ディナーに甘いデザートを:ポーランドの甘い伝統料理特集
少し厚めの甘いクレープ、ナレシニキ(naleśniki)。餃子にも似たピエロギ (pierogi)、そしてミルクライス。これらはレグミナ(legumina)と呼ばれ、1939年以前のポーランドではデザートとして親しまれていた。中には非常に長い伝統を持つものもある。
社会主義時代に入ると、歴史的、経済的に苦しい状況が続く中、人々は安価な粉物でレグミナを作ることで、苦境を乗り越えたのだろう。そういった歴史的背景もあって、以前はデザートとして親しまれていたレグミナが、今日ではディナーのメインディッシュとして食卓を彩っている。
食事は1日4〜5回!日本とポーランドの食文化の違い
甘いディナーを紹介していく上でまず説明しなければならないのが、日本とポーランドの食文化の違いについてだ。一口に「ディナー」と言っても、私たち日本人が思い浮かべる「ディナー」とはだいぶイメージが異なる。
ポーランドでは、1日の食事は4〜5回が一般的。一日のメインとなる食事はオビヤド(obiad)と呼ばれ、夜ではなく昼に食べる。食事の回数が多い分、オビヤドのあとは、ごく軽い食事で済ませることも特徴のひとつ。夕食といっても、外食をしない限り、サラダとサンドウィッチなど、軽い食事で済ませることがほとんどだという。
一日の食事スケジュール
7時〜8時頃 1回目の朝食(śniadanie)
10時頃 2回目の朝食(drugie śniadanie)
12時〜14時頃 オビヤド(obiad)
16時〜17時頃 軽食(podwieczorek)
19時〜20時頃 夕食(kolacja)
甘いディナーと聞くと少し身構えてしまうかもしれないが、ここでいう「ディナー」とは昼ごはん(オビヤド)のこと。夜に甘い料理を食べるにしても、こうした生活スタイルを知っていれば、軽食感覚で夕食を楽しむ食文化として納得できるはず。
マカロニの白チーズと砂糖和え(Makaron z twarogiem i cukrem)
1945年以降、マカロニにトファログ(twaróg)と呼ばれるフレッシュ白チーズと砂糖を和えた料理が学校の食堂などで広く食べられるようになり、当時肉を手に入れるのが困難だった一般家庭でも、手頃な食材で作れるメニューとして親しまれるようになっていった。幼い子どもたちにとっては、この組み合わせが何よりのご馳走だったのだ。
いまでこそチーズと砂糖というシンプルな材料で作られているが、戦前のレシピでは、ここにオレンジピールやレモンピール、レーズンやナッツが加わる。これをオーブンで焼き、クリームなどを添えて、デザートとして食べていたそうだ。
甘いマカロニが最初に登場したのは、20世紀初頭に刊行されたアントニ・テスラル(Antoni Tesslar)の著書、『Kuchnia polsko-francuska(ポーランド・フランス料理) 』の中の一ページ。テスラルは当時、クラクフ近郊のガリツィア(Galicja)地方知事代行、ポトツキ(Potocki)伯爵のお抱えシェフとして有名だった人物で、彼のオリジナルレシピでは、マカロニ生地とプラムジャムを何層にも重ねて焼いた、子供向けのデザートとして紹介されている。
ワルシャワの有名なバル、プラソヴィ(Bar Prasowy)を訪れた外国人客は、この甘いマカロニについてこうコメントしてくれた。
「マカロニは本来、ジャムやクリームではなく、トマトソースやバジルペーストと食べるものです。最初は本当に驚きました。もしイタリア人が見たら、怒って帰ってしまうかもしれません。はじめは抵抗がありましたが、本当に美味しいです。」
甘いマカロニは、外国人にとっては一見受け入れにくいものの、一度食べてしまえば、その美味しさに思わず納得してしまう一品だ。
甘口ナレシニキ(Naleśniki na słodko)
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ジャム入りナレシニキ、写真:Piotr Bławicki / East News
ポーランドのクレープ、ナレシニキ( naleśniki)には数百年の歴史がある。17世紀に出版された『Compendium Ferculorum(料理便覧)』(スタニスワフ・チェルニツキ Stanisław Czerniecki著)には「卵と牛乳、小麦粉を混ぜ、平たい片手鍋かフライパンにバターをひいて薄く焼く。仕上げには溶かしバターをかける」と書かれ、既にレシピが紹介されていたほど。
いまでもこの作り方はほとんど変わらず、特に子供のいる家庭では、家族でナレシニキ、ジャム、フルーツ、チーズ、ハチミツ、ハーブティーなどを囲む姿がよくみられる。
