高尚芸術。劇場と山の共通点は?
劇場と山――この組み合わせは一見奇妙に思えるかもしれないが、ポーランド演劇界では決して珍しいものではない。山という題材は、舞台の上でも、また芸術家たちの生涯においても、過去から現在に至るまで常に存在してきた。
山の斜面に撒かれた遺灰
例えば、イェジー・グロトフスキ(Jerzy Grotowski, 1933-1999)の遺灰が、彼の遺志に従って、インド南部のタミル・ナドゥ州にある聖なる山で、シヴァ神の御神体とされる、アルナーチャラ山(Arunaćala)(炎の山)の斜面に撒かれたことを、誰もが知っているわけではない。なぜその場所だったのだろうか。この傑出した演出家は、インドと精神的につながりがあった。極東の神秘主義や哲学、ヨガに魅了され、何度か南アジアへと、人生を変える旅に出かけて行ったほどであった。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)やアルメニアの哲学者ゲオルギイ・グルジエフ(George Gurdjieff)と並んで、グロトフスキのグル(師)となったのは、インドの神秘主義者ラマナ・マハルシ(Ramana Maharshi)だった。これは伝記上の豆知識だが、山と演劇との密接な関連は他にも見られる。
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インドのアルナーチャラ山(Arunaćala)。写真:Sakthiprasanna/Wikipedia
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宿泊しながらの山登り
1977年の夏、グロトフスキによって設立された実験劇場(Teatr Laboratorium)のメンバーらが、珍しい旅に出ることになった。「山プロジェクト(Przedsięwzięcie Góra)」は、パラシアター活動であったので、スペクタクルの枠を超え、プロジェクト参加者の精神的な変容を重視していた。このプロジェクトはヴロツワフで始まり、その目的は、レグニツァ(Legnica)近郊にある後期ゴシック様式のグロジェツ城(Zamek Grodziec)を「攻略」することだった。
クシシュトフ・M・ベドナルスキ(Krzysztof M. Bednarski)、『Przedsięwzięcie Góra. Lato 1977(山プロジェクト。1977年夏)』、実施時期:1976年から1977年にかけて、徹夜 ~ 道 ~ 炎の山、1977年。写真:作家蔵、ワルシャワ
この要塞は特に高いところにあるわけではなく、火山があった場所にできた丘(標高389メートル)にあり、この要塞そのものがこのイベントを特別な物にしたということではなかった。重要なのは、要塞を目指すという行為そのもの、つまり行進という形而上学的(メタフィジカル)な体験だった。共に登山をすることで、昼と夜の境界線を消し、日常生活についての従来の理解を超越することも意図されていた。大部分において即興に依存し、確固とした構造を持たない「山プロジェクト」の経過を定義することは難しい。
実験的な活動の「プログラム」には、森での宿泊(この旅そのものに先立って「徹夜」という一連の活動が行われた)などが含まれていた。この謎めいたプロジェクトは、まさにアルナーチャラ、つまりヒンドゥー教の聖地巡礼における聖地から着想を得たものだった。
感動の高まり
有名な登山家イェジー・ククチカ(Jerzy Kukuczka, 1948-1989)の妻、ツェツィリア・ククチカ(Cecylia Kukuczka)は、夫の生涯に触発された舞台の初演後、「私は非常に感動しています。このような芸術作品を劇場の舞台で観られることは、私にとっても、私の家族にとっても、大きな名誉です」と述べて、感嘆の念を隠さなかった。これは、ロベルト・タラルチク(Robert Talarczyk)の演出による『Himalaje(ヒマラヤ)』のことで、2018年5月にククチカの出身地、カトヴィツェのシロンスク劇場(Teatr Śląski w Katowicach)で初演された。