーランドで実践された三種類すべてのビデオアートに探求的性質を与えている。また多くの例において、分析的なビデオ作品が、以前に映画の領域で追及された実験とスタンスを引き継ぐものであったことは注目に値する。例として、ロバコフスキRobakowskiとヴァシコWaśkoのビデオ作品の多くは、彼らが以前に制作した機械的・生物学的相互作用に関する映画的実験から発生している。
新しい芸術媒体としてのビデオの研究はテレビの分析と結びついていた。テレビとビデオアートは、技術的なレベルでは同一視されていたにもかかわらず、同時に対極にあるものとして認識されていた。この頃からポーランドの芸術家はテレビと距離を置き始め、この傾向は80年代末まで続いた。当時テレビは共産主義政府のコントロール下にあり、このテレビの否定は明らかな政治的声明であった。「ビデオアートは、[テレビ]機関の使用価値(有用性)を下げるための反意の表明であり、人をコントロールするメカニズムを、[ビデオアートの]独立性によって明らかにする芸術運動である」とユゼフ・ロバコフスキは1976年に書いている。ロバコフスキは後に、撮影したテレビ放送に様々な操作を加えた作品を制作し、自らの主張を補強している。以前(70年代の半ば)からロバコフスキはビデオ作品の制作を通じて、電子メディアとしてのテレビに対する鋭い分析を行っていた。テレビ技術と著作者/オペレーターとの関係、またテレビ技術と視聴者との関係を探求し、メディアによって条件づけられる現実を記録する方法とそこから生まれる世界のイメージを調査した。またビデオアート作品が、展示される場所や時代によっていかに意味を変えるか等を研究した。
WFFの作家が制作したビデオ作品のほとんどは、その映画作品と同様に、現実とその視聴覚的表現と視聴者との関係というテーマを扱っている。これらの作品は、電子イメージによって媒介される知覚の相対的な性質、複製と創造の境界の流動性、そしてこの結果として受容が操作される可能性を明らかにした。作家たちは「電子的現実」と「視聴者が世界について持っている知識」を対比させることで、媒体自体の性質、人間の認識の限界と信頼性、そしてコミュニケーションの可能性についての考察を鑑賞者に促した。これらのコンセプトは、特にブルシェフスキ(映像とインスタレーション)とミコワイチク(インスタレーション)の作品において頻繁に現れている。
70年代末から80年代初めにかけてブルシェフスキは、音が中心的役割を果たす一連の作品を制作している。また「Trochę muzyki / A Little Music」(少しの音楽)シリーズのインスタレーション-パフォーマンスのように、音を完全に自律させた作品も制作した。これらすべての経験とブルシェフスキ自身のアートコミュニケーション理論が組み合わさり、Ruine der Künste Berlinのために制作された「The Infinite Talk」(無限の話)(1988)というラジオ・インスタレーションの基礎が作られた。
映像、パフォーマンス、数多くのインスタレーションに加えて、1970年代にはプレインタラクティブ的性格の、つまり鑑賞者の参加を要求するビデオ作品が登場したことも指摘しておきたい。こういった作品の例として、1978−79年にかけてAndrzej Paruzelアンジェイ・パルゼルが制作した「Dopełnienie / Supplement」(補完)、「Kąt 90 / Angle 90」(角90)(どちらの作品も1978年に「Pracownia "Dziekanka"」(ジェカンカ・スタジオ)で行われたアクション)などがある。
1980年に発足した「Zespół T / Team T」(チームT)にはヤヌシュ・コウォドゥルビェツJanusz Kołodrubiec、トマシュ・コナルトTomasz Konart、アンジェイ・パルゼルAndrzej Paruzel、ヤヌシュ・シュチェレクJanusz Szczerek、ピョトル・ヴェイヘルトPiotr Weychertが参加していた。グループの方針において、参加作家たちは自分たちの個々の活動を、第一に[一般の観客ではなく]グループのメンバーに向けて行いたい旨を表明している。まずはグループ内で互いに議論し合い、その後で、より広い文脈では、グループ全体と観客の間で意見を交わすためであった。
