その代表格ともいえるのが、ポーランド第二の都市ウッジを拠点に活躍しているユゼフ・ロバコフスキ(Józef Robakowski, 1939-)だろう。「OKO」「Zero61」などのアーティストコレクティブを創設するほか、ネオ・アヴァンギャルドアーティストたちの作品のコレクションや展覧会なども企画している。また、実験的なビデオアートの第一人者とされ、1960年代はじめから実験的なフィルムの制作。共産主義体制下の検閲の問題に対抗するため、徹底してプライベートなテーマや日常性を取り上げながらラディカルかつユーモラスな作品を発表し続けている。ビデオの印象が強いが、最初のスタートは写真制作(1958-1967)からだったようで、記録性やコンセプトを重視した「オブジェクティブ・リコーディング」シリーズや、フォトグラム、コラージュなどの実験的な試みを行ってきた。2016年には写真作品に焦点を絞ったカタログも出版されるなど、写真作品の再評価が進んでいる。
ポーランド西部のヴロツワフでは、1970年にナタリアLL(Natalia LL, 1937-)が、ズビグニェフ・ドゥウバクらとともに、自主ギャラリー「PERMAFO」(~1981年)を開設。当時はまだ発展していなかった写真と映画におけるコンセプチュアルな作品を発表する場とし、前衛アートの最前線としての役割を果たした。ナタリア自身は1960年代から写真を中心に発表。「Existence」や「Mirror」といった実存的な題材のポートレイトを撮影するほか、68年頃からは身体をクロースアップした「エロティック写真」などの実験的な作品もある。バナナ(当時のポーランドでは高級品)や、フランクフルト、アイスクリームを食べる女性(ナタリア本人と思われていることが多いようだが別人)を性的隠喩に満ちた形で写した「Consumer Art」が代表作で、1975年頃よりフェミニストアートの文脈で国際的にも活躍する。80年前後から自身の身体的な不調もあってか、幻想的な「Dreaming」シリーズや、自らの身体を用いたパフォーマンス的な要素の強いシリーズなどを制作。近作では、ガスマスクをかぶったり、悪夢ともいえるような非常に強いインパクトのあるイメージの作品を生み出している。
ゾフィア・クリク(Zofia Kulik, 1947-)は、パートナーのプシェミスワフ・クフィエク(Przemyslaw Kwiek)とともにアーティストユニット・クフィエクリク(Kwiekulik, 1978-1987年)を結成。居住スペースをギャラリーやワークショップの場として開放し、そこで起こった出来事の写真も含めたドキュメンテーションを作成した。息子と生活をする日常生活を記録し、「ドブロミエチュとの活動」(1971-74)として発表するなど、厳しい検閲をかいくぐりながら日常の生活すべてが芸術活動であると宣言する。1987年からはゾフィア・クリクとして単身で作品制作をはじめ、反復的なモチーフとしての裸体をコラージュした曼荼羅のような作品を制作。形式的で非人間的な共産主義政権への批判ともとれるが、中世の絵画や、幾何学模様の美しいオーナメントのようにも見える作品の射程の幅は広い。クリクは現在でもクフィエクリクで活動していた時代に生み出された資料を整理し、創造的なアーカイブの利用法を模索しているという。
こうしたアーティストと比べ世代は下がるが、同じく体制に批判的な作品を発表してきた作家にズビグネフ・リベラ(Zbigniew Libera, 1959-)がいる。リベラは熊本現代美術館にも作品が収蔵されており、日本でも知名度がある方だろう。1980年代初期から写真や映像、オブジェを用いたインスタレーション作品などの制作をはじめる。81年に戒厳令が敷かれるなか、反政府的な出版やポスターを制作したとの咎で投獄されている。90年代からはポーランドにおけるクリティカル・アートの最前線で活躍し、玩具のレゴで強制収容所を制作した作品「LEGO Concentration Camp」(1996)で物議を醸すなど、挑発的な作品を作り続けている。近年はメディアやマスカルチャーにおけるイメージの重要性を分析するような、写真を中心に据えた作品を発表。「Pozytywy」(Positives, 2002-2003)シリーズでは、世界的に有名なプレス写真-ナチスの強制収容所に捉えられた柵越しの囚人の写真や、ベトナム戦争時に泣き叫びながら裸で逃げる少女の写真など―をもとに新たに写真を撮りおろし、トラウマとその表象の関係性について問うている。2012年には、これまでの写真作品をまとめた最初の写真集『Fotografie』を出版した。
3)ドキュメンタリー/記録写真
ポーランドの写真といえば、前衛的でコンセプチュアルな手法の写真が国際的にも注目を浴びているが、ドキュメンタリーや「記録」写真でも目覚ましい仕事が残されている。