この演劇の脚本には、劇作家アルトゥル・パウィガ(Artur Pałyga)に加え、このスポーツ選手の伝記(『Kukuczka: opowieść o najsłynniejszym polskim himalaiście(ククチカ:ポーランドで最も有名な登山家の物語)』の著者である ダリウシュ・コルトコ(Dariusz Kortko)とマルチン・ピェトラシェフスキ(Marcin Pietraszewski)も関わった。これはククチカを題材にした初の舞台作品という試みであった。特筆すべきは、伝記的なドキュメンタリーではなく、芸術作品として構想された点だ。タラルチクの視点で描かれた物語は、奇妙で少し不気味な舞踏会で展開される。
ロベルト・タラルチク演出の演劇『Himalaje』の一場面、カトヴィツェ・シロンスク劇場、2018年。写真:Natalia Kabanow/Teatr Śląski w Katowicach
カタジナ・ボルコフスカ(Katarzyna Borkowska)の印象的な舞台美術と派手な照明演出は、ラッパーのミウォシュ(Miuosh)が生演奏した自作の音楽と融合した。タラルチク自身はこの舞台を、幻覚に近い、夢のような作品――彼の言葉を借りれば、「感情とビジョンに満ちた詩的表現」において保たれる作品――だと考えていた。「これは非常に衝撃的な舞台だ」とタラルチクは予告した。『Himalaje』は、ほとんどの批評家と主人公の家族を魅了した。ククチカの未亡人だけでなく、次男のヴォイチェフ(Wojciech)も感動を隠せず、「登山家につきまとう感情を表現することに成功した」と評した。マルタ・オジョメク(Marta Odziomek)は「この作品は観客を大いに驚かせるだろう。大胆かつ文化的価値があり、陰鬱かつ多声的な作品だ」と、ガゼタ・ヴィボルチャ紙(Gazeta Wyborcza)に書いた。ミハウ・ツェントコフスキ(Michał Centkowski)は、この舞台を「心揺さぶられる作品」と表現し、ヤン・グルツァ(Jan Gruca)は「またとない美しい作品」と評した。
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パヴェウ・ヴィソチャンスキ(Paweł Wysoczański)監督の映画『Jurek(ユレク)』のスチル。写真:配給会社Silesia Filmの宣伝資料
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ルトキェヴィチに関する私的なこと
「女をエベレストに送るなと言っただろう」ヴァンダ・ルトキェヴィチ(Wanda Rutkiewicz, 1943-1992)が、ポーランド人女性として初めて世界最高峰を制覇したことに、後にエベレスト男性遠征隊の隊長となったアンジェイ・ザヴァダ(Andrzej Zawada, 1928-2000)がこう反応したと言われている。ヴァンダ・ルトキェヴィチをモノドラマ(一人芝居)で演じる――それは役者にとって、非常に難しい挑戦である。特に、舞台でのソロデビューとなると尚更だ。しかし、アニタ・ヤンチャ=プロコポヴィチ(Anita Jancia-Prokopowicz)はこの課題を見事にこなした。モノドラマ『Wanda(ヴァンダ)』においてこの有名な登山家を演じたことで、ゴールデンマスク賞にノミネートされたのだった。ヒット映画『アート・オブ・ラビング(Sztuka kochania)』の監督、マリア・サドフスカ(Maria Sadowska)が初めて手がけた舞台作品で、ヨアンナ・グラボヴィエツカ(Joanna Grabowiecka)と共に演出した。「ヤンチャ=プロコポヴィチの演技はスタンディングオベーションに値する。[中略]ルトキェヴィチの決意と山への愛は、舞台全体を通してルトキェヴィチを演じた役者の目に表れている」と、ヤン・グルツァは『Dziennik Teatralny(演劇日誌)』に記している。カミラ・ワピツカ(Kamila Łapicka)も、この卓越した演技を称賛している。「アニタ・ヤンチャは、あらゆる世代の観客の心を捉え、それによって自身の頂点を極めた。なぜならモノドラマは、あらゆる役者にとってまさに頂点であるからだ」