戒厳令をはじめとする1980年代初頭の政治的出来事は芸術と芸術機関に影響を与え、ポーランドのアートにおける分析的傾向を終わらせた。ビデオアートは大きな変革の時代に入った。コンセプチュアルで分析的な姿勢は弱くなり、その傾向はおそらくロバコフスキの作品に見られるだけになった(彼の作品では引き続きこの姿勢は重要であったが、主要な要素ではなくなった)。新しい世代の作家がビデオ作品を作り始め、このメディアをセルフ・プロモーションのツール、自己の信念・感情・恐れ・強迫観念の表現を強化する手段に変えた。
これらの変化の結果として、80年代のポーランドのビデオアートは主に二つの傾向へと発展した。一つ目は分析的芸術の伝統を引き継ぐもので、ユゼフ・ロバコフスキの作品に最もよく具現化されている。ロバコフスキの作品は知性により厳しく制御されているが、その周到に強調された主観的性格(*作家自身が主人公として登場する)は、しばしば皮肉を感じさせ、作品の中に登場する自身のイメージを作家としてユーモアを持って扱っていることがわかる。
もう一つの傾向は、知性の優位性を否定し、その代わりに感情やその非合理な出所に言及するものだった(ただし、時には合理的・明確な方法でそれを行った)。この傾向を代表するイェジー・トゥルシュコフスキJerzy Truszkowskiは、活動を自由な発想や直感に委ねることを強調し、知性は二次的な合理化システムの役割を担うと述べた。この姿勢によりトゥルシュコフスキはポストコンセプチュアルアートに分類される。慣習化された文化の語彙的要素の意味を曖昧にすることによって生まれる不条理も彼の作品の重要な性質である。トゥルシュコフスキは作品のいくつか(主にパフォーマンス)をヤツェク・リデツキJacek Rydecki、ズビグニエフ・リベラZbigniew Libera、ヤヌシュ・コウォドゥルビェツJanusz Kołodrubiecと共同で制作した。
同時期に作られたリベラの作品も似た性質を持っているが、トゥルシュコフスキとは異なり、リベラは感情的要素の力を制限し、作品に静観的・瞑想的性格を与えている。しかし多くの場合、鑑賞者は、作品の深い意味に触れるためには、作品の感情的次元を体験し超越し克服する必要があった。80年代のリベラのビデオ作品の多くでは死が中心的なテーマであり、中心的でない場合もすぐ側に隠され、不可避の主題としてあらゆる創作活動に拡張されていた。リベラのビデオ作品は、様々な宗教や神話から取られたシンボルや説得力のある構造を利用しており、鑑賞者は作品を儀式と見なし、死や死に関することについて考えることを促される。リベラはいくつかのビデオインスタレーションを作成したが、その後ビデオを放棄し、メディア技術を利用しないオブジェやインスタレーションを制作するようになった。これらの作品でもリベラは、権力、支配、ヒエラルキーの問題、そして何より人体・心・想像力を形作る社会文化的戦略の問題を探求し続けている。
ズビグニエフ・リベラ《親密な儀式》1984年、courtesy of the artist
ジグムント・リトカZygmunt Rytkaの同時期のビデオ作品もまた瞑想的な性質を持っている。その視覚的に周到に構成された作品の中で、作家は「人間のすべての活動は、無限性のパラダイムの中で行われている(無限性の観点から見ることができる)。そしてこの文脈は人間の有限性に宇宙的な(無限性という)意味を付与し、あらゆるプロジェクトを完成不可能なものにしている」という自らの確信を表している。
80年代に制作された作品には、前述した「合理主義-非合理主義」の構造の他、アダム・ジェペツキAdam Rzepecki(時々グジェゴシュ・ジギェルGrzegorz Zygierと共同制作した)のネオダダ的作品や、マチェイ・ヴァルチャクMaciej Walczakのコンピュータを使用した作品がある。ヴァルチャクはヴォイチェフ・レマンスキWojciech Lemański(音楽を担当)と共同で、目に見える動き・聞こえる動きを強調した「ライブ」オーディオビジュアルコンサートを実現した。
90年代にはさらなる変化があった。動画はますますダイナミックに、激しく、そしてしばしば攻撃的になっていった。この時期の作品の構造は多くの場合、複雑かつ多層的で曲折していた。音楽の役割が大きくなった。これらの変化は、私が「仮想化」と呼んでいるプロセスと並行して起こっていた。イメージが、私たちが現実だと認識している世界に言及することはますます少なくなり、現実世界やその主観的な表現を参照しないシュミラクル(虚像)の形を取ることが多くなった。虚像は本質的には現実感を伴わないが、鑑賞者の知覚の中で二次的に獲得される。多くの作品が前述の傾向(音楽の強調と仮想化)を併せ持っている。新たに形作られた体制の中で、ビデオアートは自律した芸術表現の形(主に映画やインスタレーション)へと発展しただけでなく、複雑な形式の空間配置、多層的なオーディオビジュアル構造(例えばイザベラ・グストフスカIzabella Gustowskaの作品)やビデオコンサートへも発展していった。