なかでも、ゾフィア・リデットZofia Rydet (1911–1997)の「社会学的記録 Sociological Record」シリーズは圧巻だ。リデットは67歳を迎えた1978年から亡くなるまでの約20年を費やし、2万点にも及ぶポートレイトを中心とした写真を撮影している。ワイドレンズ、フラッシュを用いて、少し離れた位置から見上げるようにカメラを構え、壁を背に椅子やソファ、ベッドに座って、インテリアに囲まれるようにして生きる人々を撮影する。壁に飾られたタペストリー、食器棚、テレビの有無、ベッドに掛けられた布の生地―写真に写された室内の細部は人々の暮らしをつぶさに伝えている。リデットは、人々が日常生活を送る室内空間は、その経済的、社会的地位、宗教心や趣味、生き方そのものを端的に反映すると考えおり、これらの写真を「芸術」とは一線を画した「社会学的記録」と呼んだ。ウォーカー・エバンスやアウグスト・ザンダーの冷静な距離感を感じさせる写真とは違い、光量不足で縁が黒ずみ、どこか傾いたリデットの写真は、被写体のリラックスした表情とも相まってとても親密な印象を与える。プリントを作る暇も惜しんで記録をとどめおこうとした情熱は、増山たづ子の徳山ダムに沈む村を撮影した写真にもどこか通じるところがあるように思われた。
アンナ・ベアタ・ボフジェーヴィチ(Anna Beata Bohdziewicz, 1950-)の「フォトダイアリー」シリーズは、1989年の旧体制崩壊後のポーランドをジャーナリスティックな視点から撮影した写真と、パーソナルな視点でとられた写真の両方を混ぜ合わせたものだ。レフ・ワレサらによる円卓会議、街角に現れた新しいタイプの肉屋、街頭で繰り広げられるデモ、資本主義が浸透しはじめ、店頭には目新しい品物が並び、扇動的な広告看板が立つ。日常生活と政治とが地続きでつながっていることを、写真は如実に語っている。日常の生活すべてが芸術活動であると考えたクフィエクリクらの活動にも通じるところがあるだろう。これまでに撮られた数千枚の写真は新たな写真も加えられながら、展覧会などの機会に応じて編み直され、短文のテキスト、日付とともに提示される。生成変化しつづけるアーカイブだ。
ドキュメンタリー写真の新しい試みとしては、アーティストコレクティブであるスプートニク・フォト(Sputnik Photos, 2006-)の活動がある。1970年代以降に生まれた若手世代の写真家たちが集まり、共産主義から資本主義への移行期以降に、ポーランドに限らず中東欧で起こっている様々な出来事を、ジャーナリズムではなかなかとらえられない視点からとらえ、出版や展覧会などのプロジェクトとして発表している。
創設者の一人でメンバーのアグニエシュカ・レイズ(Agnieszka Rayss, 1970-)の「American Dream」(2005-2010)は、自身が学生時代を過ごした共産主義時代には考えられもしなかった、ミスコンテストや有名になりたい願望を実現しようとする女性の姿を、批判的にというよりは、自らの姿を重ねあわせるような共感をもってとらえたもの。ポストコミュニズムの国がどのように西欧のトレンドをコピーし、ポップカルチャーが生み出されていくかを、実体験に基づいた形でレポートしている。
同じく創設者の一人でメンバーのラファウ・ミラフ(Rafał Milach, 1978-)は、10年以上にわたり、中央、東ヨーロッパにおける変化をテーマに撮影を続けている。ベラルーシで撮影された「The Winners」は、公的な権威によって「優勝」と認定された人や物を、表彰された理由となる場所や物とともに撮影したもの。ミンスクで一番素敵な階段、一番愛し合っているカップルなど、選定基準も不明でナンセンスなコンテストの内容や、優勝しているにもかかわらず殺風景で貧相だったりする現実とのギャップに、権力のあり方や、プロパガンダの意味などを考えさせられる。
こうした私的な手法でドキュメンタリー/記録写真を撮ってきた写真家たちに対し、共産主義体制下で公認されていた、「社会主義リアリズム」の写真はどのようなものであったのだろうか。社会主義リアリズムとは、「形式においては民族的、内容においては社会主義的」な創作方法であるという。ミコワイ・ドゥゴス(Mikołaj Długosz, 1975-)が編集・撮影した写真集『latem w mieście / summer in the city』(2016)は、そうした時代に国家のプロジェクトとして撮影された写真に新たな視線を向けたもので、当時の公認された写真の一端を知ることもできる。1970年代、80年代の20年以上にわたり、ポストカード制作の目的で、写真家組合に加入している職業写真家たちが地方都市に派遣され、労働者によってその土地に新しく建設された建築や、記念碑、街路の様子などを組織的に記録している。ドゥゴスはポーランド国立出版局が保管するアーカイブから写真を選び、撮影された場所を同定し、その現在の様子を再撮影したものと並置した。共産主義時代の抑圧的で画一的な生き方を強いられた生活、といった負のイメージが強いが、当時の写真を見ていると、皮ズボンをはいたりカラフルなシャツを着たりと、意外に自由なスタイルをした人たちも歩いている。また、必要な情報を過不足なく含ませようとする統一されたフォーマットで、小さな地方都市でも組織的に残された記録はタイポロジー的でもあり、「主義」を超えて時代の細部を写しだす写真の力を再認識させられる。
4)記憶/アーカイブ写真