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ヴァンダ・ルトキェヴィチ、パキスタン/中国、1982年。K2遠征中。写真:イェジ·ククチカ·アーカイブ/Forum
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2017年にヤンチャの出身地、ビェルスコ=ビャワ(Bielsko-Biała)の劇場で制作されたこの舞台は、非常に女性的な作品だった。主題や主人公といった観点からだけでなく、制作チームにしても、すべて女性で構成されていたのだ。照明、舞台美術、衣装はイロナ・ビナルシュ(Ilona Binarsch)が、脚本は詩人で脚本家のヴィエスワヴァ・スイコフスカ(Wiesława Sujkowska)が担当した。『Wanda』は、『Himalaje』と同様、舞台という枠に押し込まれた伝記的なルポではなかった。非線形のテクストは、感情的で感覚的な肖像を創り出すために用いられるとしていた。
マリア・サドフスカの演出による演劇『Wanda』の一場面、ビェルスコ=ビャワ・ポーランド劇場。写真:Joanna Gałuszka
『Wanda』には、詩的な舞台のイメージや身体への言及が多く見られた。舞台は、透明な立方体の中で胎児のように丸まった裸の役者による、肉体性についてのモノローグで始まる。マルタ・オジョメクは、「観客はこの私的な舞台が気に入っている。なぜなら、自信過剰なところも大げさなところもなく、誰かを褒めたたえることも批判することもないからだ」と、舞台を称賛した。
テレビで見るヒマラヤ
別の映画監督も同様の課題に取り組んだ。ヒット作『ゆれる人魚(Córki Dancingu)』などの作品で知られるアグニェシュカ・スモチンスカ(Agnieszka Smoczyńska)である。2015年、スモチンスカは、アンナ・ヴァクリク(Anna Wakulik)の戯曲『Wasza Wysokość(陛下)』をテレビ劇場で放映することで、ルトキェヴィチについて語ることにした。この登山家の伝記に触発された舞台では、ヴァンダ・ルトキェヴィチ役をドロタ・コラク(Dorota Kolak)が演じ、アグニェシュカ・ジュレフスカ(Agnieszka Żulewska)、ヤツェク・ロマノフスキ(Jacek Romanowski)、クシシュトフ・チェチョト(Krzysztof Czeczot)が共演した。コラクは、主人公について幅広くリサーチをしたにもかかわらず、決してただ模倣しようとはしなかった。「私にとっての最高峰はバビャ・グラ(Babia Góra/バビャ山)です」とコラクは語り、ルトキェヴィチが成し遂げた「本当に」高い山を登山するという経験は、素人には想像もできないと強調した。
アグニェシュカ・スモチンスカ演出『Wasza Wysokość』。写真:プレス資料
スモチンスカ監督のテレビシアターは、何よりも、有名な山頂に到達した最初のヨーロッパ人女性という非凡な人生に伴う、難しい感情についての物語だった。主演のコラクは、この作品を「ここ、地上に自分の居場所を見つけられない人間の、計り知れない孤独についての物語」と表現した。
ダボスでのドリームチーム
ヨーロッパで「最高の地位」にある小説の一つも舞台化に至った。これまでにもヴォイチェフ・マライカット(Wojciech Malajkat)やバルバラ・サス(Barbara Sass)などがワークショップとして手掛けてきたが、2015年、最も興味をそそるバージョンが、各分野トップの芸術家たちで結成された真のドリームチームによって制作された。トーマス・マンの『魔の山』をオペラ化したのがそれだ。旧大陸で最も標高の高い都市(海抜1560メートル)であるスイスのダボスを舞台としたこの作品を手掛けたのは、アンジェイ・ヒラ(Andrzej Chyra)。ヒラは、主に映画や演劇での優れた演技で知られているが、大学では演出の勉強もしていた。
『魔の山』、2幕のオペラ。音楽:パヴェウ・ミキェティン、台本(リブレット):マウゴジャタ・シコルスカ=ミシュチュク、演出:アンジェイ・ヒラ、舞台美術:ミロスワフ・バウカ。初演:2015年6月26日、ポズナン・マルタ・フェスティバル(Malta Festival Poznań)。写真:Maciej Zakrzewski