1989年以降急速に発展した新しいポーランドのビデオアートは、多くの作品が前述した傾向に特徴的なスタイルを持っている。ポーランドのテレビ放送システムの変革は、ミュージックビデオと広告市場の発展に寄与した。この二つの領域の表現・技術の向上、アートにおけるコンピュータ化の進展、ロック音楽シーンとの結びつき、これらすべてが前述の傾向の展開に拍車をかけた。最も若い世代の作家による一連のビデオアート作品もこの背景による影響を受けた。しかし同時に、アヴァンギャルドの伝統から出てきた姿勢を引き継ぐ作家もいた。芸術の独立の意味を、多様性を共通パラメータに還元する力に対する抵抗の中に認め、テレビ的美学に抗い、代わりに個々に異なった表現を作り出すという姿勢であった。
新しいポーランドのビデオアートの潮流の特徴が最初に現れたのは80年代末、グループ「Yach-Film」(ヤフ・フィルム)(ヤン・パシュキェヴィチJan Paszkiewicz、ドロタ・ポドラスカDorota Podlaska、ボンベラBombela、アンジェイ・クイフAndrzej Kuich、アンジェイ・ヴォンシクAndrzej Wąsik)の作品およびクシシュトフ・スカルベクKrzysztof Skarbekの作品においてであると私は考えている。この潮流の目立った特徴は、表現が思考よりも優位であること、遊びに近い自由な創造(遊び心がこの潮流の重要な特徴だと思われる)が集中よりも優位であること、また理論的問題への関心の放棄などである。この潮流の作家は、先人の作家よりも自由に電子メディアを扱っている。作品の軽快な性格は、作品が重要でないとか、表現において作家性が薄いというようなことを意味しない。例えば、スカルベクの創造的空間は、儀式的・擬似魔法的行為の世界であり、その作品の生き生きとした表現力は、様々な次元の現実に対する作家の新しい態度を内に秘めていた。
ポーランドの新しいビデオアートの潮流は非常に多様であった。作家やアートセンター、フェスティバルの数が増えるにつれて、芸術的態度、関心およびその表現方法も増えていった。20年以上に渡るポーランドのビデオアートの歴史の中で、このように一度に様々な形式・方法の表現が出てきたのは初めてだった。美学の多元主義の時代であったことだけが要因ではなく、精神的・政治的・技術的な解放が同時に起こった結果でもあった。この多様性の中から、最初の創造的個性が結晶化されつつ(あるいは結晶化しつつ)あった。
バルバラ・コノプカBarbara Konopkaは1989年にビデオの制作を始めた。それ以前に音楽とパフォーマンスアートの分野で教育を受け、この分野で芸術活動を行っていたコノプカのスタンスは非常に特殊であった。初期の頃からコノプカの作品の最も印象的な特徴は夢幻性で、作家のイメージの世界に違和感なく存在していた。続く数年の間に、作家は超心理学、占星術、魔法、秘密芸術への関心を深め、発展させていき、作家のスタンスを明確なものとした。
マチェイ・ヴァルチャクMaciej Walczakは音楽の教育を受け、ビデオをより複雑な構造の道具として扱った。コンピュータ、サウンドシンセサイザー、ビデオプロジェクターを駆使し、「ライブ」オーディオビジュアル・コンサートを実現した。事前に準備したコンピュータプログラムの「スコア」が、毎回異なる「パフォーマンス」の唯一の基盤となった。ヴァルチャクの抽象的なイメージと音楽作品は何よりも、作家本人の(目に見える・耳に聞こえる)動きの現象への陶酔を表現している。提示の方法では偶然の問題に触れ、創造プロセスにおける偶然の役割を探求した。
コンピュータ技術の扱いでは、マチェイ・ヴァルチャクの作品の他に、ヤツェク・シュレシンスキJacek Szleszyńskiのアニメーションも注目に値する。そのダイナミックさ、魅力的な変化するリズム、イメージと音の興味深い非対称の結合は、多くのフェスティバルで主催者や審査員の関心を集めた。