今回の調査で繰り返し耳にした名前がイェジィ・レフチンスキ(Jerzy Lewczyński、1924-2014)だった。レフチンスキは、誰が写した写真であっても、自由に創造的に利用することによって、写真を通して過去の出来事を再発見することをすすめる「写真の考古学archeology of photography」を唱えた写真家/理論家で、1999年にはポーランドで最初の写真選集『Anthology of Polish Photography 1839-1989』を出版している。現在は、写真考古学財団(Archaelogy of Photography Foundation)が他の物故作家とあわせ、レフチンスキのアーカイブを保管、運用している。この財団はアーカイブを保管するだけでなく、現代の写真家たちに積極的に活用させるプログラムや展覧会を積極的に企画し、過去の写真を倉庫に眠らせておくのではなく、リビングアーカイブとして創造的な利用を推し進めている。レフチンスキの名前が繰り返し聞かれたのも、この財団の活動によるところが大きいように思う。だが、彼の存命中の影響力も強く、「社会学的記録」を作り続けたゾフィア・リデットも彼と対話を続けていたようだ。
ヴォイチェフ・プラジュモフスキ(Wojciech Prażmowski, 1949-)が1990年代後半からはじめた「フォトオブジェ」シリーズも、レフチンスキへの共感がうかがえる。家族写真やファウンドオブジェを用い、過去の写真を立体的な存在として現在に立ち上がらせる。最終的にはその立体も写真に撮影することで、複合的な意味が交差する新たな写真を、詩的な情緒をたたえた形で生み出そうとしている。
晩年のレフチンスキとも親交を結び、その考えを自分なりに消化、作品化しているのがクシシュトフ・ピヤルスキ(Krzysztof Pijarski, 1980-)だ。ポストモダンの社会におけるイメージと物のあり方について、モニュメント、アーカイブ、博物館、風景などを手がかりに作品を制作している。レフチンスキにオマージュを捧げた「JL-KP / Playing the Archive」(2011)は、遺された膨大なアーカイブのなかから写真を選び、それらをアトラスのように提示することで相互関連を独自に見出し、創造的な発見をしようとする意欲的な試みである。他にも、時に非常に暴力的な形で塗り替えられていったワルシャワの歴史を、モニュメントやパブリック彫刻を通じたビジュアル・アルケオロジーとして考察した「Lives of Unholy」(2009-12)シリーズや、東プロイセン時代から続くも第二次大戦中に没落したローズ家所有の彫刻コレクションの破壊された断片と、ポーランドを代表する写真家の故ゾフィア・ホメントヴスカ(Zofia Chomętowska, 1902-1991)が、大戦前に同地で撮影した写真アーカイブを並列した「Sculpture of the Negative」(2015)シリーズなど。レフチンスキの「写真の考古学」の考えを、アビ・ヴァ―ルブルクやディディ=ユベルマンの理論などと接続させながら、現代的で創造的な写真の使用法を模索している。
写真家/詩人として活躍するヴォイチェフ・ヴィルチク(Wojciech Wilczyk, 1961-)は、ポーランドの記憶、特にユダヤ人に対する負の記憶に向き合おうとしている。歴史家のElżbieta Janickaと共同で行ったプロジェクト「Other City」(ザヘンタ国立美術館、2013年)は、ワルシャワの中心地を占めていた、かつてのワルシャワゲットー(1940-43)の跡地を撮影したもの。ナチスによって作られた最大規模のユダヤ人ゲットーで、多数のユダヤ人が絶滅収容所に送られたワルシャワゲットーは、初めての武装蜂起後に壊滅的に破壊された。大戦後、跡地はワルシャワの一等地となり、1955年にはスターリンからの贈り物として文化科学宮殿が完成、現在でもランドマークタワーとして威風堂々と聳えたっている。ヴィルチクは文化科学宮殿を含め、過去にゲットーがあった地区を、高い建物上から大型カメラで俯瞰的に細部まで綿密に記録する。今は存在しない「別の都市 Other City」を指し示すことで、すべてを覆い隠すかのように建設されたその後の社会主義時代、それに続く資本主義時代の諸相を、精緻に写された写真のなかに探り、想像することを促している。ポーランドに遺されたホロコーストの痕跡を辿るシリーズ「There is no such thing as an Innocent Eye」では、現在では廃墟になったり、別の用途(映画館やコミュニティセンターなど)に使われている、かつてのシナゴーグや祈祷所を撮影。ユダヤ人をめぐる負の痕跡が、隠ぺいされつつも現在に潜む風景としていかに露わになっているかを可視化させ、そうした過去をどのようにして引き受けていくかを問いかける作品となっている。
5)ポスト共産主義世代
多感な青春期に資本主義への転換(1989年)、EUへの加盟(2004年)などの激動の時代を経験した、1970年代、80年代生まれの作家の活躍が目覚ましい。ポーランド国内だけでなく、ヨーロッパの一員として、移動の面でも精神的にも非常に近くなった欧米の現代美術の動向を視野に入れた、国際的な文脈のなかで作品を制作している。