ヒラの舞台構想とパヴェウ・ミキェティン(Paweł Mykietyn)による音楽アレンジに、台本(リブレット)を書いたのはマウゴジャタ・シコルスカ=ミシュチュク(Małgorzata Sikorska-Miszczuk)だった。ヒラは、舞台美術を製作したミロスワフ・バウカ(Mirosław Bałka)と協力し、絵画のように美しい保養地の背景は使わないことにして、代わりに廃工場を思わせる、冷たく必要最小限の舞台空間の中で物語を展開した。これは小説のコンテクストにおいては興味深い手法だが、バウカの特徴的で冷たく厳格なスタイルを考慮すれば、まったく予想通りだった。この舞台には、バルバラ・キンガ・マイェフスカ(Barbara Kinga Majewska)やアガタ・ズベル(Agata Zubel)といった著名なオペラ歌手も出演した。
『魔の山』は、ヒラが演出を担当した2作目の作品であり、批評家から温かい評価を受けた。アンナ・シラー(Anna Schiller)は、この作品を端的に「魂のこもった美しい芸術作品」と評した。オーケストラを伴わないという、この独創的な2幕のオペラは、舞台に電子音楽を取り入れた大胆な試みも高く評価された。アガタ・グルニツカ(Agata Górnicka)は『Teatr dla Was(君たちのための劇場)』で、その音楽が「形而上的(メタフィジカル)なオーラ」を醸し出しているのだと評した。
小さなヴィトカツィは山岳民グラーレに大はしゃぎ
山を舞台や戯曲と結びつけると、ポーランド演劇界だけでなく芸術全般において最も印象的な人物の一人、そして20世紀前半のザコパネ・ボヘミアンのコミュニティに属していた人物の代表格を必ず思い浮かべるだろう。もちろんそれは、ヴィトカツィ(Witkacy)として知られる、スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ(Stanisław Ignacy Witkiewicz, 1885-1939)のことである。彼はワルシャワで生まれたが、2歳のとき、両親とともにタトリ山地(Tatry)の中心地ザコパネ(Zakopane)に移住し、その後一生をこの地で過ごした。
スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ(ヴィトカツィ)と父親。写真:ザコパネのタトリ博物館図書館(Biblioteka Muzeum Tatrzańskiego w Zakopanem)提供
その地で1891年、洗礼を受けた。6歳だったヴィトカツィの手を引いて教会へと連れて行ったのは、教母である著名な女優ヘレナ・モジェイェフスカ(Helena Modrzejewska, 1840-1909)だった。最初の作品を生み出したのもザコパネだった。父親である スタニスワフ・ヴィトキェーヴィチ(Stanisław Witkiewicz, 1851-1915)は、ヴィトカツィの幼い頃の作品でさえ非常に真剣に扱った。息子に非順応主義を奨励し、広く自由の余地を残したのだった(幼いスタニスワフが学齢期に達すると、父親は当時タトリ博物館(Muzeum Tatrzańskie)に勤めていた学芸員、ヴァレリー・スシェル(Walery Suszel)に個人指導させることにした)。高山地帯の風景はヴィトカツィに良い影響を与えた。タトリ山地に滞在し始めた頃に母親に送った手紙の中で、満足した父親は次のように報告している。
我々はザコパネに滞在して一週間になる。〔中略〕 息子は、この地の山岳民グラーレやここで目にするあらゆるものにとても喜び、本当に幸せそうだ。
瓦礫の山から逃れる
父のヴィトキェーヴィチ・シニアは、肺の病気を治す助けとなる、新鮮できれいな空気を求めて、家族を山に連れて行った(かつての保養地は現在スモッグに悩まされており、今日ではとても考えられないことだ)。父親は、健康を回復するためだけでなく、嫌悪感を抱いていたクラクフの都会的な雰囲気からも逃れたのだった。父親の言葉を借りれば、「織物会館(Sukiennice)は悪臭を放つ瓦礫の山であり、聖マリア教会(kościół Mariacki)は価値も疑わしいゴシック様式であり、〔中略〕ヴァヴェル城(Wawel)は汚いバラック小屋に過ぎないという確信のもとに」逃げたのであった。