一方で、数百年前の人々の食卓風景は、いまとは少し違っていたようだ。当時は基本のナレシニキに、レーズンやシナモン、サフランを添えるのが一般的で、チキンやマトンの付け合わせとして「お米、もしくはスクランブルエッグ、サフラン、小ぶりのロジェンカ(香辛料を詰めた乾燥プルーン)を、サフランと砂糖をまぶしたナレシニキで巻いたもの」が作られていた記録も残っている。
19世紀に出版された本の中では、ナレシニキのレシピが数多く取り上げられ、クリームや牛乳を使った贅沢なものから、水だけを使う節約レシピまで、様々な作り方が考案された。
もともとスパイスや具材をたっぷり添えたご馳走として広まったナレシニキだったが、戦争の時代を経て、材料はよりシンプルなものへ、そしてデザートや付け合わせだったものがメインディッシュへと変わっていった。そうして生まれたのが、現在のナレシニキなのだ。
長い歴史の中で、年齢や階級を問わず、多くの人々がナレシニキにチーズやジャム、砂糖をかけて空腹を満たしてきた。いまでも学校の食堂やミルクバー(安価な料理を楽しめる庶民食堂)では、金曜日の定番メニューになっている。
※敬虔なクリスチャンが多いポーランドでは、金曜日は肉を食べない風習がある。クリスチャンでない人でも、金曜日は魚など、肉以外の料理を食べることが多い。
ピエロギ(白チーズ・リンゴ・プラム・ブルーベリー・ラズベリー入り)
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イチゴ入りピエロギ、写真:Seweryn Sołtys / Fotorzepa / Forum
ピエロギといえば、もっとも有名なポーランド料理の代名詞。「甘い食べ物」という印象は薄いかもしれないが、現地では肉や野菜、チーズを詰めたピエロギと同じく、果物を合わせたピエロギも根強い人気がある。
かつての地主層、中でも、現在はウクライナ・ベラルーシ・リトアニアになっている東クレスィ地方 (Kresy Wschodnie)の人々の間では、デザートや軽食として甘いピエロギを食べる文化があり、プラムやプラムジャムを詰めたピエロギがクリスマスイブの食卓に並んでいた。
戦前は夏の果物(イチゴ、野イチゴ、リンゴ、ブルーベリーなど)を詰めたものが一般的だったが、戦時中に発表されたレシピ本の中でマリア・ディスロヴァ(Maria Disslowa)が提案したように、オレンジを入れてみるのも面白い。有名なオレンジピールやレーズンを混ぜ込んだフレッシュチーズ詰めも有名だ。
ピエロギ・レニィヴェの砂糖がけ(Pierogi leniwe z cukrem)
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ピエロギ・レニィヴェ、写真:Tomasz Urbanek / DDTVN / East News
名前に「ピエロギ」と付いていても、実は フレッシュ白チーズ、卵、小麦粉を使っていること以外、ピエロギとほとんど共通点がない。具はなく、スープの後にメインディッシュとして出されるものだそう。
ポテトパンケーキの砂糖がけ(Placki ziemniaczane z cukrem)
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ポテトパンケーキ、写真:Krzysztof Kuczyk / Forum
カロリーが高いからといって、カリカリのポテトパンケーキが嫌いな人はいないはず。アシュケナジムと呼ばれる東欧ユダヤ人に馴染み深い料理、ラトケ(latkes)にも似たこの料理は、ジャガイモの栽培が盛んだった貧しい時代に生まれたものだ。
以前はすりおろしたジャガイモに玉ねぎのみじん切りを加えて作られていたが、そのうち揚げたてのポテトパンケーキに砂糖をまぶした甘いデザートレシピが主流になっていった。
第1次世界大戦後、1919年に出版された『200 potraw z ziemniaków(ジャガイモでできる200皿)』には「節約ポテトパンケーキ」のページがあり、社会主義時代の料理本には、砂糖のほかにも、ブルーベリーやクリーム、白チーズ、ジャムを使った作り方が載っている。
果物入りクネドレ(Knedle z owocami)
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プルーン入りクネドレ、写真:Katarzyna Klich / East News
ポーランドは長い間、多民族・多宗教の国であったこともあって、近隣の国とお互いに食文化の影響を与え合ってきた。クネドレ(knedle)もそういった料理のひとつで、もともとは中央ヨーロッパの伝統的な料理だったものが、ドイツ人やチェコ人によって広まったと言われている。