コンピュータ技術の扱いでは、マチェイ・ヴァルチャクの作品の他に、ヤツェク・シュレシンスキJacek Szleszyńskiのアニメーションも注目に値する。そのダイナミックさ、魅力的な変化するリズム、イメージと音の興味深い非対称の結合は、多くのフェスティバルで主催者や審査員の関心を集めた。
ピョトル・ヴィジコフスキPiotr Wyrzykowskiはフィルム映像の制作にとどまらず、パフォーマンスやインスタレーション作品も作っている。アーティファクトの物質的側面を嫌うこの作家は、インタラクティブコンピュータインスタレーションや、さらには仮想現実での作品の考案へと向かっている。
ヴァルチャク、シュレシンスキ、ヴィジコフスキの作品は、ポーランドの作家による最新のデジタル・コンピュータ技術を使った最も興味深い作品の例である。
ヴォイチェフ・ザミャラWojciech Zamiaraはフィルム映像、パフォーマンス、インスタレーションの作品を制作しているが、前述した作家らと異なり、技術の発展をあまり追いかけていない。ザミャラの作品の基本的な性質は、鑑賞者の注意をアートの意味論的・感情的な側面に集中させ、存在の根本的な次元について深く考える機会を提供する。このような機会は今日のポーランドのメディアアートでは非常に稀である。
マレク・ヴァシレフスキMarek Wasilewskiのビデオアートは集中的で、繊細で、作者の感覚の世界に浸っている。ヴァシレフスキのビデオの世界は、自身の体・自己イメージ・プライベートな空間といった、作家の身近な環境の研究である。作家は日常生活の親密な領域に焦点を合わせ、平凡な物や一見些細な出来事の中に芸術的表現の素材を発見する。ヴァシレフスキは(ヴィジコフスキと並んで)、ポーランドの分析芸術の成果を意識的に引き継ぐ数少ない90年代の作家のように思われる。
イザベラ・グストフスカIzabella Gustowskaの作品は、近年のポーランドのビデオアートにおいて独自の位置を占めている。80年代に始まり(他の芸術分野で以前に制作した作品から発展)、90年代にビデオ作品で完全に成熟した。グストフスカの作品の基本的な性質は、仮想性(イメージ)と現実性(物理的な問題)の間の関係性の拡大と捉えることができる。これはある程度、この二つの領域の間の関係性を活発にする電子メディア技術の性質によるものだ。しかし、グストフスカの作品の場合、この関係は非常に深められ、強調されている。特に最新の作品では、常に流動する境界線に対する作家の主張が印象深い。作家は同時に、境界線の性質の問題を強調し、秩序を逆転させ、対立の構造を壊し、互いに異なる(対極にあるように思われる)二つの領域を混ぜ合わせる。
オブジェの堅固な物質性と、イメージの儚い仮想性の間の関係は、さらに別の重要な対立によって補強されている。内部と外部の関係である。しかしながら、前述の対立と同様に、この状態・形態の対立の構造は、転覆させるためだけに作られたように見える。外部と内部の対立は自らを弱め、自身の正当性を疑問に付し、時に自身を完全に打ち消すことさえある。グフトフスカ作品のフォーム(構造)は(様々な方法で)完全に閉じられていないため、内部と外部が絶えず混ざり合い、無限のゲーム、つまり次元と空間の対話が生まれる。その結果ダイナミックで変化に富んだ領域が生まれる。
90年代のビデオアートの最も特徴的な新しい現象は、(より大きなクリティカル・アートの潮流の一部として)クリティカル・ビデオと名付けうる傾向の発展だ。この傾向はおそらく今日の課題に最もよく対応している。このグループに挙げられるのは、アリチア・ジェブロフスカAlicja Żebrowska、アルトゥル・ジミェフスキ(ジュミイェフスキ)Artur Żmijewski、そして何よりアンナ・バウムガルトAnna Baumgartである。
アンナ・バウムガルトは1997年に社会的な人間関係に関心を向けたビデオ作品シリーズの制作を始めた。続く作品では、個人を社会的慣習に従属させるメカニズムを明らかにし、性差の社会的・文化的認識、家父長制によって女性に割り当てられた、また女性自身によって受け入れられた役割、親と子の関係を分析した。バウムガルトが提示するのは、女性が憧れる男性の自我に反映された男性の世界と、男性の視線で認められることを求め、男性に受け入れられることによって自分の価値を確認する女性の世界である。
新しい傾向、新しいスタンス、新しい美学は90年代に発展し、新しい世紀にまで広がったが、現代と過去のつながりは壊れていない。数多くの革新に加えて、ポーランドのビデオアートで特徴的なのは、息の長い現象によって一定の継続性が維持されていることだ。この継続性の基本的な保証となっているのはユゼフ・ロバコフスキで、現在もなお非常に興味深い、活気のある活動をしている。