「タトリ山地の汚れのない白さ」とポトハレ地方の美しさの真の姿に魅了された父は、その印象を有名な小説『Na przełęczy(峠にて)』(1889年)に記している。一方ヴィトカツィは、すでに成人した芸術家として、ザコパネで次々と新しい取り組みを行った。中でも演劇という点で最も重要なものは、1925年に設立されたテアトル・フォルミスティチュネ(形式主義劇場 Teatr Formistyczny)だった。その活動は、モルスキェ・オコ(Morskie Oko)ホテルのホールで、ヴィトカツィの2つの戯曲『狂人と尼僧(Wariat i zakonnica)』と『新版≪解放≫(Nowe Wyzwolenie)』を上演することで幕を開けた。この活動はわずか2年しか続かなかったが、ヴィトカツィは晩年、1937年に独立劇場(Teatr Niezależny)を設立するなど、タトリ山地の中心地ザコパネでの芸術劇場運営に再び取り組んだ。その2年後、深刻な鬱病に陥ったヴィトカツィは自殺した。
タトリ山地の神秘
父であるヴィトキェーヴィチ・シニアのタトリ山地に関する記録が舞台化された。2002年、このテクストをザコパネ市内のスタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ劇場(Teatr im. Stanisława Ignacego Witkiewicza)の舞台に移すことを、同劇場のディレクターであるアンジェイ・ジュク(Andrzej Dziuk)が引き受けたのであった。ジュクは、山岳民グラーレの音楽と踊りを盛り込んだ舞台の脚本も作成した。『Na przełęczy』のほかにも、この種の出版物としては初めての大規模な著作で、1870年に刊行された、ヴァレリー・エリャシュ=ラジコフスキ(Walery Eljasz Radzikowski, 1841-1905)の『Przewodnik do Tatr i Pienin(タトリ山地とピェニーヌィ山地のガイド)』の一部も使用した。
ヴァレリー・エリャシュ=ラジコフスキ『Nowy illustrowany przewodnik do Tatr i Pienin(タトリ山地とピェニーヌィ山地の新版図解ガイド)』の表紙および挿絵、1881年、クラクフ。写真:国立デジタル図書館ポローナ
ジュクは、ヴィトカツィの父親が残した記録の中に、単なる観光ルポルタージュの一種ではなく、「山の神秘」に真に魅せられた証も見出したのであった。この舞台作品の作者は、この舞台について「ヴィトキェーヴィチが描いた状況が、今日の都市住民と自然との関係にどのように反映されているかを、皮肉でグロテスクな手法で表現しようとした」と記している。
出典:A. Micińska, “Stanisław Ignacy Witkiewicz: kronika życia i twórczości” (スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ:その生涯と創作活動の記録),S. Witkiewicz, “Na przełęczy: wrażenia i obrazy z Tatr”(峠にて――タトリの印象と風景);instytut-teatralny.pl;e-teatr.pl;witkacy.pl;dziennikteatralny.pl
参考文献(訳):スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ『ポーランド文学 古典叢書6 ヴィトカツィの戯曲四篇 小さなお屋敷で/水鶏/狂人と尼僧/母』関口時正 訳(未知谷);チェスワフ・ミウォシュ『ポーランド文学史』関口時正,西成彦,沼野充義,長谷見一雄,森安達也 訳(未知谷)
執筆:マルツェリナ・オバルスカ(Marcelina Obarska)、2019年5月13日
最終更新:2022年5月12日
日本語訳:スプリスガルト友美(Tomomi Splisgart)、2025年12月