フルーツを詰めたポテト生地の団子に、クリーム、溶かしバター、バターで焼いたパン粉(ポロネーズ)などを添えていただくのがクネドレの基本的な食べ方だ。イチゴ、アプリコット、リンゴなど、季節によって中に詰めるフルーツを変えながら、四季の味を楽しめるのも魅力的。
ピエロギと同じように白チーズを詰めたものはもちろんのこと、ローストバターやチェリーソースを添えたクネドレは絶品そのもの。
ミルクライスとリンゴのミルフィーユ(Ryż ze śmietaną, jabłkami, cukrem i cynamonem)
ミルクライスもまた、苦境から生まれた料理のひとつということもあり、ある人にとっては懐かしく、ある人にとってはトラウマになっている一品だ。これもやはり、もとはデザートとして広まったもの。
19世紀末に残されたレシピ(著名な料理研究家、マリア・オホロヴィチ・モナトヴァ(Marja Ochorowicz-Monatowa)によるもの)では、まず米を牛乳とバターで炊く。皮をむいたリンゴを刻んで、サルタナレーズン、バニラ、砂糖と混ぜ、厚めのミルフィーユ状になるよう、バターを塗った鍋にミルクライスとリンゴを交互に重ねていく。最後にそれを焼き上げて完成だ。
卵をホイップして加えたもの、チョコレートを入れたものなど、ミルクライスには様々なバリエーションがあり、時には牛乳ではなく、レモン汁、アラック酒、オレンジピール、リキュール、アプリコットやホワイトラズベリーのジャムなどで作ったフルーツポンチに米を馴染ませて作ることもあるそうだ。
この料理を食べた外国人の反応をみてみると、甘いマカロニの時と同じく、予想の上を行く美味しさに驚きを隠せない様子。
「リンゴとクリーム入りのお米と聞いて、はじめは変だと思いました。でもいざ食べてみると本当に美味しくて、素晴らしい組み合わせなんです。」
フルーツスープ(Zupa owocowa z makaronem)
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フルーツスープ、写真:Maike Jessen / East News
フルーツスープは、家庭の味としても、とっておきのおもてなし料理としても親しまれてきた料理で、古くは夏の名物にもなっていた。19世紀の料理本の中には、一章分すべてをフルーツスープのレシピに割り当てたものもあるというから驚きだ。贅沢にワインやシャンパンを使って作るもの、冷製スープ、煮込んだ果物を使うものや、熱を通さず果物をそのまま裏ごしして作るものなど、作り方は様々。
具材として一般的なのはラズベリー、ブルーベリー、野イチゴ、さくらんぼ、グーズベリーなどで、秋にはそれがリンゴ、プルーン、サンザシの実などになる。こうしたスープには必ずと言って良いほど、バターで揚げたクルトンや自家製マカロニが添えられた。中でも、最も洗練されていると言われていたのが野イチゴのスープだ。
「野イチゴはヘタを取り裏ごしする。この時、形が綺麗なものは選り分けておく。裏ごししたイチゴに砂糖とクリームを加え、よく混ぜてから冷やす。仕上げにとっておいたイチゴを飾り、グラス半分ほどの甘いワインをかける。別盛りでビスケットなどを用意しておくとよい。」
(戦前のレシピより)
第2次世界大戦が終わったあとも、フルーツスープの文化は薄れることはなく、人々に愛され続けていたが、社会主義時代に食堂で出されていたスープはそうもいかなかったようだ。当時使うことができたのは、少しのフルーツと大量の小麦粉、マカロニ。ドロドロになってしまったスープは、とてもフルーツスープと呼べるものではなかったという。
ラツヒ(Racuchy)
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ラツヒィ、写真:Bartosz Krupa / East News
ラツヒと呼ばれるパンケーキもまた、社会主義政権下でデザートからディナーへと変わっていった料理のひとつだ。小麦粉、酵母、牛乳、卵をベースにしたものや、ナレシニキの生地をバター、ラードなどで焼いたものは、学校でも昼食の定番。生地には刻んだリンゴが入っていることが多い。以前はさらにこの上に粉砂糖やクリームをトッピングしていたが、最近は昔と比べて砂糖の量が抑えられるようになってきている。茹でたジャガイモを潰して作る昔ながらのラツヒもおすすめ。
ポーランドは隠れた美食の国。繊細な風味を大切にする料理の数々は、日本人の味覚との相性がとても良い。現地を訪れた時には、甘くないポーランド料理はもちろん、甘いディナーに挑戦してみるのも面白そう。
執筆:マグダレナ・カスプシク=シェヴリオ(Magdalena Kasprzyk-Chevriaux)、2015年12月
日本語訳:岩田美保 編集:野又菜帆、YNA 2017年11月
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