ロバコフスキの作品にはあるパターンの特徴(逸脱-メディア-主観性-ゲーム-エネルギー)があり、内部のみ変化しながら、40年近くになる創造活動全体を通して存在している。ロバコフスキのアートがコミュニティ(若い世代のアーティストなど)に与えた影響は、そのアートの安定力を強化し、歴史と現在の間に橋を架けている。ロバコフスキの活動は、ポーランドの新しいビデオアートと「古い」ビデオアートの結びつきを維持するために重要だが、この結びつきを支えるものは他にもある。様々な作家による多くの作品の中にこの結びつきを見ることができる。注目すべき例としては、Wspólnota Leeeżeć / The Lieee Dooown Collective(横になななるコレクティヴ)(かつてのウッチ・カリスカŁódź Kaliskaグループの活動に関連がある)やジグムント・リトカの最近の作品がある。
このポーランドのビデオアート史概略を締めくくるにあたって、国外に住みながらポーランドのアートシーンに積極的に参加している作家を数名挙げたい。
ズビグニエフ・リプチンスキZbigniew Rybczyńskiは70年代初めからポーランドのメディアアート(映画とビデオ)を普及させてきた。この十年で重要な新作を発表していないが、ポーランド屈指の興味深いメディアアーティストと見なされている。
ミロスワフ・ロガラMirosław Rogalaは1979年からアメリカに居住し、80年代・90年代に一連の映画とビデオインスタレーションを制作した。現在はインタラクティブアートに焦点を当て、この分野における世界有数のアーティストと見なされている。
ヤロスワフ・カプシチンスキJarosław Kapuścińskiもまたほとんどの時間をアメリカで過ごしている。音楽家・作曲家として、90年代にコンピュータを使い、画像と音声を組み合わせた作品を数多く制作した。
そして最後になったが、キンガ・アラヤKinga Araya。現在はカナダ在住で、映画、ビデオインスタレーション、ビデオパフォーマンスを制作している。作品はクリティカル・アートの潮流に属し、移動生活、違反、疎外などの問題を探求している。
これらの作家による作品は、現代ポーランドのビデオアートを補完する優れた作品であり、マルチメディアアートにはっきりと変貌を遂げつつある。
著者:リシャルト・W・クルシュチンスキRyszard W. Kluszczyński
日本語下訳:YA 2019年10月
参考文献:
- リシャルト・W・クルシュチンスキRyszard W. Kluszczynski、『Warsztat Formy Filmowej 1970-1977(フィルム・フォーム・ワークショップ 1970-1977)』、ワルシャワ、CSW、2000
- ヨランタ・チェシェルスカJolanta Ciesielska「Videoperformance(ビデオパフォーマンス)」,『Oko i Ucho(目と耳)』1989、nr 1
- ヴォイチェフ・マコヴィエツキ, マリアンナ・ミハロフスカWojciech Makowiecki i Marianna Michalowska [編]、『Izabella Gustowska – względne cechy podobieństwa(イザベラ・グストフスカ - 類似性の相対的特徴)』ポズナン、Arsenal、2000
- リシャルト・W・クルシュチンスキRyszard W. Kluszczynski [編]、『Izabella Gustowska: Passions and Other Cases(イザベラ・グストフスカ : 情熱とその他の場合)』、ワルシャワ、CSW、2001
- リシャルト・W・クルシュチンスキRyszard W. Kluszczynski [編], 『Mirosław Rogala - Gestures of Freedom. Works 1975-2000(ミロスワフ・ロガラ - 自由のジェスチャー.作品1975-2000)』、ワルシャワ、CSW、 2001
- リシャルト・W・クルシュチンスキRyszard W. Kluszczynski [編]、『Kinga Araya – Grounded(キンガ・アラヤ - グラウンデッド)』、ワルシャワ、CSW、2000